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ユイ・メモワール  作者: 碧川亜理沙
3年生編
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研究旅行、そして帰郷⑧


 みんなで来た時とは違い、ひとりでケイティークの町を歩くのは、どことなく寂しさを感じる。


 ──ハンナ、ちゃんと帰れているかな。


 馬車屋を探しながら、先ほど分かれたハンナを心配する。

 今日は月が出ているとはいえ、暗い中馬を走らせるのは難しいだろう。何事もないようにと心の中で祈る。


 そうしているうちに、目的の馬車屋が見えてきた。

 そこの担当者に、借りていた魔獣馬を引き渡す。魔獣馬を借りてきたときにもらっていた木簡を渡すことで、返却する際にこの魔獣馬がどこで借りられてきたのかを区別するものらしい。


 無事に魔獣馬を引き渡したのち、ユイはその担当者へ尋ねる。


「すみません、ハラルドゥの馬車屋はこのあたりにありますか?」

「ハラルドゥ? ……一応、町の出入り口のほうにあるが」


 ここまで来てなぜ別の馬車屋を聞くのだと言わんばかりの視線を感じ、ユイはそそくさとお礼を言ってその場を去る。

 教えてもらった方角へ少し歩いていくと、町の終わりのほうに、もう1件馬車屋が見えてきた。

 店先に吊られている馬車屋の看板を確認して、ユイはその店の中へと入っていく。


「あの、すみません」


 夜だからだろうか、中にはひとりの女性しかいなかった。

 その女性はユイに気づくと、めんどくさそうに腰を上げてやってきた。


「いらっしゃい。用件を」

「ニートヴェイターラまで馬車をお願いしたいです。明日からで構いませんが、お願いできますか?」

「ニートヴェイターラ……? ずいぶん遠いわね。そんなに何日もかけられる御者空いてないんだど」


 顔を顰めながら、女性は金額や距離、馬車の種類がかかれた羊皮紙を取り出した。


「あなたが言うニートヴェイターラまでだと、この時期倍の日数がかかるの。追加日数分も料金はかかるから、普段より金額も高い。あなたに払えるの?」


 そう言われて見せてもらった金額は、なるほど、確かに想像していた金額よりも桁が多い。

 だが、今回に関しては、ユイ自身が払うわけではないから、どうってことはない。


「大丈夫です」

「大丈夫って……金額分かってる?」

「はい。支払いは、こちらの……あ、これで」


 そう言ってユイは、自身の荷物から手のひらくらいの四角くて少し厚い木板を取り出す。

 そこには、中央に螺旋状に描かれた蛇。その周辺には、様々な草々が円を書くように描かれている。


 貴族なら必ずと言っていいほど持っている、家紋を表す木板だ。そこに描かれている内容で、身分を示すための証となる。

 さすがにこの紋を知らない人はいないだろう。

 目の前の女性も、知っているのか驚いた表情をしている。


 これを見せたら話は早い。

 ユイは、先ほどの続きを促そうと話しかけたが、ちょうどその時、背後でユイを呼ぶ声が聞こえた。


「失礼します。あなた様は、ユイ・フェールディング様でしょうか?」


 自分の名を知る者は誰だと背後を振り向くと、そこには初老の男性が長杖をついて立っていた。

 誰だろうと眉を寄せたが、記憶の片すみに、覚えるある容貌が引っかかった。

 ユイのその些細な反応に気付いたのか、男性はゆっくりとその顔に笑みを浮かべた。


「お久しゅうございます。覚えていらっしゃるかどうか、私はドゥイと申します。ユイ様のお小さい頃や、最近ですとアクラネス家へ向かう際に、御者を務めさせていただきました」

「あ、あの時の……」


 そこまで聞いて、ようやくユイの記憶から男性のことが蘇ってきた。名前は初めて知ったが、確かに小さい頃から馬車で外に出る時、御者として座っていた人の面影がある。

 男性──ドゥイは、長杖をつきながらユイの脇をゆっくりと通り、女性の方へと歩いていく。


「これは私の孫でしてね。そら、記録帳を貸してごらん。ユイ様、ニートヴェイターラへ行かれるのですかな。それであれば、私が共に参りましょう」

「ちょ、おじいちゃん、冗談でしょう? その体で今の時期にニートヴェイターラ行くなんて危ないよ!」

「何を言うか。それにケイティークに来たのもひと月ほど前。気候状態は、さほど変わらんだろうて」


 孫だという女性が、ドゥイの言葉に反対する。心配しての言葉だろうが、ドゥイはさして気にせず、女性から受け取った記録帳に何かを書きつける。


「ユイ様、今晩はどこか宿にお泊まりで?」

「……いえ、これから探そうかと思っています」

「そうですか。狭くてもよろしければ、ここの2階の客室をお使いください。今日は空いているので、好きに使ってくださって構いません」


 願ってもない申し出だ。フェールディングの紋を出したとはいえ、ここまでしてもらっていいのかと思ってしまう。だが、これから宿を探して回るよりはよっぽど良い。

 ユイは申し訳なく思いつつも、2階の客室を借りることにした。




 翌日。

 朝食まで出してもらい、ゆっくりとした朝を過ごしたあと、支度を整えたドゥイと馬車へと乗り、ニートヴェイターラへ向かって出発した。


 今回は小さな幌馬車で、馬も魔獣馬ではなく普通の馬を使用している。

 魔獣馬が寒さに弱いという訳ではないが、ユイの故郷・ニートヴェイターラは、この時期特に雪が多く降り積もる地域である。速さが売りの魔獣馬は、雪道には向いていないのだ。そのため、雪が降る地域は、魔獣馬よりも普通の馬を利用するところが多い。


 ユイが乗る馬車は、ゆっくりと、着々と目的地へ向かって進んでいく。

 ドゥイは寡黙というわけではないが、そこまでお喋りなわけでもない。ユイも元々そこまで話す方ではないので、行程のほとんどは2人の間に会話はなかった。


 朝少し経ってから、日が落ちるまで、馬車はゆっくりと目的地へ向かって進んでいく。夜は道中の町で、ハラルドゥの客間を借りて過ごした。


 そんな時間を丸5日ほど過ごした頃。

 さすがに1日中ずっと幌馬車の中で過ごすのに飽きてきたユイは、ドゥイに頼んで御者席に座らせてもらっていた。


「……雪が少ない」


 そろそろ北部の地域に入ったはずだと思っていたが、周囲の景色を見て思わず呟く。

 ひとりごとに近いものだったが、ドゥイはそうですねと反応した。


「例年に比べますと、ずいぶんと少ないですね」

「でも、おかげで今回は思ったより早く着きそう」

「はい、そうですね。順調に行けば、明日にはニートヴェイターラに着けると思います」




 彼の言葉通り、次の日の夕方前には、ニートヴェイターラに到着した。

 とても小さい町だが、ここから更に西の奥にある山林の方に行くと、ユイの生家がある。

 ここから更に時間がかかるため、この日もハラルドゥの客室を借りて1夜を過ごすことになった。




 次の日、幌馬車から通常の馬車に変えて、ユイたちは西の山林へと進んでいく。

 ユイは馬車の小窓を開けて、ぼうっとその景色を眺める。

 木々しかない道ではあるが、何となく記憶に残るその景色に、ユイは帰ってきたのだと実感する。


 馬車は時折ガタガタと大きく揺れながら、山林の奥へと進む。

 そして、数時間の道のりを進んだ頃、徐々に馬車の速度が落ちてきた。

 完全にその動きが止まると、御者席より声が聞こえた。


「ユイ様、お疲れ様でございます。お屋敷の方に着きました」




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