20 一週間後の世界
「もーろくジジイどものせいで議案は通んないし! あの偽物もどっかに消えたし! こんなんどうしたら……ッ⁉」
窓の傍にいたせいで、グラシア様の執務机の目の前に飛んできてしまったらしい。
グラシア様は羽ペンを握ったまま、目を丸くしてこちらを見上げている。
教皇様、元老たちのこと耄碌ジジイって呼んでるのか。
「……あ? え? なんであんたそこに……」
「えっと……驚いてる所悪いんですが、今がいつなのか教えていただけませんか。随分と眠ってたみたいで」
「……は? な、なに? いまあんた、急に現れなかった?」
「できれば、処刑の日から数えて何日後なのかを教えて頂きたいのですが」
「……質問に答えなさいよ。たぶん、五日くらいだと思うけど。ていうかここ最近どこに消えてたわけ?」
「寝てました。ちょっと眠りが深かったみたいで」
はーあ? と訝しげに眉を潜めるグラシア様。
正直に言っただけなんだが、誤魔化していると思われたようだ。
掘り下げられても困る、ここは話題を変えないと。
「そんで今、どっから現れて……」
「ニーアさんはどうなったんですか? 五日前……に倒れて、そのあとのことを全く知らないんですが」
「なんで質問に答えないのよ。ムカつくわね」
説明しづらい事情があんだよ。勘弁してくれ。
俺がかたくなに説明を拒んでいると、教皇様は諦めた様子でこちらを見上げる。
「ニーアね。あの子なら、昨日ちゃんと完治してるわ。でも大変だったんだからね? あのエイゴンさんが行方不明になった思えば、今度は白衣の死事件に関わってたことが分かったみたいで……」
グラシア様は立ち上がって、ぐいぐいと指を突き付けて来る。
白衣の死の話って、教皇の耳にも入ってるのか。
「それで……お医者さんの手を借りずに、ニーアさんは回復したんですか?」
「いや? 医師会に捜査の手が入って色々大変だったところに……医療の心得があるっていう人が名乗り出てくれたのよ」
なんだそのうさん臭いやつは。
医師でもないのに医療の心得があるって、どう考えてもヤブ医者……
「あ、もしかしてご老人だったりします? 樹命族のお爺さん?」
「なんでそんなピンポイントなのよ。ふつうの人間族の、女の子だったけど」
「人間の女の子……じゃあ、黒髪の?」
俺が言うとグラシア様は目を見開いて、机越しに身を乗り出してくる。
「な、なんでわかったの……⁉ 黒髪の人間族なんて見たことないから珍しいなーって思ってたんだけど……それにしてもなんで? 隠れて見てたわけ?」
「え、ええ……まあ、ちょっと心当たりがあると言いますか……。お、落ち着いてくださいグラシア様、インクが垂れますよ」
またも誤魔化す事しかできない俺に、グラシア様はペンを置きながら訝しむように目を細めた。
「てか、ここ最近急に伝染病が収束して……皆が神の奇跡だって騒いでんのよね。なんかあの降臨のときから、急激に病人の数が減ったみたいで。……ねえあんた、ほんとに何もしてないわけ?」
グラシア様は半信半疑といった様子でおでこをつついて来る。
なんとも説明のしづらい質問だな。
「い、いえ、俺は何もしてませんよ。それこそ現場で頑張ってらっしゃるお医者さんとか、教会の疫病対策が実を結んだんじゃないんですか」
「……本気で言ってる? 医師会は凄い不祥事が見つかったし、医師会からの指示も意味わかんないモノばっかりだったけど?」
「不祥事の件は擁護できませんけど、指示の方に罪は無いじゃないですか。素人には分からない指示だっただけ……とか」
俺が苦し紛れに反論するも、グラシア様は納得いかないようで。
「いーや絶対違うから! 三日前のやつとか……井戸の水が濁っているのが問題だから、漂白剤で綺麗にしろとか言ってきたのよ?」
「……漂白剤で、水を?」
「ね? 服の汚れと病気を一緒にするとか、どう考えてもおかしいでしょ? 一応政府としても対策をしてるフリはしないとだから、貴族が使ってる漂白剤を買い取らせてもらって、それを井戸に入れさせたけど」
……なるほど。やるな、あの爺さん。
漂白剤にいわゆるプールの水の消毒と同じような作用を発見して、井戸を消毒したのだろう。
確かにこの世界で消毒をするとなると、それが一番手っ取り早いか。
「まーでも助かったわ。なんか偶然なのに勝手にみんなが勘違いしてくれて。ニーアの暗殺も不発で、ディアロ派は歯ぎしりしてるでしょうね」
どうだろうな、二日後には暴徒に囲まれることになるんだけど。
しかしなるほど、ここまでは全部うまくいっているらしい。
ならなおさら、何で未来ではあんなことに……?
