コース選択試験①
3年に上がってからの心労が、ようやく解き放たれる時が来た。
『暗愚な娘を引き取りに向かう』
その知らせが届いたのは、日中の暑さが少しずつ和らぎ始めた頃。そろそろ本格的に4年次のコース選択へ向けての試験勉強が本格化し始めてきていた頃だ。
最初に伝言蝶を飛ばしてから、実にひとつの季節が終わろうとしていた。
「ようやくね……」
伝言蝶の相手は、フェリスティン家当主。
学校でのニーナの言動について、当主は多くは語らずに返事をよこした。
おそらくユイがこの伝言蝶を受け取ると同じく、ニーナも家の者がやってくるという知らせは受けているだろう。
フェリスティン家から迎えが来るまで、あと数日。その間にニーナが押し寄せてこないことを祈りつつ、ユイは伝言蝶の返事をしたためるべく、ペンを取り出した。
そして、休日。
その日は、どんよりとした重たい雲が空に広がっていた。
ニーナは食堂で朝食を摂り終えると、寮には戻らず、校門付近へと足を向ける。
特段待ち合わせをしているわけではないが、さすがに顔を出すのが礼儀だろうと思い、歩みを進める。
今日は休日ということもあり、門近くに構える商店は、せっせと開店準備を進めている。
さすがに早く来すぎたか、門番の近くにもそれらしき人の姿は見当たらない。
ユイは近くの簡易椅子に座り、ぼうっと忙しく動き回る商店の店員たちを眺めていた。
どのくらい時間が経っただろう。
ふと、聞き慣れた声が耳に入ってきた。
「いい加減にしなさい! ニーナの話が聞けないの!?」
「聞いてます。むしろ聞いてくださらないのは、ニーナ様の方です」
「そんな訳ないわ。いいから、早くこの縛りを解きなさい!」
「こればかりは聞けません。解いたらニーナ様は、すぐに逃げてしまうではないですか」
ニーナとその従者の言い争う声が聞こえてくる。
そして少ししたら、視界に彼らの姿が入ってきた。
ニーナは両腕を曲げた状態で、ぐるりと体にひもを巻き付けられていた。そのひもの先を従者が引いて歩いている。その姿だけ見ると、どちらが主従か分からない。
どうしてそのような姿になってしまったのか、何となくだが想像できてしまい、思わずため息をつく。
どんどんニーナと従者たちが近づいてきて、ユイの姿を認めたニーナが「お姉さま!」と叫んだ。
「ユイお姉さま、お助けください! これを解いてくださいな」
ニーナは従者の先導を振り切り、縛られた状態のままユイのほうへと走ってきた。
ユイはゆっくりとその場に立ち上がり、必死にひもを掴んでいる従者に向かって声をかける。
「……縛りくらいは解いてあげたら? さすがのこの状態のままだと、周りの目が気になるんだけれど」
「で、ですが、解いてしまうとニーナ様がここから逃げてしまいます……」
「さぁさ、解きなさい。ニーナがユイお姉さまを前にして、逃げ出すなんて失礼なこと、するわけないじゃない」
さすがに両腕を縛られた状態のニーナと一緒にいるのは憚れる。従者は逃げ出さないと言い張るニーナを信用していなそうだったが、ユイがもうお願いすると、渋々と縛っていた紐を解いた。
「全く、ユイお姉さまに会わせたかったのなら、そういえばよかったのに、縛り付けるだなんて」
「ユイ様にあわせるために連れて来たんじゃないのですが……」
「さて、ユイお姉さま。せっかく休日に会えたのです、ご一緒に過ごしませんか? いろいろと話したいことがあるんです。向こうの方の娯楽施設に、ゆっくりできる喫茶があると聞きました。よければそちらに行きませんか?」
饒舌にこれからの予定を話すニーナに、ユイは眉をしかめる。
彼女の様子を見ていると、フェリスティン家から何も知らせが飛んでいないように思えてしまう。
「……状況、分かっている? あなたのところにも、フェリスティン家からの手紙は行ったんじゃないの?」
「えぇ、飛んできましたわ。でも、ニーナは帰りませんよ」
当たり前だと言わんばかりにニーナは言い切る。
「いくらお父様のお言葉だとしても、ニーナは帰りますと返事はしていないですもの。それに、どうせ来るのだって、家の誰かで、お父様本人が来るわけありませんもの。それなら、いくらでも言いようはありますわ」
確かに、ニーナを引取りに来るとは書いてあったが、誰が来るかとは書いてなかった。
フェリスティン家当主ともなると、忙しい身のはずなので、本人が来ない可能性も充分ある。そうなると、ニーナの言う通り、いいように言いくるめられて終わるかもしれない。
──フェリスティン家に、当主以外でこの子を何とかできる人はいないの?
