4 滅亡寸前の国家
教皇室の応接机。
二人で黙って座る変な空気を、ニーアさんが淹れてくれたお茶で流し込む。
「で……なんだったんですか、さっきのは」
「う、うるさい! あんまり触れないで! まだ私も気持ちの整理ついてないんだから!」
威厳ある、麗しき教皇様はどこに行ってしまったんだ。
教皇様は顔を赤らめながら、手に抱えた大きな枕で口元を隠している。
さっきまで泣いていたせいか、目はまだ少し赤い。
先ほどからニーアさんが後ろから、ぼさぼさになったグラシア教皇の髪を梳いていた。
「てかあんた! 勝手にそこの資料を読むのやめてくれる⁉ ここのは全部、部外者が勝手に読んで良いもんじゃないんだけど!」
「あー……失礼しました。資料があると、つい癖で」
俺は資料から顔を上げながら、小さく謝罪する。
天界では四六時中資料を読み込んでたからな。
至る所に資料が山積みになっている教皇室にいると、つい手を伸ばしたくなる。
言いながらも俺は、あとちょっとだけ、と資料をちらちら流し読みする。
「そんなことよりよ! あんた、自分何をしでかしたのか分かってるわけ⁉ どこの誰だか知らないけど、こんなことしちゃったらもう、死ぬしかないの! 分かってる⁉」
「そうなんですか」
「そうなんですか、じゃないわよ……‼ ゼヘタ様降臨の儀は失敗するはずだったのに、あれじゃあ民衆はあんたをゼヘタ様だって信じちゃうでしょ! そうなったらもう、私はああああああああああああ!」
あーもう、うるさいな。
グラシア様は抱えた枕に顔を埋め、うめき声をあげながら足をとすとすとさせる。
このひとは、俺がゼヘタ神じゃないってことを知っているらしい。
降臨の儀とやらが何かは知らんが、それが丁度たまたま俺が天界から降ってきたタイミングと噛み合ったと。
「なんか大体はわかりましたけど……どう考えても原因はそちらの方にあるのでは? 降臨の儀を失敗させてなければ、俺はゼヘタ神と誤認されることは無かったでしょうし。そもそもその降臨の儀とか言う中二病臭い儀式はなん……」
「あーもー鬱陶しいわね! 何でもかんでも全部説明しなきゃわかんないわけ?」
「……えぇまぁ、そうしてもらえると助かります」
資料にもそういう世界の常識は書かれてないし。
教皇様はさっきから被害者面してるけど、俺だって被害者なんだ。
この世界について事前調査はして来たつもりだけど、こんな辺境の国のことなんて何も知らない。
「なんっで私がそんなことしなきゃいけないわけ⁉ こんなどこの誰だか知らない奴に懇切丁寧に歴史の授業でもしろって……⁉」
「良いから説明をお願いします。今は俺、民衆に神だと思われてるんで、何でもできますよ? 教皇は背信者だとか言って信用を落とすとか」
「ふ、ふん、勝手にすれば? 私は民に信頼されてるの。いまさらそんなこと言われても……」
「じゃあ実は裏では口汚いとか、泣きさけんで暴言吐いてるとか、神聖な御所をぐちゃぐちゃの汚部屋として使ってるとか……」
「黙れ黙れ黙れ黙って黙って黙ってくださいお願いします……」
最後は拝むようにしながらグラシア様は頭を下げ。
未だに資料から目をほとんど上げない俺に、苛立ちを隠さずに睨みつけて来る。
「ムっカつくわ……説明してあげるから聞きなさい。そんでさっき言ったことは外で言わないで」
「助かります」
「……うるさい。降臨の儀の話ね? あんたは知らないと思うけど、ここゲティアはもう崩壊寸前なのよ」
それは……祭壇の上でも聞いたな。
ゲティアは滅亡の危機にあるとかなんとか。
俺がこの国のことをほとんど知らないのも、その程度の国家だってことの裏付けなんだろう。
