Scene4:迷走する会議 ――「議題の溶解」
洞窟の中は、ゆっくりと沈黙に沈んでいた。
天井から落ちる水滴の音が、唯一の進行係のように響く。
議長スラ・グレイが、ぴちゃりと体を揺らす。
スラ・グレイ:「それでは、意見を整理しよう。」
粘液の板(議事録代わり)がぬるぬると動き、
アメーバが記録を壁に投影する。
《意見一覧》
・変わりたい者……一匹
・変わりたくない者……三匹(ミュコ、バーン、グレイ)
・定義を決めたい者……一匹(ロジ=スラ)
スラ・グレイ:「うん、進展だ。」
沈黙。
全員の表面が、わずかに震える。
ロジ=スラ:「議論の進展を“進展”と呼ぶのは、論理的誤謬だ。」
スラ・グレイ:「なるほど、だが感覚的には前進している気がする。」
ロジ=スラ:「気がする、は証拠にならない。」
バーン:「証拠がなくても熱はある!」
彼の身体がぼふっと膨張する。
熱波が走り、周囲のスライムたちが「ぴゅるっ」と距離を取る。
スラ・グレイ:「バーン、焦げるなと言っただろう!」
バーン:「誤謬でもいい! 今こそ立ち上が――あつっ!」
“じゅっ”という音。
体表が一瞬だけ気化し、白い蒸気が漂った。
ミュコ:「……わしも昔、一度立ち上がったことがあってな。」
バーン:「ほんとか!? 先輩!」
ミュコ:「うむ。結果、干からびた。」
再び、沈黙。
水滴の音がひとつ。
それが落ちるまでの時間が、永遠のように長い。
スラ・グレイ:「……立ち上がるという行為は、我々に向いていないのかもしれない。」
ロジ=スラ:「そもそも立つ構造を持っていない。」
ミュコ:「昔は立てた気がする。」
バーン:「気持ちの問題だ!」
ロジ=スラ:「気持ちは定義できない。」
ぐるぐると回る会話。
まるで、ぬめる渦のように。
何かが決まりそうで、決まらない。
何かが始まりそうで、始まらない。
それが“会議”の形。
形がないから、いつまでも壊れない。
ピュレは、その輪の少し外で、じっと地面を見つめていた。
自分の透明な身体が、洞窟の光を反射している。
その光は、まるで“形を持ちたがっている何か”のように震えていた。
ピュレ(小声で):「変わるって……どうすればいいんだろう。」
誰もその声を拾わない。
いや、もしかしたら、拾えなかったのかもしれない。
音は届いても、意味は溶けていく。
この洞窟では、それが“自然現象”だ。
スラ・グレイ:「……よし、次の議題に移ろうか。」
ロジ=スラ:「議題の整理が未完だ。」
ミュコ:「湿度が下がってきたな。」
バーン:「もう一回沸騰していいか?」
スラ・グレイ:「だめだ。」
その瞬間、アメーバが壁に記す。
《議題:我々はいつまで踏まれ続けるのか?》
《状態:議論中(※1278回連続)》
淡い光が、また溶けるように滲んだ。
洞窟の空気は、まるで時間そのものが溶けているようだった。
ピュレの小さな声だけが、空気の底に沈む。
ピュレ:「……でも、踏まれたら痛いよね。」
誰も答えない。
ただ、その言葉が波紋のように広がって――
すぐに、ぬめる闇に吸い込まれていった。