と、扉を叩く音と共に声がした。
「グラシア様。協議会のお時間です」
そこに立っていたのは、猫耳の修道女、ニーアさんだった。
見たところ体調は悪くなさそうで、猫背とは無縁な背筋の伸び方をしている。
「あ、ご、ごめんなさい、また忘れてたわ。……もう、あんたが急に現れるから、議会の事忘れちゃってたじゃない。ほらほら、そこどいて」
「お、俺のせいですか……? あ、でもニーアさん、無事体調が戻られたんですね。元気そうでよかったです」
と、グラシア様に押しのけられながら、俺がニーアさんに笑いかけると。
「…………はあ」
ものすごーく嫌そうに顔をしかめ、すぐにニーアさんは踵を返した。
あまりの対応にびっくりしていると、グラシア様が煽るようにニヤニヤしながら追随して部屋を出ていく。
なんだおい。こちとら神様だぞ。
なんで下界の生物如きにそんな対応を……
もやもやしながら後をついて行こうとすると。
窓際の来客をもてなす小テーブルに、紙切れが置いてあるのに気付いた。
置手紙だろうか。
内容を見る気はなかったが、ゼヘタ様という文言を見つけて立ち止まる。
それから軽く文面を見て……思わず眉をしかめた。
『おはようございます、ゼヘタ様。お陰でニーアの体調は良くなり、感謝の言葉は尽くせません。ニーアも感激しておりました、代わりにお礼申し上げます……』
……? グラシア様の手紙か? それにしては変だが。
ニーアさんの態度も、感激してるように見えなかったし。
言葉遣いが丁寧なのは……教皇室に置いてある以上誰かに見られることを考慮してるのだろうか。
でもそれなら初めから御所においておけばいいのに。
いや、あれだけ汚いとメモに気づけないか。
……まぁいいや。続きを読もう。
『さて、下界の暮らしはいかがでしょうか。ストレスが溜まっておられるでしょう。そうでしたらご遠慮なく、女を抱いてくださいませ。特に、年頃の女であればニーアなどが宜しいかと存じます。きっとお気に召されるはずです。お体にお気をつけて。グラシア』
……どゆこと? 抱く? ニーアさんを?
口調だけじゃなくて、文面の意味もよく分からない。
ゼヘタ神が性豪なのかは知らんが、なんで病み上がりのニーアさんを……?
でもこれ……明らかにグラシア様の筆跡ではあるんだよな。
執務机の上の一番上にある書類、通商許可証の文面と見比べても全く一緒。
サインだけじゃなくて文字の書き方も。
『教皇グラシアの名において通商の許可を与える……』
うーん。やっぱり同じに見える。後で訊いてみるか。
一応人に見られるとまずいだろうし、しまっておこう。
……などとやっていたら、いつの間にか二人とも何処かへ行ってしまっていた。
協議会とやらには興味がある。
どうして暴動が起きてしまうのか、その理由を掴めるかもしれないし。




