第8話・シュレディンガーの
魔法少女協会・本部――
6畳ほどの部屋に、キーボードを叩く機械的な音が響く。
照明の真下で、1人の女がノートパソコンを操作していた。
時計の針がチクタクと動き、デスクの上で缶コーヒーが揺れる。
そのとき、彼女の手元に置かれていたスマホが、唐突に震え出した。
軽快な着信音が流れ始める。
「うん? あ、なんだ。電話でしたか」
女は動きを止め、スマホに目を向ける。
スマホを手に取り、画面をタップしてから耳に当てた。
「はいもしもし、蘭です。任務の方で何かありましたか?」
『それはもうとっても!!!』
発狂にも近い大声に、蘭はスマホを取りこぼす。
そのまま右耳を手で押さえると、左手を目元へとやった。
小さくため息を吐き、床に落ちたスマホを拾い上げる。
「どうされたんですか……白羽さん」
スマホを再び耳に当て、静かに震える声でそう告げる。
すると白羽は、慌てた様子で言葉を続けた。
「新人ですよ新人! 新人の魔法少女爆誕ですよ!」
「……本当ですか?」
「ほんとほんと! うちの人生で1番のほんと!」
疑いを向ける蘭に、白羽は飛び跳ねるような口調で答える。
ハイテンションな彼女の返しに、蘭はゆっくりと天井を見上げた。
「少し待っていてください」とだけ告げ、消音にしてからスマホをデスクに伏せる。
そして、デスクに勢いよくおでこをぶつけた。
缶コーヒーが振動で倒れるが、中は何も入っていない。
ころころと書類の上を転がっていき、端まで行くと重力に従って落下した。
カランカランと、乾いた音が部屋に広がる。
蘭は席から滑るように立ち上がり、床に転がる缶の方へ歩く。
「新人……今年で5人目ですか。そうですか。今年は随分と、豊作な年ですねぇ」
しゃがみ込んで缶を拾い上げると、口元に運び傾ける。
その姿勢のまま数秒ほど固まった次の瞬間、缶を勢いよく壁に投げつけた。
軽い金属音と一緒に缶が壁に弾かれ、1度2度と跳ねてから床に転がる。
部屋の隅にまで転がっていき、最後に揺れて缶が静止した。
直後、静寂を破るかのように蘭が口を開いた。
「やっと……やっと4人片づいたんですよ!?」
怒声が、狭い部屋に反響する。
「また残業ですか、そうですか。はいはい、今日も徹夜確定ですね!!!」
最後まで言い切ると同時に、落ちている缶を踏み潰した。
足を前に振ると、凹んだ缶が床を滑っていく。
(はぁ……少しは冷静になれましたね)
ふらふらと歩いていき、蘭は椅子に座り込む。
伏せていたスマホを手に取ると、ミュートを解除してスピーカーにした。
「すみません、お待たせしました」
『遅かったね〜、どうです? 大丈夫でした? いや〜、今年は新人さんが多くて困っちゃいますね!』
「ええ、本当にそうですねぇ……」
背もたれに体を預けながら、蘭は適当に相槌を打つ。
「新人の方のお名前と能力は訊きました?」
「もっちろん! うちももうベテランだからね〜」
呑気な白羽の声を聞きながら、デスクの横の引き出しを開ける。
中からメモ帳とボールペンを取り出し、すぐに書き込めるよう構える。
「それで、なんと名乗りました?」
「えーとね、名前が……千桜 乙女だって。苗字は千本桜の本を抜いて、名前はシンプルに乙女の乙女ですね!」
白羽の説明を元に、スラスラとペンを走らせていく。
「能力、それと制約について、千桜さんは何と?」
「あっあっ。あの、えーとぉ……」
書き終えてペンを置き、蘭は冷静に尋ねる。
するとなぜか、白羽は気まずそうな口調で話し始めた。
「その、訊いたんですけど……能力、分かんないらしくて……」
「……言い訳は充分ですか?」
「違うほんとに! ほんとに知らないって言われたんですー!」
スマホ越しでも、わたわたしているのが伝わってくる。
どうやら、彼女にしては珍しく本当らしい。
「とりあえず承知しました。それと、千桜さんが覚醒した状況は? 彼女に負傷などは?」
「無い無い! うちもびっくりしてるくらいに元気してるよ」
「なるほど……どうして貴女が驚くのですか? 状況を、詳しく説明してください、白羽 頼依さん」
画面の向こうから、「あっ」と零したような声が聞こえる。
(場合によっては、処罰も考えられます……)
先ほどの白羽さんの言い方では、2つのパターンが想定される。
1つは、彼女が現場へ到着する前に新人の方が討伐していた、というもの。
このパターンの場合、白羽さんに処罰が科される可能性は低い。
もしも白羽さんの到着が遅かった場合は、協会規定によって軽い処罰が下される。
ただ、彼女はあの雰囲気にも関わらず真面目で優秀。
この場合は考えなくても大丈夫だろう。
2つ目のパターンは、新人の方が討伐している最中に白羽さんが到着した場合。
その戦闘に参加しないのは明らかな規定違反、というよりも魔法少女の職務放棄である。
情状酌量の余地を含めたとしても、重い処罰が下されるはず。
下手をすれば、2ランクの降格もあり得る。
(大丈夫だと信じたい、ですね……)
そもそも今回発生した魔物はDランク。
決して弱くは無いが、並の魔法少女であれば簡単な相手だ。
覚醒した直後の新人が1人で討伐した事例も、過去には存在している。
だからこそ、想定外が起きなければ、白羽さんに処罰が下ることは無いはず。
(こればかりは、私にはどうにも出来ませんから……)
左手で顔を覆いながら蘭は熟考する。
重たい静寂を破るように、白羽がぽつぽつと語り始めた。
「えーと、ね……」




