Scene2:議題の提示 ――「形のない秩序」
洞窟の中央、ぬるりとした石の台の上に、灰色のスライムが静かに跳ねた。
その一滴の音が、洞窟全体にゆっくりと広がる。
スラ・グレイ:「諸君、定刻になった。……たぶん。」
その声に、周囲のスライムたちが微かに震えた。
一応、全員が「姿勢を正す」――といっても、スライムに姿勢の概念はない。
つまり、形を保とうとする努力である。
アメーバが、ぬるぬると壁に記録する。
《第1278回スライム会議、開会》
「1278回か……多いようで、何も変わらんな」
ミュコが小さくぼやく。
バーンが振動しながら、「今日こそ変える!」と気合を入れる。
ピュレは「こわい……でもちょっと楽しみ」と呟いて体をきらりと揺らす。
ロジ=スラは、紙のように薄い身体を折りたたみながら冷静に言う。
「定刻という概念が存在する以上、秩序も存在する。
しかし、それが“意味のある秩序”かは議論の余地がある。」
バーン:「おまえの話、始まる前からややこしいぞ。」
スラ・グレイが、ゆっくりとぴちゃりと跳ねた。
その音には、不思議な“重み”があった。
会議の始まりを告げる音。
何千回と繰り返された儀式のような音。
スラ・グレイ:「さて……諸君。
我々スライムは、長らく“最弱”と呼ばれてきた。」
場が静まる。
誰もがそれを知っている。
この世で一番よく聞いた言葉だ。
スラ・グレイ:「それは、正しい。
だが――正しいことが、いつも正しいとは限らない。……のかもしれない。」
数秒の沈黙。
洞窟の天井から、ぽちゃん、と水滴が落ちる。
その音だけが響く。
バーン:「おおっ……深いっ! ようわからんけど深いっ!!」
バーンが勢いよく体を震わせた。
蒸気がふわっと上がり、周囲の湿度が一瞬だけ上昇する。
ミュコ:「湿度が上がったな。いい傾向だ。」
ロジ=スラ:「いや、それは気象現象であって、思想ではない。」
ピュレはおそるおそる言う。
「“正しい”って……どうやって決めるの?」
その問いに、スラ・グレイが少しだけ形をゆらす。
「うむ……そこが問題だな。
だから、今日はその“正しさ”について、議論してみようと思う。」
「おお、ついに核心に!」とバーンが震えるが、
その隣でロジ=スラが冷静に言う。
「ただし、“議論”とは即ち、“結論を出さない行為”だ。」
バーン:「なんでそんな前向きな言葉を後ろ向きにするんだ!」
ミュコ:「まあまあ、若いの。どうせ終わらん。」
スラ・グレイはそのやり取りを見ながら、静かにうなずく。
「秩序とは、流動の中にかろうじて形を残すことだ。
……つまり、我々そのものだ。」
ピュレ:「え? どういうこと?」
スラ・グレイ:「わからないけど、そういうことだ。」
会議場に、ぬるく笑いのような波が広がる。
洞窟の壁が柔らかく光り、天井の水滴が一粒落ちる。
《議題、正式提示:我々はいつまで踏まれ続けるのか?》
アメーバの記録が光り、淡い粘液文字が揺らめく。
スラ・グレイ:「諸君。
今日こそ、なにかを決めよう。……できれば。」
誰も否定しない。
誰も期待しない。
ただ、始まったという事実だけが、ここにあった。




