最終章『三遊亭時丸 ― 真打ち昇進披露「死神」』
落語咄
第一幕 影を踏む夜
三遊亭時丸が真打ち昇進披露興行を迎える数ヶ月前――
彼は、春八に向かって頭を下げた。
「披露の演目……“死神”にさせてください」
春八は目を細めた。
「……死神、か。いい覚悟だ。
だが言っておく。“死神”は、噺家の墓場にもなる噺だぞ」
死神――
ある男が貧しさから絶望し、命を絶とうとしたそのとき、
死神が現れ、命を“金に換える術”を授ける。
しかし、その術を乱用した男が、最後には……
落語でありながら、“落ち”がない噺。
観客に問いを残し、闇の余韻だけが残る。
「なぜ生きるのか」「何を信じるのか」――
若き時丸が、あえてそれに挑もうとしていた。
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第二幕 炎を灯す
稽古は、春八ではなく、春八の兄弟子である**三遊亭炎堂**がつけた。
「お前、“死神”の顔、見えるか?」
「……見えません。けど、背中の気配だけは感じます」
「そうだ。死神は“見せる”もんじゃねぇ。“感じさせる”もんだ」
稽古は数十回に及んだ。
蝋燭の火のゆらぎ、命の音、言葉の間――
芸ではなく、“魂の演技”が求められた。
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第三幕 真打ちの夜
浅草演芸ホール、千秋楽。
トリはもちろん、三遊亭時丸。
客席は満員。春八も、かつての弟子たちも、師匠筋も見守る中――
時丸が静かに座布団に座る。
「……本日は、私の真打ち昇進披露にお集まりいただき、ありがとうございます。
最後にお聞きいただくのは――『死神』」
語りは静かだった。
だが観客の意識が、次第に時丸の中に沈んでいく。
死神に術を授かり、命を救う男。
しかし欲に溺れ、術を破る――
蝋燭の火が揺れ、場面は一転、死神の間。
最後の場面。
「……その火が、消えれば、終わりだ……」
その時――時丸が蝋燭に息を吹きかけようとした瞬間、止まる。
無言のまま、顔を上げ、客席を見渡す。
そして、火は吹き消されなかった。
「……俺は、まだ笑ってもらいてぇんだよ。もう少し、喋らせてくれよ……」
――死神は、無言のまま、男を見つめていた。
その沈黙が、一番の“落ち”だった。
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終幕 噺家という名の死生観
終演後、楽屋にて。
春八がぽつりと呟いた。
「“死神”で、生きようとしたか。……ようやった」
時丸は、座布団の上で静かに言った。
「……師匠。“笑い”ってのは、“死”と“紙一重”なんですね」
「――お前、真打ちだ。
これからは、お前が“死神”になって、次の命を灯していけ」
蝋燭は消えない。
それは、語り継がれるためにある。
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エピローグ 名乗り
「本日をもちまして、三遊亭時丸――
真打ち昇進と、相成りました!」
拍手の嵐。
だが、その高座の余韻には、確かに一人の“死神”が、背中を支えていた。
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落語咄