場合によっては、今回の伝言蝶が全くの徒労に終わる可能性が出てきた。何としても、それだけは避けたい。
ユイは動揺を気取られないよう気をつけながら、
「……今回、私は当主直々に手紙を書いた。手紙の内容も、何度もニーナに話して聞かせてる内容だよ。あの人は私を嫌っているから、黙っているなんてことはないと思う」
正直それだけで本人が絶対来るとは言えないけれど、手紙の内容的に無視もできないはずだ。
ニーナはいつものように悲しそうな表情をこしらえて言う。
「確かに、お父様は反対なさるかもしれません。でもお姉さま、まだ少しですけど、ユイお姉さまが当主になるべきという賛同もいただいているのです。お父様の好き嫌いだけで、フェールディング家当主は決まらないはずです」
──もう他家にコンタクトをとっていたの……?
さすがにその情報は、ユイを驚かせた。
時間は経っているし、彼女の行動力なら、遅かれ早かれ他家に取り入ることは分かっていた。だけど、まさかその中に同意する者たちまでいるとは、誰が思おうか。
ユイの対応が遅かったと思いつつ、ともかくと話を続けた。
「ともかく、あなたの父親はきっと納得しないでしょうね。私を当主に据える努力よりも、現当主を扶ける方がよほど建設的よ。繰り返すけど、私がフェールディング家当主になることは、この先絶対にない」
「そこの小娘の言う通りだ」
周囲の喧騒の中でも、その低く地を這うような声は、ユイたちの耳にはっきりと届いた。
ニーナは、ユイの背後へと視線をずらし、「お、お父様……」と驚きと少しの脅えの表情になる。
ユイもゆっくりと後ろを振り返る。
プラチナブロンドの髪を後ろに撫でつけ、黒く長いコートに身を包み、ステッキを手に持つその様は、目立つはずなのに不思議と周囲の誰も気に止めない。無論、その表情を見れば、思わず視線を逸らしてしまうほど、険しい。
「ご無沙汰してます、フェリスティン家当主」
ユイは簡単に挨拶をする。
フェリスティン家当主は、少しだけユイに視線を向けたが、すぐにニーナへと戻っていた。
「ニーナ、お前の醜聞は聞いている。今日限りで、学校は退学だ。勉強なら家でできるだろう。学ぶ意欲がないなら、ここにいても仕方あるまい」
淡々と告げる父親にもニーナは真正面から反抗する。
「わたしは……ニーナは、退学なんてしません。いくらお父様でも、ニーナの同意を得ないで、退学になんてできないはずです」
「ほう。入学してからこれまでの成績や、授業への出席有無を鑑みるに、お前が通い続ける意味の方が理解できないが」
嘲るような声に、ニーナの顔がカッと赤くなる。そして、近くに侍る従者を睨みつけた。
「あなたね……お父様に告げ口したの……」
「お前に勿体ないくらい、出来のいい従者だ。さて、醜聞の中に、そこの小娘を本家当主に据えようと叫んでると聞いたが……」
「何がいけませんの? ユイお姉さまは、正真正銘、フェールディング家の血を引いています。血統を重んじる我が一族なら、お姉さまを当主にするということは、正しいことじゃないですか!」
ニーナの口調がだんだん大きくなる。周囲が露店が並ぶ中、こんなに言い合っていたら注目の的になるはずだ。しかし周りの人たちは、ユイたちのことなど眼中にないかの如く、せっせと店の準備に勤しんでいる。
ユイはそこでようやく、周囲に遮音魔法や認識阻害の魔法がかけられていることに気付いた。
ニーナはそのことに気付いていないのか、どんどんその言葉は大きくなっていく。
「お父様はいつもそう! ニーナの話なんて聞いてもくれない! それなのに、ニーナが悪いって、そう言うんですか!?」
「に、ニーナ様、少し落ち着いた方が……」
「あなたは黙っていなさい。……お父様。お父様がニーナの話を聞いてくださらないのなら、ニーナだって大人しくしているつもりはありません」
そう言って、ニーナは杖を取りだし、それを父親へつき向ける。
「……ほう?」
