22 不可能な本題
ソレに触れてしまったドルエズは、情けない声と共に、びくりと手をひっこめる。
その動きを見て少しの間グラシアは目をぱちぱちさせるも。
「……それでいいのです。二度としないように」
言ってグラシアは座り、イザヤに頷きかける。
貴族の方から嘲笑うような声が上がる。
ドルエズは有力者のようだが、全員とおともだちというわけではないらしい。
……まったく。
ドルエズは触った手と、俺の股間を交互に見て怯えている。
こいつがソッチもいける口じゃなくて助かった。
触ったうえで、お得だなんだと言い出したら詰んでた。
「……エンデ王国への態度は、別に協議の必要がありそうです。ひとまず、話を進めます」
グラシア様は一度手元に目を落とし、カップを手に取って喉を湿らす。
まだ議題はあるらしい。まぁそうだよな。
戦争の事は大きな問題だが、一日後に教皇室を突破して来た人々は、魔族軍にも敵国の兵士にも見えなかった。
あの鋤や鍬を持った人々は、どうみてもこの国の農民だ。
となれば……直接的な原因は他にあるはず。
そう身構えていると、イザヤからそれらしき話題が上がって来た。
「目下の問題は、食料の異常高騰ですっ! 冷害に続き、噴火の被害によって作物が市場に出回りづらい状況にあります! また多くの農家は全ての収入と財産が無くなってしまった状態で、教会の方で保護または援助をする必要があります!」
「……また貧乏人共の心配か、くだらん。値段の高騰など、価値の上昇ととらえれば大いに結構なことではないか」
不機嫌そうにドルエズは漏らすと、協議会に野次の声が満ちる。
……すごいことを言うなコイツは。
「あなた方貴族にも、現状を引き起こした責任の一端があります! 投機目的で大規模な穀物類の買い占めを行う者も多くいるとか! 穀物は生きるために食べる者であって、金儲けの道具ではないのですよっ!」
イザヤに賛同するような平民からの怒号に対して、机についている貴族たちはにやにやとそれを眺めている。
趣味が悪いなぁ、下界の生物同士仲良くできんものかね。
そう呆れていると、グラシア様が横から口を挟む。
「国家事業としての輸入を進めれば投機は収まると考えていましたが……ここで様々な問題が露呈しています。最も大きいのは、内海に蔓延る海賊による貿易の妨害です。掃討作戦も組まれましたが……失敗に終わりました。これによって内海を直接通ることは断念されています」
「なら、安全な沿岸部を通れば良いのではっ!」
「それが現実的だとして事業を進めました。しかし道中の港で取り立てられる通行税が嵩み……食料品の高騰は進む一方です。また、沿岸を通ると時間もかかり……輸入先のヘロシュ公国などは往復だけで六日ほどかかってしまいます。内海を通った場合は往復一日であることを考えると、大きな損失です」
なるほど。
この世界の地理は把握してないが、近道をしようとすると海賊に邪魔されて。
遠回りしようとすると今度はコストが嵩むという事だろうか。
ヘロシュ公国とやらも……事前調査で見た覚えがある。
確か……樹命族、薬屋の爺さんの種族の国だったか?
「だとしても先月比で五、六倍にも跳ね上がっているとか! 流石にこれは高すぎます! どう考えても、間で中抜きが行われているようにしか見えませんっ!」
「それについては把握していませんが……分かりました。すぐに調査を命じます。それでもう一つ……食料備蓄の放出についての進捗は?」
グラシア様は傍の役員に尋ねるも、どうも答えは要領を得なかった。
検討しているところだの、問題が生じているだの。
その答えに教皇は、一瞬だけこちらへ鋭い視線を向けた。
なにかと思ってびくりとするが、どうやら勘違いだったらしい。
イザヤの隣に座り、先ほどから発言をせずに目を瞑って議論を傍観する男。
捻じ曲がった角に浅黒い肌を持つその男。
このタイミングで睨むという事は……
疫病対策は、ディアロ派の妨害工作によって満足にできなかったらしい。
今回の食料放出も、こうして時間稼ぎされてるんだろうな。
その結果があの教会襲撃だとすると……なるほど、だんだんわかってきた。
と、そこまで一言も発していなかったその男が、ゆっくりと口を開く。
「教皇殿の予言では、神の降臨と共にすべての問題が解決するとの事だったが……随分と酷い惨状のようだ。神もお疲れの御様子か?」
「どうしたのですかディアロ。まさかとは思いますが、主のお力を疑っているのですか?」
信じてないのはあんたもだろうが。
静かになった協議室の中、お茶を淹れながらその顔を盗み見る。
「恐れ多くてそんなことは口が裂けても言えないが……この状況が続けば、人々も疑いを持ち始めるはずだろうな、と」
目を瞑りながらそう呟くと、協議会に再び囁き声が戻っていく。
自分で議会を妨害しておきながら、表では偽物説を広める。
恐らく明日には、高騰した食料をめぐって民衆の不満が爆発し……暴動が起きるに至るのだろう。
このままでは生きていけない、あの神は偽物に違いない……! と。
なんとも難しい課題だが、信仰が失われては死あるのみ。
だけど、行政を動かすという手段はとれない。
食料品の輸入だの、備蓄の放出だの、ちゃんとした手は打っているのに……ディアロ派の妨害によってまともに動けていない。
つまり今回も、個人レベルでやれることを探すしかないわけだが。
……無理じゃない?
先週はたまたま、優秀過ぎる爺さんを味方に引き入れられたおかげでなんとかなったけど……
食料品を市場に大量に出回らせ、物価の高騰を抑える。
これを国の力を使わずにどうにかしなきゃいけない……?
しかも、このギリギリで生きている状態の信仰じゃ、もう降臨以前に戻っても直ぐに死ぬ。
簡単に言うと今は、貯金が無い状態で。
信仰という収入がわずかでも得られる時間軸にしか戻れない。
だから戻れるのはせいぜい一週間前まで……
じゃあ今からすることは、一週間前に戻って、この身一つで市場に食料を大量に出回らせて、物価を大幅に下落させること。
できなければ神は偽物だとバレて信仰を失い、死ぬ……と。
どう考えても無理、なんだけど。
諦める事だけは許されていない、ここにかかっているのが俺の命だけならまだしも。
より大きな『使命」のために、やれることはやるしかない。
「……ふん。伝染病が収まっていなければ、食い扶持が減ってまだマシだっただろうに。無駄飯食らいの貧乏人共が生きているせいで、このままではゲティア全土が共倒れになりかねん。あの疫病は、ごく潰しの虫どもを減らす好機だったというのに……」
…………。
じゃあ、せっかく過去に戻るんだし。
と、来た道をつかつかと戻る。
周りの数人はその異様な雰囲気を感じ取ったのか、俺の方へと視線を向けて来るが。
「喚くな貧乏人共、貴様らの命なぞ儂の一存でどうにでも…………おい、なんだ。儂に何か……ま、まて、それをどうするつもりだ……っ⁉」
恐怖の表情でこちらを見上げるドルエズの頭の上で俺は、熱々のティーポットをゆっくりと傾けた――――




