2025 巳
新解釈十二支物語。巳の章。
辰年を終え、巳は、辰からその任を引き継ぐために四季神の神域へと向かう。
蛇が行くは 愛する者の 居るところ(じゃがゆくは あいするものの いるところ)
とうとうこの作品を書き始めて12年、一巡りしてしまいました。
人生のビッグイベントが重なり書けてない干支や、冒頭書けても最後まで書けなかったりして歯抜けだらけの出来栄えですが、また12年かけて、書けなかった部分を埋めていけたらなと思っております。
ようするに、24年かけて書くということですね。怖っ。
――――……ろ
――……や……たの……
――起きろ寝坊助、もう夜だ
聞いたことのない、誰かの声で目を覚ます。
ゆっくりと身を起こし黄金色の大きな瞳で辺りを見渡してみるが、人里離れた山の中腹に位置する洞窟には、誰かがいたという気配もない。
長い前髪で片目を覆う青年はよろめきながら立ち上がると、洞窟の外へと歩き出し、月の無い満点の星空を見上げ、静かに息を吐き出し、目を閉じた。
「……(雨が降る)」
冷たい風に、僅かに晒された肌が凍てつき始めたころ、水滴が頬の白い鱗の上に落ちる。
雲一つ無い大パノラマの下、日和雨に身を濡らし、滅多に弧を描かぬ口角が僅かに緩むのをその目に収めたのは、青年の傍にひかえる言葉持たぬ白い大蛇のみであった。
「……(行こうか)」
無言で振り返ったその顔は元の冷たい無表情に戻り、何を考えているかを読み取らせない。
そんな彼の姿は、洞窟の外に出るときと戻ってくるときでは異なっており、白髪の先に残る黒髪は紅く染まり、粗末であった着物は、紅の刺繍が施された白く美しい羽織に姿を変え、神使の名に相応しい出で立ちにと成り変わっていた。
普段は立ち行かないただ暗く狭いだけの洞窟の奥地は、今日、この日、この時だけ、四季神の元へ繋がる通路に変わる。蛇、もとい、十二支である青年は、迷うことなく歩を進め、暗闇の中に姿を消した。
〇
雪が降る。
大地を凍らせ、降り積もり、吐く息も白く、世界は無音で、元々何一つ、この世には無かったのではないかと思わせる。
(そんな光景も、段々と見られる地域が限られてきている)
神々には、どう映っているのだろう。四季神の怠慢か。それとも、四季神の力を常世に繋ぐ、仲介役である十二の獣の怠慢か。
到底洞窟の奥に広がっているはずもない、神秘の雪原を目の前にして、巳は、一人心中で未来を憂う。何千年とこの神事を続けてきて時の感覚など遠の昔に果ててしまったというのに、ふとした不安は、時間という概念を取り戻させるらしい。小さくため息を漏らした巳を、共に付いてきた額に紅い紋様を持つ白蛇が首元で慰めた。
ここは箱庭、四季神の夢。大樹を中心に、果てしなく広がるこの世界に終わりはなく、入れる者は神に類する許されし者か、十二支の中でも、その年の担当者のみである。
「……(いない)」
雪原を歩いてきて大樹の下にたどり着くと、いつものように樹皮を撫でながら幹の周りを一周する。そうしている途中に、大体辰の姿を見つけるのだが、今回はどういうわけか、一周しきっても見つからない。
(まさか、職務放――)
「おやおやもう来やがったかミィ!」
頭の上で声がして見上げてみると、緋色の髪をした筋骨隆々の角を持つ漢が牙を見せて笑っているのを見て、巳は眉間にしわを寄せた。
「誰の許可を得て登っているんだ」
「なんだァ? 誰かの許可がいるってのか?」
「不敬だぞ」
「それはお前だな、ミィ」
「その呼び方はやめろ」
「珍しくよく喋る! 今宵のミィは上機嫌と見た!!」
「……(怒ってるんだよ!)」
いつものどこか馬鹿にしたような名の呼び方にも苛立ちながらも、何を言っても効かないこともよくよく分かっている巳は、言葉を交わすことを辞める。何も言わなくなった巳に、辰は「勝った」とでも言いたげな視線を向けて樹の枝から巳の隣に飛び降りると、距離を取ろうとよけた巳の頭を鷲掴み、驚きで見開いた黄金色の目を覗き込んだ。
「何かあったかァ? この経ったの十二年で」
