続編『春八の弟子 ― 二つ目試験「子はめ」』
落語咄
第一章 「子どもに見せられる噺か?」
三遊亭時丸は二十歳になっていた。
寄席では前座の仕事をそつなくこなし、若いファンも付きはじめた。
しかし春八は、なかなか二つ目昇進を許さなかった。
「お前の芸は、まだ“芸人”だ。“噺家”になるには、もう一段階いる」
ある日、春八は一枚の紙を渡した。
そこには、こう書かれていた。
二つ目昇進審査 演目:「子はめ」
時丸は思わず聞き返した。
「『子はめ』……って、あの、親子の……?」
「ああ。人情噺だ。笑わせて、最後に泣かせる。
しかも、下品になったら終わりの危ない噺だ」
「子はめ」は、ある貧しい長屋の男が、商家の娘との“わずか一度の情事”で子どもをもうけ、その子が成長して父に再会する話。
途中までは笑える。だがラストは、言葉にならない愛で客の胸を打たなければいけない。
春八は、静かに言った。
「この噺を演じるには、“お前自身の覚悟”がいる。
噺の外で、お前がどう生きてるかが出ちまう」
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第二章 稽古と涙
それからの時丸は、一人で稽古に打ち込んだ。
だが、何度やっても最後の一節で詰まった。
「……お父つぁんだよ……俺が……お前の、父親でぇ……」
口では言えても、心が乗らなかった。
その姿を見た春八は、ある晩、時丸を呼び出した。
「お前、親に会ったことあるか?」
「……母とは、小さいときに別れました。
父親は……名前も顔も、知りません」
春八は黙って、うなずいた。
「俺の親父も、噺家だった。でもな、俺に“父”として向き合ったことは一度もなかった。
だけど、今なら思うんだ。“噺の中では、ちゃんと親だった”ってな」
その言葉に、時丸の目が潤んだ。
その夜から、時丸の稽古は変わった。
彼はただ“演じる”のではなく、**自分の言葉で“伝える”**ことを学び始めた。
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第三章 試験の日
試験当日。
浅草の小さな寄席。高座には師匠たち、客席には数十人の観客。
春八も黙って見守る中、時丸が一礼して座った。
「えー、本日お聞きいただく噺は、『子はめ』でございます」
噺は滑らかに始まった。
長屋の男が、訳あって商家の娘と“わずか一夜”を共にする。
生まれた子は、母に育てられ、父のことは知らずに成長する。
やがてその子が、父と知らずに再会する場面。
時丸の声が変わる。
「……え? おっちゃんが……お父つぁん……?」
間があった。
涙を流さぬまま、彼は続けた。
「いいんだよ……わかってたよ、最初から……
お父つぁんの声、どっかで聞いたことあるって……思ってた」
客席は水を打ったように静かだった。
笑いが消え、物語だけが浮かんでいた。
噺の終わりに、時丸は深く、静かに頭を下げた。
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終章 名乗るということ
高座を降りた時丸に、春八が言った。
「……よくやった。
今日のお前は、“笑わせた”んじゃない。“共に笑い、共に泣いた”」
そして、一枚の袴を差し出した。
「これで、今日から二つ目だ。
名乗れ。客の前で、声高らかにな」
時丸は、まっすぐ立ち上がり、一礼して叫んだ。
「本日より、三遊亭時丸、二つ目でございます!」
拍手が沸き起こる中、春八は一人、袖で小さくつぶやいた。
「……これで俺も、“親”になれたかもしれんな」
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あとがき
「子はめ」は、春八がかつて一度も演じなかった噺だった。
なぜなら、それは人間としての未熟さが滲んでしまうから。
だが時丸は、それを乗り越えて、芸にした。
こうして、一人の弟子が師の背を追い越し始める。
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落語咄