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トイレの音

作者: 雉白書屋

 幼い頃、こんな夢を見た。

 夜中、母がトイレに起きたらしい。ドアの閉まる音で目を覚ました。

 もう一度眠ろうと目を閉じたそのとき、便器の蓋を開ける音がして、続けて――


 ジョボ、ジョボジョボジョボジョボ……。


 と、水音が聞こえてきた。静まり返った家の中に、やけに大きく響いた。

『やあ、女なのにあんなに音を立ててらあ』とおかしく思う反面、聞くのは悪い気がして、私は耳を塞いだ。


 ジョボジョボジョボジョボ……。


 けれど、どうしても隙間から音が漏れてくる。私は耐えきれず、クスクスと笑った。


 ジョボジョボジョボジョボ……。


 でも、それが排泄音だと考えると、次第に気分が悪くなった。片方の耳を枕に押し付け、もう片方をしっかりと手で覆った。


 ジョボジョボジョボジョボ……。


 時々、そっと手を浮かせてみる。けれど、音はまだ続いている。


 ジョボジョボジョボジョボ……。


 長すぎる。あまりにも長い。

 気になった私は布団をはいで起き上がった。足元がひやりと冷たい。やっぱりやめようかと逡巡したが、結局そっと寝室を抜け出し、廊下へと出た。


 ジョボジョボジョボジョボ……。


 静寂の中、排泄音だけが響いている。


 ジョボジョボジョボジョボ……。


 トイレの前に立つと、ドアの隙間からこぼれるオレンジ色の光が足元を淡く照らしていた。音はまだ止まらない。

 胸の奥に不安がじわりと広がり、私はそっとドアを叩いた。


「おかあさん、おかあさん、大丈夫?」


 返事はない。代わりに、心臓がドクン、ドクンと激しく響いてきた。嫌な予感がする。母に何かあったのかもしれない。そう思い、私は意を決してドアノブに手をかけた。


 ジョボジョボジョボジョボ……。


 ドアが開いた瞬間、目に飛び込んできたのは、便器に顔を近づけた母の姿だった。正座したまま、両手で便座を掴み、額を便座の奥に押し付けるようにしている。


「おかあさん、大丈夫? 具合悪いの?」


 私はおそるおそる中へ足を踏み入れ、母の顔を横から覗き込もうとした。

 そのとき、気づいた。

 便器の縁に点々と散った赤い痕。便器の中の水は暗い黒に濁っている。そして、母の首から――


「まだ……終わってないの……」


 母がくるりと顔をこちらに向け、そう言った。


 そのあとのことはよく覚えていない。

 ただ後日、父にこの話をすると、「それは夢だよ」と言われた。

 母はその夜、亡くなった。眠っている間に心臓の病で静かに息を引き取ったらしい。

 だから、あれは――きっと夢だったのだろう。

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