35 時代を変える、医療の発明
とりあえず、今日から時間遡行を使うのは慎重にしないといけないな。
あれからちゃんと数え直したけど……残数は13回しか残っていないことがわかった。
なんだか不吉な数字で、いやな気分になる。
これまでの問題は全て、遡行ありきで解決したものばかり。
遡行が尽きたとき、俺に何ができるのか……
それにもう一つ気がかりなのは、穀物物価だ。
二週間も時間があれば、海賊たちによって相当な供給ができるはず。
なのに、物価が平常時の二倍程度で落ち着いてしまっているというのは納得がいかない。
そのことについてヴィストに話を聞きたいのだけど……
と、港へ向かう道中で。
変な人を見つけた。
「……なにやってるんですか」
「ひ、ひぃっ! ……なんだ小僧か‼ 驚かせるでないわ!」
「びっくりしたのはこっちですよ。なんでそんな所でこそこそしてるんですか」
場所は南区の大通りに面した牛舎の傍。
目鼻立ちの整った綺麗な女性が、青い芝生の上で牛の乳を搾っている。
その光景を、薬屋の爺さんがじぃっと……
「……覗きですか?」
「ち、ちがうわ! どいつもこいつも儂を変態扱いしおってからに……それは否定しないが、これはれっきとした研究だ!」
「はぁ。ところでシャノンさんは?」
「わたしが、どうかした?」
……びっくりした。
振り返ると、そこにはシャノンさんが。
首を傾げると長い黒髪が揺れ、きょとんとした表情をしている。
見れば、シャノンさんは牧場の表口から歩いてきたらしい。
「シャノンは接触担当だ。儂は既に何度かあのうら若き乙女に話しかけてみたのだが……なぜか気味悪がられてしまってな」
「なぜか?」
「儂はただ、ぬしの綺麗な腕やおみ足を触らせてはくれまいかと丁寧に頼んだだけなのに……」
「それがキモいんですよ」
「とにかく、それではどうも情報が得られなくてな。牛の方を直接調査しようにも、警戒されて……それで接触担当をシャノンに変えてみたのだ」
……ほう? よく分からないが。
当のシャノンさんはいつの間にか俺の横に陣取ると、両手で手のひらを包み込んでいじくり始めた。
またいつものか。
「で、どうだったのだ? 彼女の腕に発疹は見られたか?」
「うん。それとあの牛の足の関節にも、おなじのが。丁度その水疱がやぶれちゃったところだったから、それを採取させてもらった」
「……‼ でかしたぞシャノン! 採取したのだろう、それを早く見せんか!」
水疱を……採取する?
子供のようにせがむイグナート爺さんに、シャノンは渋々といった風に俺の手を離すと。
「なんじゃこれは。膿というのはこんなに……うんこのような色をしているのか? それに所々見える白いものは……?」
「まちがえた。こっちは壁についてた牛のふん……」
「汚いのう! 勘弁してくれ! ……ふむ、これか。なるほど……なるほどなるほど! さすが、動物の事はシャノンに任せるに限る! 後はこれを利用する方法が見つかれば……!」
何をそんなに興奮してるんだ。
うきうきで膿を観察するイグナート爺さんだが、シャノンさんの興味はふたたび俺の体に移ってしまっていた。
俺は病気にはならないから別に良いんだけど、ちゃんと手は洗ったんだろうな?
というかそもそもなんでシャノンさんは牛のふんなんか採取してたんだ。
「……あの。何がどうしたんですか?」
「天然痘だ天然痘! こいつの治療法に関する鍵が見つかったかもしれんのだ!」
天然痘? というと……あれか。
体中に無数のあばたができる病気で、致死率も高い疫病のはずだが。
……あぁ、そう言えばグラシア様が、新しい疫病が流行り始めてるって泣いてたな。
でも……それの治療法?
