31 大賢者
「慈悲深き偉大なる主神よ、我に奇跡を‼ 『拘 束』『回復』『身体強化』……ッ!」
これは……奇跡……⁉
連続して辺りに声が響く。
腕を振り上げたヴィストは一瞬のうちに光の縄に拘束され、動きを封じられた。
対して、回復を受けた兵士が次々と起き上がってくる。
「お、おい……! なんだよコレ⁉ なんでボスが、動けなくなって……!」
戦況が一変して怯えた様子のズー。
急な横やりにあっけに取られていると、野次馬の中から深い蒼色のぶかぶかのローブに身を包む、背の低い影が現れる。
辺りはどよめき、ヴィストに馬乗りにされていた衛兵長が立ち上がると眼を見開き、慌てて頭を下げ―――
「だ、大賢者様⁉ お、お力添えを頂き、なんとお礼を申し上げたらよいか……」
「か、感謝される、ほどのことじゃ……んんん! ボクは正義に従った、まで、なので……んしょ!」
奇跡を行使したその人は、歯を食いしばりながら何かを持ち上げている。
何だあのバカでかい……本?
目の前に置かれた同じ背丈ほどもある魔導書のようなものの背表紙を、力いっぱい持ち上げて、なんとか閉じようとしている。
大賢者は息を切らしながらようやく、ばたんという音と共にクソデカ魔導書を閉じきると。
周りの歓声を浴びながら背表紙についた紐に手を通して、背中に背負いなおした。
ローブの下から覗く細い足がぷるぷると震え、口元が真一文字に結ばれている。
「ぜぇ……ぜぇ……。へ、兵士さんたちも、大変、ですね……。野蛮なごろつきが出るたび、こんな大変なことを……」
「あぁ⁉ 誰がごろつきだコラ…………がはッ!」
「黙れ海賊風情が! ……大賢者様、本当にありがとうございました。身体強化までかけて下さり……。後はこちらで処分いたしますの……でッ‼」
言いながら衛兵はヴィストを思いっきり蹴り飛ばす。
瞬間、ヴィストの体が羽のように宙を舞った。
その体は野次馬たちの方へと飛んでいき、人だかりが割れる。
悲鳴も混じっているものの、その中には興奮したように騒ぎ立てる者も多い。
「ボ、ボスぅ……ッ⁉」
「これは凄い。身体強化も大賢者様の手にかかればこうも強くなるのですね。おい、奴らを縛り上げろ」
衝撃に耐えきれずヴィストは苦しそうにえずいている。
周りには強化された衛兵たち、そして後方には大賢者様。
こちらは拘束された獣人二人に、奇跡の使えない俺……
「てめぇ、よくもボスを……ごはッ‼」
取り囲む兵士に噛みつくズーに、隊長が頭を足で踏みつける。
男は憎しみを込めて、ガンガンと何度も頭を地面に叩きつけた。
鮮血と共に、何度も歓声が巻き起こる。
酷い、あまりにもひどい。
街を守る英雄が、大賢者の手助けを受けてごろつきを成敗する。
たしかにその構図は間違ってない。
けど、彼らがゲティアに帰れなければ多くの人が飢え死ぬんだ。
だから今回ばかりは……!
「おい、もう一人が走り出したぞ! 捕らえろ……!」
声と共に衛兵が迫って来るが、構わない。
この位置で、三分前に『遡行』……ッ!
「――――慈悲深き偉大なる主神よ、我に奇跡を‼ 『拘 束』……ッ⁉ な、なに……⁉」
突如現れた俺に賢者様が目を丸くする中、俺は力を込めてヴィストを突き飛ばす。
既に『硬化』を受けているからか、ヴィストはモノのように倒れて『拘束』を逃れた。
「避けられたっ⁉ で、でもまだ……っ」
賢者様が叫んで次の奇跡を使おうとする。
けど残念。
この状態のヴィストに触れ、八秒前に飛べば……!
「――――『回復』『身体強化』……ッ⁉」
八秒前に、衛兵たちへ向けた奇跡。
この奇跡は複数人を対象にしていた。
なら、その範囲内にヴィストが居れば、『回復』によって『硬化』を解くと同時に、『身体強化』も受けさせて……!