「それを何とかしろって毎日暴動が起きてたわけ。教皇として、表じゃあ私は逃げないだのなんだの言って威勢よく振舞ってみたけど……いつ誰かに殺されてもおかしくない状況だったのよ」
「……なんでそれで降臨の儀を失敗させようってなるんですか? 成功させた方が教皇を指示する人が増えてお得に見えるんですが」
「降臨の儀は歴史上毎っ回失敗してる、ただの爆弾ゲームだからよ。その時期が近付くと、大抵教皇が次に座を譲るくらいのね。てか神が下界の生物如きのために降りて来るなんて、そんな馬鹿な話があるわけないでしょ」
「まぁそうですね。我々も忙しいですし」
「……我々? 何を言ってんの?」
失敬。つい口が滑った。
グラシア様は怪訝な表情をしながらも、話を続ける。
「それで日に日に状況はヤバくなってくから、さっさと逃亡しないといけなかったわけ。だから降臨の儀が失敗したのを合図に暴動が起きて殺された……っていうシナリオを書いてたの。その準備も沢山してたのに、それをあんたが台無しにして……!」
「……なるほど、それで。でも……それならなおさら俺が降臨して良かったじゃないですか。民衆も喜んでましたし、しばらくは支持も厚くなりますよね。何をそんなに焦ってるんですか」
「ばーっかじゃないの⁉ そんな簡単な話なら、最初からこんなことしてないっての!」
と、グラシア様は立ち上がり。
何をするかと思えば、窓の方へと視線を向けた。
ん、と顎で諭されたので渋々立ち上がる。
「見えるでしょ、ひっきりなしに荷車で人を運んでるのが。これが……こっち、修道院の裏手の墓地に運ばれてんの」
荷車で……人を運ぶ?
気になって窓を覗くと、広い敷地に並ぶ墓の……その手前に、異様なものが。
そこには、死体の山があった。
無数の人々の手足が糸のように絡み合い、そこに積み重なっている。
「……なんですか、これは」
「今ゲティアを襲ってる疫病。暴動の元になった最も大きな問題ね。何万もの人が感染して……多くの死人が出てる。あんたも見たでしょ、ここに来る間に」
「えぇ、はい。道端に倒れてるひととか……かなり多かったように思います。教会の方では受け入れとかはしてないんですか?」
「なんとかできるだけ受け入れはしてるわ。でも数が数だから、どうしようもなく死んでく人が多いの。助けを求めて、道端で野垂れ死んで……」
教会の裏の死体の山。
そのどれもが、人間のものとは思えないほどにやせ細っている。
墓を掘ることすら追い付いていない、という事なんだろう。
「神が降臨しようとも、そもそもの現状は変わってない……ってわけですか。それなのに民衆が喜んでるってことは……」
「そう。民衆は降臨の儀を指折り数えて待ってたの。神が降臨しさえすれば、ゲティア中の病人が不思議な力で元気になるって。どれだけ酷い現状でも、よ」
「なるほど。それで教皇様はあんなことを言ってたんですか。それは罪なことを……」
「な! ん! で! そう他人ごとなのよ! 期待させるだけさせといて、実は偽物でしたーなんて言ったら、暴動でミンチになるのよ! わたしも、あんたも!」
まつ毛の一本一本がはっきり見えるくらいの至近距離で、グラシアはふーふーと息巻いている。
迫る教皇様を押しのけながら、俺は考える。
俺は、『使命』を果たすために下界に来た。
だから正直、こんな国のことなんてどうでもいい。
なんだけど……このまま何もしないとゲティアは崩壊へ向かい、人々は俺がニセモノだと気付いてしまうのだろう。
俺がニセモノのゼヘタ神だとバレた瞬間、彼らの信仰は無くなる。
すなわち死。
つまり……このゲティアの地の崩壊を止めないと、俺は死ぬわけか。
……しかも、民衆は明日にでもゲティア全土の病人が治ると信じている?
