11 過去の世界とボケ老人
「どこからあらわれた? いま、急に……」
不審さを隠す様子のないシャノンさんに指先でつつかれ、俺は体の傷を確認しながら立ち上がった。
「こ、ここは……?」
不審げなシャノンさんから顔を逸らしながら、思わずそう漏らす。
体は……無傷だ。ナイフで刺された跡は見当たらない。
と、いうことは……
「ほ、本当に……過去に戻った…………?」
「……かこ?」
不思議そうに首をかしげるシャノンさん。
獣人も居ない、シャノンさんも死んでない、俺も無傷。
なのに、どこか息苦しい。
「……どろぼうなら、やめて。盗るものはないから」
「ど、泥棒……? こんな小さな薬屋に、泥棒が白昼堂々入るわけ――」
「失礼などろぼう。はやく……出て……いって」
俺の弱い弁明に、心を閉ざしてしまったシャノンさんは両手でぐいぐいと押し出してくる。
……けど、びくともしない。
ほっそい腕とひ弱な体躯で押されたところでな。
「んん……は、やく……でて、いって……」
思い出せ、確か遡行のルールでは……
時間指定をしてない場合は、一週間前に戻るようにしたはず。
一生懸命押してくるシャノンさんを一度意識の外において、腕を組みながら状況を整理する。
なら今はまだ、俺という存在が人々に『信仰』されてない時間軸なのか。
だから苦しいというか、寿命がガンガン削られる感覚があるというか。
「……ね、聞いて、るの……? 出入り、禁止にする、よ……。先生に、失礼などろぼうが来たら、追い出すように……いいつける、から……」
「その報告だと、先生も困ると思いますが。それより、お聞きしたいことがあるんです、薬のことについて……」
「……うる、さい。さっさと、出ていって。出て行かないと……」
腰元に抱き着いて薬屋から押し出そうと来る無礼な下界の生物ともちゃもちゃやっていると、扉の開く音と共に背後から声がした。
「帰ったぞシャノンや。今日はもう礼拝の時間だから、店を閉めて出かける準備を……」
入り口に立っていた老人が、怪訝そうに眼を細めると。
「……なんじゃ、なぜ男などと抱き合っておるのだ。シャノンもそういう年頃なのはわかるが……」
姿を現したのは、腰の曲がった老人。
その怪訝そうな顔に、俺は……
「あ……! あの、井戸の……!」
思わず声を上げる。
樹木のような髪質と、そのしわだらけの顔に見おぼえがある。
「井戸? ……あぁ、儂の放尿を見たのか! いくら儂のいちもつが魅力的だろうがあまり関心せんぞ、人の恥部をのぞき見する趣味は。おいシャノンや、残念だがこの男は辞めておけ!」
「の、のぞき……? どろぼうじゃなくて、へんたい……?」
なにを言ってるんだこの二人は。
意味の分からないことを言う老人に、シャノンさんが手を離してじりじりと後ずさる。
「違いますよ。あなたの鼠径部にのぞき見する価値がある前提で話をしないでください」
「先生、このひとはへんたいどろぼう。手伝って。追いだすの」
じっとこちらを睨みつけて来るシャノンさんに、老人は腰を起こし。
「……何ぃ? 泥棒だと?」
「ち、ちがいますよ。これはただの誤解で……」
シャノンさんも、ややこしくなるようなことは言わないでくれよ。
老人は表情を一変させ、目を細めて睨んで来る。
「なら、昨日の泥棒は貴様だったのだな? 上の部屋を派手に荒しおって……その上、戻って来てシャノンまで狙おうとするとは業の深い!」
「き、昨日……? いったい何の話を……」
困惑する俺には構わず、老人は唾を飛ばしながら罵って来る。
「とぼけるな『白衣の死』の手先め! わしの大事な告発文をくすねておいて……医療の名のもとに殺人を犯し、民を苦しめ肥え太る悪魔どもが!」
「は、白衣の……? なんですかそれは――」