「……お、おい新入り⁉ いま、何がどうなって……⁉」
「せ、説明してる暇は有りません! とにかく、これで強化を受けられたはずです! このまま二人とも、急いで船に戻りますよ!」
眼を白黒させるズーに、俺は叫びながら戦況を確認する。
周りに倒れていた衛兵たちが、回復を受けて立ち上がってきているようだが。
「……よくわからねェがロナ、助かったぜ。こっからは……俺らに任せな」
こちらには身体強化を受けたヴィストが居る。
そう簡単に捕まると思うなよ。
「囲え! 敵は三人、こちらには身体強化がある! このまま捕えて……っ⁉」
「のんきに喋ってる場合かァ? 衛兵長さんよォ……!」
速い。圧倒的に速い。
十歩先の距離も、強化を受けたヴィストには一歩で足りる。
ヴィストの拳が兵長の体を捕らえたかと思うと、次の瞬間には吹き飛んでいた。
「か、かっけぇ……! おいロナ! 俺もあれやりてぇよ! ボスばっかずりぃだろ!」
「申し訳ないんですが、あれは俺の能力じゃないので無理です! さっさとボスについていきますよ!」
ガキみたいに目を輝かせるズーを引っ張って、俺は走る。
「怯むな、桟橋を死守しろ! こちらには大賢者様もついておられる! 向こうに勝機は……勝機、は…………」
叫ぶ衛兵は、途中で口ごもる。
なにかと思って賢者様を見やると、すぐに対応して奇跡を行使してくる……様子はなく。
「す、すぐに加勢するから……! い、今、ちょっと、索引を……」
大賢者様はあたふたと魔導書のページをめくっていた。
なんともしまらない。
「……支援は期待するな! だがまだ、『身体強化』がある! 絶対に負けないはずだ!」
諦められてる。
賢者様がポンコツで助かったが、『身体強化』兵に固まられるとかなり厳しい。
ヴィストはともかく、ズーの方は無強化状態なわけで。
ここは強化兵に構わず、一直線に桟橋へ……
「オラァ! どけぇええええええ!」
向かいたかったのだが、ヴィストの無双を見て勘違いしたズーは衛兵に殴り掛かる。
バカバカバカ! 手間を増やすな手間を!
その拳はあっさりと強化兵に受け止められると、そのままカウンターを食らい。
とてつもない衝撃と共に、白目をむいて吹っ飛んでいくところに……何とか指先で触れて、一秒だけ『遡行』してやる。
「ず、ズーさんは大人しくしててください! 今はボスを信じて!」
「……は? は? 今俺、殴られたんじゃ……⁉」
黙って大人しくしてろ!
ダメージも衝撃も消して、その場に落下したズーは目を白黒させている。
「クソ、数で押されるとキツいじゃねェか……! これを突破すんのは厳しィぞ! おいズー、転がってねェでさっさと加勢しやがれ!」
「え? あの、でも、今オレ……」
桟橋を塞ぐ、十五人余りの強化兵たち。
流石にこれ相手に二人じゃ無理だ。
でもここまでくれば、あとは遡行するだけ……!
「二人とも、手を出してください! 魔法で彼らを消します!」
目を丸くするズーに構わずに手を取り、ヴィストの肩を掴もうと地面を蹴って手を伸ばす。
触れさえすれば、後は遡行を――――
「……あ、あった、これだ! 慈悲深き偉大なる主神よ、我に奇跡を‼」
遠くから、大賢者様の声がする。
待て、『止めろ』、止めてくれ……!
と、心の中で叫びながら手を伸ばすも、もむなしく。
「『偉大なる壁』! 『停 止』! 『行動鈍化』!」
体に触れようとした手は空を切り。奇跡は……
「……へ? 不発? な、なんで、ぐ、『偉大なる壁』! 『偉大なる壁』っ……⁉」
賢者が何度唱えても、奇跡は起こらない。
……よくわからんが、助かった事だけは確かだ。
そのまま二人に触れて、『遡行』 十分前……ッ!
念じると同時に桟橋方面から衛兵が消え、後ろからどよめきが聞こえる。
後ろの群衆たちには、今しがた囲んでいたはずの海賊が消えて驚いている事だろう。
あとはもう、船に乗り込むだけだ。
「……おいロナ。その魔法って、衛兵を消して、代わりに賢者を出す魔法なのか?」
何言ってんだ?
怪訝に思って俺は桟橋の方を振り向くと。
「あ、あれ? 今きみたち、突然現れなかった……? な、何かの見間違い……?」
……変なところに戻ってきてしまった。
目の前には賢者様が、驚いて目をこすっていた。
「おいズー、変なこと言ってねェで手を貸せ。コイツだけは俺らが船に乗っても遠距離攻撃ができんだからなァ」
「え? な、なにきみたち、魔導書に興味があるの? ちょ、ちょっと? どうして魔導書を持ち上げるの?」
賢者様の後ろに回り込んで魔導書を持ち上げる二人に、困惑した様子の賢者様。
なんとも緊張感に欠けるやり取りの末。
「わ、分かったよ、降ろせばいいんでしょ。なんでそんなこと……よいっしょっと。……って、何で⁉ こら、担いでどこに…………ほ、本当にどこ行くの⁉ ど、どろぼう⁉ 泥棒なの!? え、衛兵ええええ! ど、泥棒に魔導書を盗られましたああああああ!」
「オラてめェら! 船をだせェ‼ ゲティアに帰ンぞ!」
……そんな方法でいいのか。
ヴィストは魔導書を担ぎながら、桟橋を駆けて吠える。
「ま、待ってよおおおおおおおお⁉ ぼ、ボクの魔導書おおおお!」
「全速前進! お前ら、命がけで漕げェ!」
涙目になって嘆く大賢者様を尻目に、俺たちは動き出した船に飛び乗った。
「ま、待ってええええええ! ボクの魔導書かえしてよおおおおおおお!」
……可哀想に。
事態に気づいた役人が、後ろからボートが追いかけて来る。
が、その差はぐんぐん開いていく。
ゲティア―ヘロシュ間を四時間で移動できる奴らに、どうやったって敵うはずがない。
追いかけてくる船が諦めたのが見て分かると、また一段と大きな歓声が船に満ちた。