「……っ(痛い)」
フード越しに辰の長い爪がこめかみに喰いこみ、思わず表情を歪めて辰の手を払いのける。その動作に、辰は素直に手を離して巳の言葉を待つように見下ろした。
期待の眼差しをうっとうしく思いながら、巳はフードを目深に被り直すと呟いた。
「……かまうな」
「ではわしは除夜の鐘が鳴った後もここでこうしてミィを尋問して戯れるとしよう!!」
「……(最低だな)」
巳はため息をつき白蛇に視線を送る。助けを求めたつもりだったのだが、白蛇も首を横に振るのを見て再び深くため息をつき、諦めて口を開いた。
「人里に……少し」
「……!! あの引きこもりのミィがか!!」
「……(うるさい)」
「誰とだ! 一人でミィが人里に行こうなどと思うまい」
「……午が……しつこく……」
何百年と袖にしていた誘いを今回限りと受けたのは、それこそ、四季の移ろいが曖昧になってきている原因が、四季神や、自分たち十二支のせいではないと、思いたかったからかもしれない。
「なるほどなァ、なかなかの手腕だ! では今度はわしが常世にでも連れて行ってやろうか!」
「……っ(いらん!)」
何千年と思いをはせてきた四季神に今更会ったところで、何をどうしたらいいのか分からない。巳にとっては、大樹を守る任に付けるこの一年だけでも、尊く愛しいものなのだ。
「……!」
常世や現世の話で思い出す。
巳が辰に視線を向けると、大きな目でこちらを見下ろす辰の視線と重なり思わず目を逸らす。
(眼だけで食べられてしまいそうだ)
「なんだァ? 何か言いたげだったが」
「……雨」
「雨ェ?」
「……いや、なんでもない」
てっきり、嫌がらせか、はたまた年が変わるという段階で、あまりに力の強い辰の力が漏れ出したのかとも思ったが、本人が首をひねっている以上違うのだろう。
(四季神の力が弱まっているのかと……)
四季神の庭に、神使を捕えておく力すらも。
「何を不安に思っているのか知らんが、現世が雨だったのならそりゃわしの同族が用事あって空を飛んだのだろうよ」
「……(そうか)」
なら良かったと、胸を撫でおろすと同時に、低く、荘厳な鐘の音がどこからともなく鳴り響く。この場において、この鐘の音は、役割が次の干支に移ったことを指し示す。
辰も巳もその音に顔を上げると、しばらく互いに黙り込み、鐘の音が鳴り終わるのをじっと待った。そうして、鐘の余韻が雪に飲まれて無くなるころ、辰は風を纏いながら樹の下から歩み出て、姿を龍の姿へと変える。緑の鱗に、長いひげ、巨大な体躯に纏う神秘は、見慣れた者ですらも目にするだけで凍り付き、雷に打たれたがごとく動けなくなるのであろうが、巳の表情は何一つ変わらない。
それでも、外を嫌う巳がわざわざ動こうと思うほどの何かが、この十二年にあったのならばと、辰は去り際に言い放った。
『雪が降ろうとも降らずとも、身を焼く暑さが短かろうとも、四季があるには変わらんぞ、ミィ!』
「……(そんなこと分かってる)」
『おおそうだ! 忘れるところだったぞ! 喜べ、ミィ!!』
「……?」
辰が飛び立つと同時に手のひらめがけて落ちてきたそれを慌てて手に取った巳は、改めてそれを覗き込む。そこには、澄んだ音のする鈴のついた紅白の組み紐があった。
『四季神からだ! まァ、せいぜい一年大事にしろ! で、午に引き継げ! そういう紐だ!』
「……!(ちょ、なんでこんな唐突にっ、何なんだこれっ!)」
慌てて樹の下から飛び出し空を見上げたが、すでに辰の姿はなく、しんしんと降る雪だけが、果てしなく降り続いていた。これ以上、誰に問いただすことも出来ず、巳は樹の幹に背を付けて座り込むと、白蛇の頭を撫でてやりながら、組み紐を眼前にかざし首をひねった。
「何なんだ……?」
何千年と続く神事。前触れもなく表れた組み紐。その意図も知らされず、巳は仕方がなくそれを着物を止める帯に括り付けると、小さく息をつき、今年も同じく、いつものように、心中で、四季神に向けて呟いた。
「……(明けましておめでとう。 一年、また貴方を守らせて)」




