3 麗しき教皇様の汚部屋
「ほ、本当にゼヘタ様が……歩いてらっしゃる……!」
「なんと神々しい……生きていてよかった……」
「本当に、こんな日が来るとは……おおゼヘタ様……」
「これでようやく、苦しい日々が救われる……」
周りを取り囲む民衆の声に、俺は聞こえないふりをしながら歩みを進める。
……だから誰なんだよゼヘタ様って!
中には一度その体に触れようと手を伸ばしてくるものもいるが、護衛がそれを許さずに引きはがされてしまう。
アイドルの握手会じゃないんだから。
「……皆さま、お控えください。こちらが修道院でございます。ゼヘタ様の御所は二階にございますので、こちらからどうぞ」
言いながら、俺が入った後の扉を締め切ってしまった。
扉の向こうからは民衆の落胆の声が聞こえてくる。
「……では、こちらに」
俺は感謝の意も伝えずに厳かに頷く。
その方が威厳ある神っぽいからなんだけど、つい癖で頭を軽く下げたくなるのを我慢している。
名をニーアと言う、ぴこりと猫のような耳の生えたすらりと背の高い獣人の修道女さんだ。
歩くにつれて尻尾がゆらゆらと揺れている。
常に無表情で落ち着いた態度を崩さず、相手が神だろうが何だろうがあまり気にしていないように見える。
ところで。先ほどからゼヘタ様ゼヘタ様と呼ばれているが。
どうやら俺は今、ゼヘタとか言うゼタ様のパチモンみたいな神だと思われているらしい。
だから今俺は、大勢の人々を騙した信仰で生きている。
そんなことは、完全に間違っている。悪だ。
けど、それを正すと同時に俺は死ぬわけで……
と、脳裏にゼタ様の顔が浮かんでくる。
『あなただって、自分の命と悪行を天秤にかけたとすれば、命を取るはずです』
……そりゃあ、かかってるのが俺の命だけなら潔く死にますよ。
でも、俺には使命があるんです。
だから仕方なく、この状況を甘んじて受け入れるしかなくてですね……
本当なんですゼタ様。
別に俺は、命惜しさに人を騙してるわけじゃなくて、より大きな使命のために……!
脳内でほおを膨らませて詰め寄って来るゼタ様に言い訳をしながら、俺は修道院の階段を上る。
実際の所、今すぐにこの誤解を解くのは難しいだろうな。
けど、このままずっと民衆を騙し続けるのも難しい。
だからせめて教皇様とかにはちゃんと説明をした方がいいんじゃないのか?
考えながら俺は、白い大理石の床を鳴らして二階の廊下を進み。
「こちらが教皇室でございます。その奥に御所がございますので、中にお入りください」
一番奥の部屋の前で立ち止まったニーアさんが、そのまま扉を開いてくれた。
ここが、教皇室か。
広々としながらも落ち着いた雰囲気の部屋。
ソファのある応接スペースと仕事用のデスクが分けられ、デスクには書類が山積みになっていた。
……教皇ってのは、そんなに仕事があるものなのか?
下界ではあらゆる行動が物理的なモノと結びついているから、天界に慣れてるとごちゃごちゃした印象を受ける。
南向きの大きな窓からは柔らかい日差しが差し込んできている。
その右手奥にある扉が、御所とやらに繋がるのだろうか。
「教皇様が……どこかにいらっしゃるはずなのですが。早めにお部屋へ戻られたと……」
言いながらニーアさんは辺りを見回す。
確かに、教皇の姿が見当たらない。
話がこじれる前に、教皇様にはまっさきに話そうと思っていたのだけど。
ニーアさんは小さく首をかしげると、しずしずと部屋の奥へ歩みを進める。
絢爛な装飾の施された扉に手をかけ、ニーアさんは目を伏せた。
「どうぞ、こちらが御所でございます」
こっちにいるってことか。
少し気まずいが、なんとかして誤解を解かないとな。
大丈夫……な、はず。
気難しい爺さんとかじゃなさそうだったし、民衆からの信頼も厚そうだった。
確かにちょっと驚かれるだろうが、相応の説明をすれば分かってくれるはず。
覚悟を決めて開かれた御所への扉に、俺が足を踏み入れる。
……と。
「わああああああああああああああ……! どーなってんのよ、もおおおおおおおおおおおおおおお!」
耳をつんざくような叫び声に思わず耳を押さえると、そこにいたのは――
部屋の中央のベッドにうつ伏せになった……亜麻色の髪を伸ばした女性。
黒い修道服がしわになるのも厭わず、その人は枕に顔を埋め、足をバタバタさせている。
「……グラシア様、御来客が」
「なああああああああああ‼ 無理無理無理どうなってんのって! なんで今日に限ってこんなことになるかなぁ! 今日までの辛抱だからって、頑張って来たのにさぁああああああああ!」
枕に顔を沈めたままに叫びちらかす……教皇様にニーアさんは歩み寄る。
視界に入ってくるのは、ぐちゃぐちゃになったベッドと寝具。
床には足の踏み場も無いほどに読みかけの本と、脱ぎっぱなしの衣類が散らばり。
くずかごからはこれでもかというくらいにゴミがあふれている。
……なんだこれ。
「その、グラシア様」
入り口で呆然とする俺を横目でちらりと見てから、ニーアさんが肩を叩くと。
グラシア教皇は体を震わせてがばっと起き上がると、ニーアさんの肩をがしりと掴み。
「もー全部おしまい! もう首を吊って死ぬしかないのおおおおおおおおお! わたしも、あんたも! わあああああああああああああああ!」
「で、ですから、グラシア様……」
なにこれ。情報量が多すぎる。っていうかこの涙目の子は誰なんだよ。
教皇様は目をうるうるとさせて、ニーアさんの胸に情けなく顔を埋めている。
あの神秘的で奥ゆかしげな、麗しい教皇様はどこに……
「その、ゼヘタ様がそこに……」
「もおおおおおおお! わたしはどうすればよかったわけ⁉ この状態のゲティアを立て直すとか、どー考えても無理でしょ⁉ この国はどうせこのままぼろぼろに崩れて、わたしも、殺されるのぉぉぉぉぉ……」
大声で泣き叫ぶグラシア教皇に、ニーアさんは閉口してこちらに目線をやる。
いや、俺にどうしろと。
「全部あの男が悪いのよ! あの男があんなとこに現れなければ今頃! 次会ったらこの手で首を絞めて、わたしの人生をぐちゃぐちゃにした罪を償わせて……。なによニーア、さっきからずっと目を背けて…………」
……あ。気づいた。
かたまった。
涙を一旦袖で拭いて。
咳をして、喉を整えて……
祭壇の上で見たような、取り繕うような笑みを浮かべて。
「い、今のは……聞かなかったことに……して……いただけ…………ませんか?」
まるで教皇かなにかのような言葉遣いになった教皇様は。
赤くなった頬を指でかきながら、そう提案した――