「わたしがお父様より上なら、流石に少しは聞く耳を持ってくれますよね? そうすれば、ニーナがユイお姉さまを当主にしようとしても、強く反対できませんよね……?」
「ニーナ様っ!」
さすがに親に向かって、杖を突きつけるなど、誰が想像できようか。ユイも正直、彼女がここまでするとは思っていない。従者は必死に止めようとしているが、ニーナは聞く耳を持たないままだ。
「……愚かな」
フェリスティン家当主が、ぽつりと呟いた言葉は、距離が近かったユイにしか聞こえていないのか。
そのつぶやきの後、彼がステッキを地面に強く突く。
直後、ニーナは目をくるりと回したあと、地面に崩れ落ちた。「ニーナ様!?」と従者が慌てて抱き抱える。
──すでにふたつも魔法を行使していたはずなのに、その中でこんなに的確に無言魔法を当てるなんて……。
今、彼が行った行動に、ユイは思わず背筋が凍る。かなり高度で精密な魔法操作の元、フェリスティン家当主はニーナを昏倒させた。実の娘でありながら、その容赦のなさに薄ら寒さを覚える。
「気を失っているだけだ。そのまま馬車へ運べ」
未だ慌てふためく従者に対し、フェリスティン家当主は命令する。従者は分かりやすく肩を震わせ、恐る恐る意識のないニーナを担いで、校門の方へと足早に歩いて行った。
「……まさか本当に、あなたが来るとは思いませんでした」
手紙に対しての行動に対し礼を言いつつ、ユイは思わず言葉を継げ足す。
フェリスティン家当主は、「他の者に任せたところで、娘に言いくるめられて終わりだろう」と言い放った。それはニーナとの会話で懸念していたことだったので、内心ほっとしている。
「それより、学校へはすでに伝えているんですよね? ニーナの荷物はどうするのですか?」
「捨て置いて構わない」
「……さすがに、それは。必要そうなものだけは、フェリスティン家に送っても?」
「好きにしろ」
ニーナの私物がこのまま捨てられるのだけはさすがに可哀想と思ったので、思わず余計な口を挟んでしまった。手間が増えてしまったが、これくらいは仕方ないだろう。
「あと、ニーナがいくつかの家に、すでに話をつけていると言っていました。どこの家々かは分かりませんが……そちらの対処はお任せしますよ」
「ふん、どうせ口約束だろう。効力はないに等しい。それに彼奴が相手するなら、分家の末端も末端だろう。口の出しようはどうとでもなる」
確かに、自分の家より格上には、そうそう話を持っていかないだろう。話をしたくても、そもそもが門前払いされる可能性の方が高い。そうなると、自然と末端の家々相手に話を付けたということになる。
「大したことなければいいです。すみませんが、よろしくお願いします」
「お前に言われるまでもない。むしろ、彼奴が煽てたせいで、当主に戻れると思っておるまいな?」
「まさか。天地がひっくり返っても、当主の座につきたいなんて、誰が思いますか」
「ふん、それはそうだろうな。殺人鬼が当主だなんて、お笑いものだ」
思わずぴくりと反応してしまう。
そんなユイの反応など知らぬように、フェリスティン家当主は「これで失礼する」と校門の方へ歩いて行った。
同時に周囲にかけていた魔法も解いていったのだろう。すでに開店時間を迎えた商店から、ひとり突っ立つユイに声がかかる。だがその呼び掛けには応じず、ただ立ち去る彼の後ろ姿を見つめていた。
その姿が完全に見えなくなったところで、ユイは脱力するように近くのイスに座り込む。
「疲れた……」
どちらかというと、精神的な疲れた。昔から彼と会話すると、どうも疲れる。
それに去り際に、記憶の遠くに置き去りにした光景を思い出させた。
──別にそれだけが、当主にならない理由じゃないけど。
心の中で誰にともなく呟く。思い出しそうになる記憶を無理やり押し込み、ユイはぶんぶんと頭を振る。
何はともあれ、ようやく問題だったニーナの件が、これにて一件落着した。長かった気苦労から解放されるのだ。
──これだ本当に試験勉強に集中できる。
そう思いながら、ユイは少しの間、その場でぼうっと忙しく動く人々を眺め続けた。