ふむ。
「……本当にヤバいじゃないですか。こうしてる場合じゃないですよ、グラシア様」
「だから! さっきから、そう言ってんでしょうが!」
「うるさいですよ、ひとまず落ち着いてくださいグラシア様」
「誰のせいよ、誰の!」
ぎゃーぎゃーと喚きながら怒り任せにグラシア様が掴みかかって来るのに抵抗していると。
「……お茶をお下げ致します」
すっと白い手が伸びて、テーブル上のお茶が下げられる。
取っ組み合いになっていたグラシア様は、ようやく我に返ったのか少しバツの悪い顔をして。
「あ……ありがとう、ニーア。あなたも休んで」
「はい。お気遣い感謝いたします」
ニーアさんは頭を下げると、盆にお茶を乗せていってしまった。
……まだ飲んでる途中だったんだけどな。
「えっと……この国をどうにかしたいならまず、ゲティア教皇領の詳細な情報を知りたいんですが」
「……話聞いてた? どうにかしたい、じゃなくて、どうにもならないって言ってんの。ゲティアは滅亡する運命なんだから。経済も軍事も国力も主要な産業もない。なのに災害だけは豊富で色んな国から攻められやすい立地で……」
言いながらグラシア様はげんなりと肩を落とす。
確かに、聞く限りじゃ相当ヤバそうだ。
「でも、それにしては宗教国家らしく、人々の信仰は厚いじゃないですか。あれほどの熱狂は普通の国家じゃ見られませんよ」
「宗教国家なんていいとこばっかじゃないのよ。うちの経済が弱いのは大部分がそのせい。どんな資産も宗教のためのものだって言えば……」
「あー、貴族どもがどんだけ豪華な屋敷を立てようが、これは修道院なので非課税ですって言い張るみたいな奴ですか」
俺が言うと、グラシア様が目を見開いて。
「な、何でそれを知って……⁉」
「いえ、書いてありました。さっき目を通した資料に」
「……なによ。びっくりしたじゃない」
口をとがらせるグラシア様。
俺の経験上、貴族のズルを許して税金を取れなくなった国家はじきに衰退していく。
なかなか危ういシグナルだぞ、これは。
「あと、税収がずっと減収続きってのもありましたけど」
「まぁ、それは色んな要因があるわ。人口の単純な現象とか、景気が悪いとか。でもやっぱ一番大きいのは、貴族どもの虚偽の申告ね。ほんっと自分の欲しかない奴らだわ」
「それは……厳しく監査とかしないんですか」
「……この国に数人しか貴族が居ないと思ってるわけ? 税収監査官なんか大量に雇ったら、それだけで財政が圧迫されるでしょ」
まぁ、それもそうか。
監査官が増えれば、そいつらの誰かが貴族に買収されても気づきようがない。
これもまた腐敗していくものなのだろう。
しかし政治というものは、金さえあれば大抵の問題が解決するものだ。
その大元さえどうにかなれば、それこそ疫病とかだって今よりはマシにできるのだが……。
「ならなおさら、ここにある資料だけじゃ足りませんね。この国についての情報をもっとくださいよ」
「あんたさっきから勝手に、ずっとそこの資料ぱらぱら見てたでしょ。まずはそれを読んでから……」
「いえ、ここにあるのは全部読み終わったので」
俺が言うと、グラシア様は一瞬目を丸くするも……冗談だと思われたようで。
「……ねぇ、さっきから私がやんわりと断ってるの、見て分からない? なんでどこの誰かも知らない奴に重要な文書を見せなきゃいけないわけ?」
「この国のためになるから……じゃ、駄目ですか。そうですか」
グラシア様の嫌そうな顔を見て、俺はさっさと発言を撤回する。
ふむ。なら、今できる事といえば……
「じゃあ……仕方ないですね。代わりに、今言っていた税収問題の解決策を教えてあげますよ。これで取引というのはどうでしょう」
「……は? 税収問題の、解決策……?」