「貴様らの陰謀のせいでどれだけの無辜の民がこうして苦しんでいるか、分かっているのか! これで真実を隠蔽したつもりかもしれんが、儂は負けんからな!」
本当に何の話をしてるんだこの爺さん。
ボケ老人という奴を始めて見たが……普通に怖い。
下界の生物というのは、たった数十年で脳機能が低下してしまうと聞いたことはあったが。
「この告発を止めたければ、この心臓を止める事だ! ほれシャノン、手を貸せ、こやつを外に出すのだ!」
「……へんたいどろぼう、はやく出ていって」
頭の血管が切れそうなほど顔を赤らめて怒鳴る老人と、完全に軽蔑の眼差しになったシャノンさんにぐいぐいと押される。
「え、いや、そんなつもりじゃ……痛い痛い! わ、分かりましたから、出ていきますから、そんなもので叩かないでください! シャ、シャノンさんはどこ触ってるんですか……!」
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……なんなんだまったく、冤罪もいいとこだ。
あと変態泥棒って呼ぶのやめてくれ。こちとら神様だぞ。
心の中で悪態をつきながら、辺りに目をやる。
「……あれ」
違和感を覚えて道の先まで見通すも……座り込む病人がいない。
そうか、ここは過去なんだ。
この時点では、疫病はそこまで爆発的に広がってないと……
「……もしかしてこれ……チャンスなのか?」
この一週間で疫病を出来るだけ抑えて未来にもどれば……神の降臨と共に疫病が完全に収束した、みたいな演出も可能だろう。
とはいえ、殆ど力は残ってない。
一週間も動き続けることはおろか、もう一時間も持たなそうだ。
奇跡も使えないし、寿命が短すぎて何もできないとなると。
やはり、人を使うしかないだろうな。
天界でやってきたことと同じだ。
問題に対して、それを解決できる人材をぶつける。
俺は振り返って薬屋の扉を見やる。
すると扉の掛札に「Closed」と書かれているのが見えた。
少し違和感を覚えたが、何のことは無い。
老人が先ほど、『店を閉めて出かける準備をするように』と言っていたことから、この札をひっくり返して――――
ふと、一つ記憶が呼び起こされる。
暗殺者の獣人とすれ違ったときのこと。
あのとき獣人は、俺が薬屋に入ろうとしたのを怪訝そうに見つめ、一度振り返った。
そして驚いたように目を見開いたのは、この掛札を見たからじゃないのか?
そうだ、「Closed」にして人が寄り付かないようにしておいたはずなのに、俺が店に入ろうとしている。
おかしいと思って振り返ると、「Open」になっていた、だから驚いた。
……とすると、誰かが掛札をひっくり返したことになる。
当時客は室内に居なかったし、シャノンさんも変わらず受付に座っていた。
となると、その掛札をひっくり返したのは……俺の直前に入ったはずの老人。
じゃあ……俺がシャノンさんと話していた時既に、暗殺者は薬屋の中にいたことになる。
既に受付に座るシャノンさんには目もくれず、暗殺者が奥に潜んでいたという事は……
あの獣人の目的はシャノンさんじゃなくて、老人の方だった?
……にしても、あの爺さんを殺す理由ってなんだ?
井戸に小便をかけられるのが迷惑だから?
そんなしょうもない理由で殺すのは流石に……
――――この告発を止めたければ、この心臓を止める事だ!
もしかして、一週間後の殺人と『告発』とやらは、何か関係があるのか?
――――医療の名のもとに殺人を犯す、殺人者ども!
医療の名の者とに殺人を犯す……
思い出すのは、あの態度の悪い小太りの医師エイゴン。
『ニーアが死ねば、財務のポストが空く』というあの独り言。
やはり怪しい。
告発文とやらはもう盗まれてしまった、と言っていたが……
……そうだ、俺なら取り返せるんだ。
この『遡行』で。
これがあれば、未来に起こる殺人も疫病も、根本から叩き潰せる……?
