10 血と死と遡行
まったく……
薬屋の扉を後ろ手に閉めながら、空を見上げる。
なんなんだここは。茶葉も結局貰っちゃったし。
なんか俺が人間じゃないって見抜かれてたし。
貴重な寿命を大幅に無駄にされた、最悪だ。
もう一時間と生きていられるか……微妙なところか?
唯一分かった事といえば、この薬屋は完全なるヤブだって事だけ。
『難病をなおした人たちが全員飲んでいた奇跡の薬』だの
『飲み続けさえすれば大抵の病気は数日で治る』だの
『これを飲まないと数日も経たないうちに死んでしまう』だのと、馬鹿なことを…………
馬鹿な……ことを……
「……ああ。そういうことか」
思わず一人で呟く。言い方の問題だったのか。
難病を治した人に限らず、人はみんな水を飲むわけで。
大抵の、軽い病気は数日で治るものだし、水を絶ってしまっては数日の間に死んでしまう。
だから、あのバカでかい瓶の中身はただの水……。
いや確かに、嘘は言ってないけどさ。嘘は。
「うそはついてない……か」
確かにシャノンさんはそう言っていた。
考えてみれば、この世界の衛生状況じゃ、普通の水を飲むように心がけるだけでも相当病気にかかる確率は減るだろう。
これを薬として売り出すのは明らかな詐欺だが、全く意味がないわけでもない。
しかし……そうなると、気になることがあるな。
疫病が流行り始めてから爺さんが井戸に小便をかけるようになった、みたいな話。
北区には自警団が居るから、小便をかけに行かなくなった。
その北区には病人が蔓延し、逆に西区には病人の姿はほとんどない――
ここにも、何か意味があるのか?
一つの可能性に思い当たる。
確かに、この辺りじゃ薬屋の茶葉が有名だみたいな話を小鬼がしていた。
もしかしてあのとき、無料でも良いからと茶葉をくれたのも……?
いや、まさか。そんなことをする意味が分からない。
しかし、万が一当たっていたとしたら?
俺の求めていた人材は、あの……?
信じられない思いだが、迷っている時間が惜しい。
急いで戻ろう。
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薬屋の扉に手をかけようとしたところで、すっと扉が開いた。
中から出てきたのは、シャノンさんじゃ無かった。
見上げるほどの大きさの獣人が、怪訝な様子でこちらを見下ろし……そして振り返る。
扉を……いや、扉にかかる掛札を見て少し、目を見開いたように見えたが、そそくさとその場を離れていってしまった。
……なんなんだ。
「すみませーん……」
獣人と入れ替わるように薬屋に足を踏み入れると、シャノンさんが受付に突っ伏しているのが見えた。
客がいないときは昼寝でもしてるのか、呑気だな。
「そのー、すみま」
歩み寄りながら声をかける、途中で声は喉の奥へと引っ込んだ。
血。
ピクリとも動かないシャノンさんの体の周りには、血が広がっていた。
光の乏しい室内に、くすんだ色の血は受付の机からぴた、ぴたと落ちて音を立てる。
どういうことだ? 明らかに、時間は経ってな――
「…………がっ⁉」
強烈な衝撃と共に、背後から首を絞められる。
な、何が……!
そうだ、下界の生物は、殺すときの手段として首絞めをよく使うって……
首を絞める筋肉質な腕をどうにか振りほどこうとするも、ひ弱な力ではどうにもできない。
く、苦し……死ぬ……!
「……チッ」
しばらく力を込められた後に、舌打ちと共にドンっと床に投げ捨てられる。
恐らく、俺が意識を失わないことに気づいたのだろう。
俺の体は人間とは違う。
頸動脈を絞められても、すぐにオチる事は無い……が。
や、やっぱり、さっき入り口にいた男だ。
こいつがシャノンさんを……⁉
獣人は慣れた手つきでナイフを取り出すと、勢いのまま突き刺してくる。
反射的に手をかざして『衝撃波』の奇跡を念じるも……
「……が、あああああぁ!」
振り上げた刃物が、吸い込まれるように胸に突き刺さる。
奇跡が、発動しない……信仰が、足りなすぎる……!
痛い、痛い痛い痛い痛い……!
血しぶきが飛び獣人は顔をしかめるも、とどめを刺すように再び刃物を突き刺す。
ぐしゃり、ぐしゃりと。
「あ、ああああああぁ……!」
痛い、痛い痛い痛い……!
神の体も、構造そのものが破壊されてしまっては生きていられない。
命が流れていくにつれて瞼が重くなっていき、徐々に景色が薄れていく。
なん、なんだよ……!
最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ、このままじゃあ、何も出来ずに……
せっかく、解決の糸口を見つけたと思ったのに…………
どうなってんだこの下界ってやつは……!
これじゃあ『使命』どころか、ゼタ様を悲しませたまま、俺は死ぬ……
もう、終わりなのか。
もう二度と、あのお方には会うないのか。
最後の景色がこんな、薄暗くて血なまぐさい場所というのはいくら何でも……
……徐々に朦朧としてゆく意識の中。
死の間際、頭に浮かぶ走馬灯。
これまでの数千年間の仕事と……最後のゼタ様との会話……そして処刑……
転生者に与える氷結の奇跡をゼタ様にあてて遊んでいた頃が……遠い過去のようだ。
…………そういえば、最後の仕事。
あれって結局ちゃんと引き継げたのだろうか。
引き継げないまま、あの世界が亡ぶようなことになってなければいいのだけど……
「………………」
と。
朦朧とした脳裏に浮かんだ、一つのくだらない考えに、笑いそうになる。
腹が痛み、思わずせき込んで血を吐く。
そんなことも構わずに、俺は考えていた。
もし。
もし本当に、最後の仕事が引き継げていなかったとしたら。
もし転生者に与えるはずだった能力を、まだ返してなかったとしたら。
そうだ、俺は、そのまま処刑された。だから……
まさか……。
だけど、これが回生の一手になるかもしれない。
俺は薄れゆく意識の中、最後の力を振り絞って……
『遡行』
そう、念じた瞬間。
雷に打たれたような衝撃と共に、意識が覚醒し。
鮮明になった景色、そこには……
「……なに、してるの」
死んだはずのシャノンさんが目を丸くして、こちらを見下ろしていた。