あまりピンと来ていない俺の様子を察したのか、老人は情報を付け足す。
「痘はここ数週間で見られ始めた病気だな。ヘロシュ土着の疫病で今も死者が多く、大問題になっているのだが……ゲティアでは見たことが無い。何かがあって病気が持ち込まれたのだろうが」
……まずい。
この時期にヘロシュとの関係といえば……もしかしなくても食料輸入のせいだな。
沢山の商人がヘロシュとゲティアを行き来するようになっただろうから、そのルートなんだろう。
「それで……その膿が、どうして治療法に繋がるんですか」
「過去に痘の研究をしていたとき、興味深い噂があったのだ。『乳しぼりの女はあばたにならない』という、いかにも迷信めいたものだが……どうしても気になってな。そこで教会の資料をシャノンにくすねてきてもらったのだな」
……軽々しく窃盗をするな犯罪者。
悪びれもせずに老人は目を輝かせて説明を続ける。
「そこでな、痘を患って重症化し、死者が出る地域と、そうでない地域の分布を元に色々と訪ねてみたのだ。行ってみると……先ほどの話ではないが、どうも馬や牛を飼っている人が多いことがわかった」
「……ん? でもさっきの女の人には、腕にあばたがあったって言ってませんでしたっけ」
「まさにそこなのだ。今流行っている痘は、そんなかわいい症状では収まらん。顔をはじめとして全身にそれが移り、致死率も高い。しかし彼女らは多少のぽつぽつが手足にできるだけで、全く重症化しない」
……ん? それって……?
驚きで声が出ない俺には見向きもせず、爺さんは懐から取り出した細いメスのような刃物を日に照らした。
「儂の立てた仮説はこうだ。彼女らのかかった痘は牛や馬由来のもので、これにかかってしまえばこれ以上重症化しないのではないか?」
イグナート老はしわしわの肌に、自らぐっとメスを入れる。
痛みで顔が歪む老人に、ひっとシャノンさんは小さく声を上げる。
こういうのが苦手なのだろう。すぐに俺の背中に隠れてしまった。
「ものは試しだ。この膿を、摂取してみて様子をみてみる。その後に、痘の重症患者に接触を図り、感染するかどうかを試してみる」
ぱっくりと割れた肌に、赤い血がつーっと流れる。
そこに、シャノンのとってきた半透明の膿を塗り込んだ。
「そ、それってもしかして……ワクチンの発明なんじゃ……?」
「ちん……なんじゃそれは。下ネタか? シャノンの前では控えんか、全く……」
ぐっと肩にかかる力が強くなった。
シャノンさんが背中に顔を埋めている。
しかしこのエロジジイ……顕微鏡もない時代に、ワクチンまで実証だけでたどり着いてるのか。
話を聞いてる限り、免疫とかそういう概念すら理解していないっぽいのに。
流石にこの研究の成果は、今日明日に出るわけではないだろうが……それでも化け物のような研究速度だ。
井戸を殺菌する漂白剤にたどり着いたのもそうだが、この人は本当になぜ、こんな流刑地なんかでくすぶってるんだ?
それにさっき、『過去に痘の研究をしていた」とも言っていた。
痘がゲティアで見られるのが初だとしたら、爺さんは過去どこでその研究を……?
「さて。あとは痘痕が出るのを待つとするか。時に少年、ぬしは儂らに何か用があるんじゃないのか?」
「え? あ、いや……特に用事は。イグナート先生が綺麗な女性に見惚れているのかと思って話しかけただけで……。……え? い、痛っ! シャ、シャノンさん? ど、どうしてつねるんですか……!」
「おーおー、シャノンも気が立っておるわ。そりゃそうだ、寂しがる女を二週間も放置しておいて、見ず知らずの女性には綺麗だなんだと言いおって! そんなクズ男はやってしまえ!」
「く、クズ男って……そんなんじゃないですよね⁉ 別に会いに来る理由もありませんし、あの女性を褒めたのもそこまで深い意味はありませんし……ほら、シャノンさんからも何か……」
突然のことに困惑しながらも、背後にしがみつくシャノンさんに水を向けると。
「~~~ッ!」
「痛った! なんなんですか、なんでそんな強く……痛い痛い痛い! すみませんって! 何か気に障ったなら謝りますから――!」
声にならない音を出しながらシャノンさんは背中にしがみつき、より一層力を込めて来て――――