……そうと決まれば。力が尽きる前に急がないと。
扉に鍵は……っと。かかってないな。
「失礼しまー……」
「お、おい貴様! なぜまた入って来た! 二度とここの敷居はまたがせないと……!」
「い、いやーすいません。すぐに消えますので……」
「でていけ」
「痛い痛い、あんまり叩かないでください! これは、お二人のためでもあってですね……! しゃ、シャノンさんはなんでそこを触ろうと……二度目は流石にわざとですよね⁉ ああもう……『遡行』!」
念じると同時に、怒り心頭の老人と、なぜか変なところをぐにぐにと触って来るシャノンさんの姿が一瞬で消えた。
老人の怒号も消え、周囲はしんとしている。
ため息をついて、一度振り返る。
とりあえず扉の鍵を確認すると、やはり閉まっている。
だから無理にでも薬屋の中から遡行する必要があったんだけど。
それから一度外へ出て、扉に掛けてあるClosedの看板をひっくり返してOpenにしておく。
現在は営業中なので、本物の泥棒さんには、これでなんとかお帰り願うことにして。
とりあえず受付の奥へ足を踏み入れると、そこは倉庫のようだった。
「……ぐちゃぐちゃじゃねぇか」
色んな薬草や瓶が雑多に置かれており、いくつもの棚が埋め尽くされている。
何故か一部の床に透明な宝石が敷き詰められていて、足の踏み場がない。
よく分からんが……荒されてたのは、二階の部屋だったよな。
と、倉庫右奥にある階段を上る。
所狭しと壁際に詰みあがる書類に、部屋中央の背の低いテーブルにもやはり書類が散乱している。
二階は、二人の生活空間らしい。
ベッドの上にまで紙の束が侵食してんじゃねーかこれ。
でも確か、シャノンさんは文字が読めないんだったよな。
となると、この書類は……全部あの老人が書いたものってことになる。
やはり、周囲の評判と食い違う。
話の通じない、世話が必要なレベルの爺さんが、この量の書類を書くか?
まだ使うのならともかく、ボケてしまって不要ならこんなものすぐに処分してしまいそうなものだ。邪魔だろうし。
壁にかかったのは……ここら辺の地図だろうか。
いたるところに赤い点が記されていて、それが密集した所に大きな円が描かれている。それも複数。
老人を見かけた井戸も丸で囲まれているようだが……
まぁ。とにかく、先に手を動かすか。
とにかく、あの老人に恨みを持つものが何なのか、突き止めなければ。
と、何気なく手に取った、机の上の手紙に軽く目を通して。
「……え?」
思わず声が漏れてしまった。
目当てのものがあっさりと見つかった。
それ以上に、その内容に絶句していた。
俺は食い入るように、確かめるように一から読み直す。
『医師会の中には、白衣の死と呼ばれる暗殺集団が存在します。
彼らは医療行為と偽り、彼らにとって都合の悪い政敵を合法的に殺害しています。
また、上部組織からの命令や、上級貴族による暗殺依頼に応じる事も確認されています。
添付した資料は、その依頼文の原本で――――』
「な、なんだこれ……」
信じられない文章に、俺は思わず辺りを見回す。
序文の、たった数行だけで、これが尋常じゃないと察せられる。
しかも……
「医師会は既に、瀉血の危険性を理解している……?」
呟いて文章を読み直すも、やはり読み間違いなんかじゃない。
告発文に添付された資料には、瀉血などの医療行為がどれだけ患者へ悪影響を及ぼすか、それを医師会が研究している証拠が書かれていた。
彼らは文明レベル的に、旧時代の医療が悪いことだと理解できないのではない。
分かったうえで、意図的にそれを武器として使っている。
だとしたら、ニーアさんは今頃……




