24 時間遡行の使い方
「――――で、では、銀貨九枚……いや、銀貨十枚差し上げますので!」
ここだ。ちょうどいいところに戻って来れたな。
商人が言うと、獣人は振り上げた拳を収める。
タイミングはばっちり。
これらが贋作だということに納得がいって、はした金で良いからと買い取りを承諾する……ところだ。
「……そうだな。じゃあ、これは置いてく。銀貨を寄越せ」
「は、はい! まいど……! ……あ、お客様ですか? 少々お待ちいただけますか、商談が済み次第対応させていただきますんで……」
銀貨を手渡すところで二人の前に踏み出すと、商人がこちらに気づき、腰を低くしてそう言うが。
「いや……俺は客じゃなくてですね。何か変な商談だなぁと、傍から見て思っただけです」
「は、そ、それはどういう……」
「あァ……? なんだァてめぇは。人の取引にケチつけるつもりか?」
商人が戸惑う一方で、獣人は敵意をむき出しにして来る。
つま先とつま先がつくほどの距離にまで近づいてきて。
鼻息やらなんやらで、生命の危機を感じさせられる。
「随分と酷い取引じゃないですか。これだけ多いとはいえ、贋作の食器ですよ? そんなものを銀貨十枚で買い取れって?」
「お、お客様……?」
あえて動じないふりをしながら続ける俺に、商人の方は冷や汗をだらだらに垂らして怯えている。
俺だってちょっと怖いが、ここは何とか堪える。
「そんなものを店に並べてたら安く見られるでしょうし、重いし、場所を取るし。タダでも引き取りたいと思う人は少ないんじゃないですかね。それを銀貨十枚で買い取らせるなんて、どうも不公平な取引じゃないですかねぇ」
「あァ⁉ てめぇ、俺が誰だか分かってクチ聞いてんのかァ……⁉」
「それにもう一つ。宝なんて腐るほど見ている海賊が、海上とは言え偽物に気づかないなんてことがあるんでしょうか。これじゃあ、最初から偽物だって分かってて売り払おうとしたようにも見えてしま……ッ!」
胸倉をつかまれ、体が宙に浮く。
目の前に迫った獣人の顔には、怒りで血管が浮き出ている。
「てめぇ、死にてェのか? これ以上この取引にケチをつけるつもりなら、自分の内臓を見ることになンぞ」
長く冷たい爪を、ゆっくりと頬に押し当てて来る。
興奮した鼻息が顔に当たって、そのたびに本能的な恐怖に背筋が凍る。
でも、ここは踏ん張り時だ。屈するわけにはいかない。
「ケチ、と言えばそうなのかもしれませんけど。でも、おかしな話じゃないですか」
「……何がだ」
「ユゴルアの豪商が大きな取引をするために高価なものを海路で運びたがっている。でも海賊に襲われるのが怖い。そこでダミーを用意することにした。そこまでは良いです」
「良く聞く話だ、全然不思議な話じゃねぇ。俺らがダミーを襲って、宝をマティアに持ち帰るまであいつらは安全に動けるわけだからな」
海賊のくせに案外いいパスをくれる。
まさにそこが、問題になるのだ。
「そう。これだけ長くの時間を拘束しておけば、本物の船の方は安全に航海できます。今からユゴルア周辺の海に急いでも、恐らく間に合わないはずです」
「そりゃ分かってんだよ。繰り返さなくても」
「……失礼しました。でもここが大事なんです。彼らの目的を達成するには、あなたがたがダミーの船を襲うだけでは不十分です」
「不十分? どういうことだ?」
「時間稼ぎをするなら、ダミーの船を襲わせただけでは不十分。つまりその上で、船の中の偽物をゲティアに持って帰らせる必要があるんです」
「……何が言いたい。もったいぶってねぇで早く言え」
「つまりですね。船に乗っている品物が偽物だとすぐにバレてしまうと、計画は台無しになるってことです」
獣人は眼を見開いた。
俺の言いたい意味が分かったらしい。なかなかに察しが良い。
そのままゆっくりと腕の力を緩めると、目の前から離れる。
血の気の引いた、真っ青な顔の商人の方へ。
「……なるほどな。すぐにニセモノだって看破できる品物ばっか乗せてたら、俺ら海賊はそれをゲティアまで持ち帰ってくれないかもしれねェってわけか。偽物の船を用意するような奴らだ。そこに手抜かりがあるわけはねェ」
