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温かい箱  作者: 安永吉花
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死ぬ前にもう一度、自動販売機とケンカしたくなった日

呼吸が浅いのか、ため息ばかり出る。

市役所の窓際に座る斎藤隆志は今日も仕事に追われていた。書類の山、鳴りやまない電話、窓口に出れば気がふれたようなクレーマーに当たる。

「話聞いてんの?ヘラヘラしてんじゃないわよ!この税金泥棒!!このモヤシが!!!」

上司は、ゴミ箱に丸めたティッシュペーパーを投げ込むように雑用を押し付けてくる。

「斎藤くん、まだ終わらないの?ちゃんと定時で帰ってよね。困るよ。」

この前まで、来年の夏に結婚する幸せな俺だったのに。プロポーズも上手くいったのに。夜行バスの事故で即死って何だよ。


酒を飲んでも、睡眠薬でも眠れない。何日寝てないかわからない。

もううんざりだ。無力感と閉塞感が胸の内を染めつくし、斎藤は何度も思った。こんな人生はもう終わりにしよう、と。


斎藤は今日を人生最後の日にするために、どうやって死ぬか、現実的で実行しやすい方法を考えていた。

そんなある日、斎藤の部屋に宅配便の段ボール箱が一つ届いた。

心当たりがなかったが、送り主が誰なのか確認する気も起こらない。

「どうせ大したものじゃないだろう」

段ボール箱を玄関に捨て置いた。


考えても考えても、死に方が決められない。優柔不断な自分にうんざりして、更に自殺願望が募る。

できるだけ他人に迷惑をかけない死に方を、と、ずっと考えているが思考が煮詰まっていく。

腹が鳴る。

もうすぐ死ぬのに腹が鳴る自分に呆れて、自分で自分を嘲笑った。

何も食べる気にはならない。なんとなくぼんやりと部屋を見渡すと、さっき届いた宅配の段ボール箱。

何が入っているのか少し気になって玄関へ向かう。

送り主は吉岡健治。大学の友人だった。懐かしい名前にほんの少し気分が浮上した斎藤は箱を開ける。

中には乾麺のスパゲッティーが一キロ一袋、たくさんのレトルトパスタソースが数種類。白い素っ気ない封筒に入った手紙が一通。


「前略。斎藤、元気か?

急にこんな物を送って驚いたかもしれんな。

俺、イタリア留学しただろ?

なんだかんだあって、そこでイタリア料理の修行することになってさ。

今は大阪でイタリア料理の店やってるんだ。

コロナ禍で色々大変だったけどレトルトのパスタソース開発して乗り切った。

口に合うかはわからん。でも旨いと評判だ!食ってみてくれ。腹は満たせるだろう。

最近は色々軌道に乗って、忙しいながらも余裕が出てきた。

そこで、ふとお前のこと思い出した。

大学の時は楽しかった!

お前と吐くまで飲んで、酔っぱらったお前が自動販売機とケンカしようとして止めたのはいい思い出だ!

自動販売機が赤いからって腹立てて蹴り入れるヤツはイタリアにも居なかった!

世界中探してもお前だけだろうよ(笑)

元気でいろよ。

また飲もうぜ。

大阪に来たら絶対連絡しろよ。

草々


吉岡健治」


手紙を読み終えた斎藤は、学生時代の空気を吸い込むように、呼吸が楽になった気がした。

「あいつらしいな。なんだよ。自動販売機とケンカなんて、俺覚えてないし。」

吉岡とは結婚式の招待状を送る段階で連絡するつもりだった。婚約者の順子の死で連絡する気力もなかった。頻繁に連絡はしていなかったが、あまりにも連絡がないから、周りから何か聞いたんだろう。

腹が鳴る。

食欲はあまりないが、あいつが食ってみろというなら食ってみるかと、パッケージの箱もよく見ずにゴミ箱に放り投げ、レトルトパウチを鍋に入れた。

ご丁寧に送りつけられたスパゲッティーも電子レンジで茹でる。

10分ほどで電子レンジに呼ばれると、斎藤はのろのろとキッチンに向かい、スパゲッティーの湯を切り、その容器に銀色のパウチの中に入ったパスタソースをぶっかけた。

一口食ってみると、トマトとニンニクの味に自分の知らないハーブやスパイスの香り、ほど良い塩気とコク。とても旨いと感じた。

無視し続けた空腹は、吉岡のパスタを一瞬で平らげるには充分だった。

食べ進めると野菜の甘味と牛肉のコクとうま味を感じ、爽やかな香りが食欲を搔き立てる。

フォークで巻き取ったパスタを口に入れると、またすぐフォークは忙しなくパスタを巻き取る。飲み込んだら次をすぐに口に入れたくなる。温かい食べ物が食道から胃袋を通って、身体に温もりを行き渡らせる。自分が生きていることを思い出させるように、体温を取り戻してゆく。まるで食べ物を必要としない無機物のように自分自身を感じていたことが嘘みたいに。

鼻先に汗をかきながら無心に食べ続け、器が空になるまで5分とかからなかった。


「うまかったな…」

食べたことのない味に、興味が湧いた。見ずに投げ捨てたパスタソースの箱を拾い上げる。

「絶望パスタ―絶望していても美味しい―」

書かれている文字に、また吉岡らしさを感じて、思わず笑ってしまう。

「なんだよ、それ。なんだよ!それ!あいつ…。」

笑いながら、斎藤の目には温かい涙が滲んでいた。

胸の中の重たい霧が溶けだしていくようだった。

「こんなに大量に送ってきやがって。俺はイタリア人じゃないってのに!食い終わるまで死ねないじゃないか!あのバカ!」

言葉とは裏腹に斎藤は優しい笑顔で手紙を眺めていた。

「俺は自動販売機とケンカなんてした覚えはない。」それだけは書かなきゃな。斎藤の頬は緩んでいた。

もう自殺の方法など、どうでもよくなった斎藤は、吉岡への返事に頭を悩ませ眠りに落ちてしまう。


睡眠薬を飲まずに眠れたのは久しぶりだ。

少しだけ呼吸がしやすくなった朝。

カーテンを久しぶりに開けてみた。

差し込む眩しい太陽を、もう憎いとは思わなかった。

それは温かく、優しい太陽だった。

そしてまた、斎藤の新しい一日が始まるのだった。

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