「その通りです。積み荷が偽物だとバレたら、それこそ怒り狂った海賊たちがその真意に気づき……本物の船が襲われてしまうわけです」
「ニセモノを本物に見せかけるには常套手段ってもんがある。裏稼業に理解のあるお前に分からねぇわけないよなァ……?」
引きつった笑みを浮かべて、獣人は商人に詰め寄る。
商人はもうほぼ白目をむいていた。
「そう、偽物の商品の山の、表面だけを本物にしておくことです。おそらくですが、今その方が持って居る金のゴブレットは偽物なんかではなく、本物の金のはずですよ」
獣人は商人からゴブレットを分捕り、先ほどの磁石を近づける。
カチカチとやってもやはり、全く反応を示さなかった。
「なるほどなァ。道理で船の上じゃ本物に見えたわけだ。本物を見て本物だって思うのは当然だからなァ」
商人はわなわなとへたり込み、獣人は牙をむき出しにしていた。
体を怒らせ、今にも腹を掻っ捌いて殺してしまいそうだ。
「一枚でも純金の食器がありゃ、それだけで金貨十枚は下らねぇ。それを全部合わせて銀貨十枚だァ……? てめぇ、覚悟はできてんだろうなァ……‼」
握られた拳は嫌な音を立てて鬼族の店主の腹にめり込み。
倒れたところを馬乗りになって次々と拳を繰り出す。
相応の報い……だと思って眺めるも。
獣人は、歯が折れても血が流れても、殴るのを辞めようとしない。
しまいには意識を失った商人に、とどめを刺すように拳を振り上げ……
「ま、待ってください。いくら何でも、それ以上殴ったら……ッ!」
流石に止めようとした腕を掴んだところで、腹部に重い衝撃を受ける。
「か、かは……っ!」
こ、呼吸が……!
「……るせェ。俺のすることにケチつけンな。今の話には感謝してるが、それ以上の指図は許さねェ」
獣人の一睨みで体がすくむ。
しかし……人が殺されるのを、神として見過ごすわけにはいけない。
俺は深呼吸をし、再び獣人の腕を掴もうと。
「……ぐっ!」
して、また大きいのを貰ってしまった。
今度は耐え切れず、思わず倒れ伏してしまう。
「黙って見とけ。これ以上邪魔するならァ……殺すからな」
痛みと恐怖で、指一本動けない。
悪を、止めなくてはいけないのに。
正しいことをするべきなのに、どうしても体が動かない。
体を起こしてまた歯向かえば、痛い目に合う。
痛いのが、嫌なのだ。
痛い目に会うくらいならば、悪を受け入れてもいいと思えるほどに。
暴力だけが、下界の秩序の根拠だと、知識として知ってはいた。
……しかし、ここまで強い法だったとは。
俺は、深呼吸をする。彼を止められるほど、俺に力はない。
それでも神の端くれとして、正義に反する力を許すわけには……
『遡行』 十秒前……!
念じると同時に、目の前に拳を振り上げた獣人が現れる。
が、それは的外れなところを殴りつけ。
「あ? 今どうやって避けて……?」
目の前で、獣人の拳が空を切る。
五秒前の俺と、今の俺は位置が違う。
上手く遡行で時間を合わせれば、俺が瞬間移動して攻撃を避けたように見せることが出来る。
「力による支配は感心しません。自分と他者の利害が衝突した場合は、他の方法を用い……うぐッ!」
「何を馬鹿なこと言ってんだ。俺をイライラさせる前にさっさと――」
そ、『遡行』 五秒前……!
「……ッ⁉ ま、また目の前から消えやがった……⁉」
「だから、無駄です。何度俺を殴ろうとも……がッ!」
殴られた腹を庇いながらよろよろと立ち上がり、『遡行』を念じ……!
「……動きが見えねェ、ってわけじゃなさそうだな。明らかに魔法かなにか使ってんなァ。てめェ、何モンだ?」
三度目、四度目の拳がまたも空を切り、五度目の遡行でようやく獣人は臨戦態勢を解いた。
「別に何者でもないですよ。ただ……目の前で暴力が行われていることに我慢がならないだけです。……まだ続けますか?」
「……もういい。俺の拳が当たる気がしねぇのは初めてだ。さっきの話といい、今の戦いといい……どうもただもんじゃねェ事だけは分かる」
それから床で伸びている商人に、吐き捨てるように言った。
「……こいつに免じて、てめェは許してやる。もう二度と俺を騙すようなマネすんなよ」




