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ユイ・メモワール  作者: 碧川亜理沙
3年生編
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秘密⑤



 安静にしろと言われたそばから、忘れていた不安がやってきた。


「ユイお姉さま、お久しぶりです」


 あれから数日。

 隠し部屋に行くたびにその日無理をしていないか、フレインとイサクに徹底的に確認される日々が続いた。そのおかげか、まだ少しの不調は感じるものの、回復の兆しを見せていた。


 その矢先である。

 授業が終わり、食堂へと移動している最中に、ニーナに呼び止められた。


 ──いろいろあって、すっかり忘れていた……。


 ニーナの表情は少しばかりふてくされているように見えたけれど、ユイを呼ぶ声に嬉しさが紛れ込んでいる。


「……久しぶりね、ニーナ」

「はい。お姉さまにしばらくそうっとしておいて欲しいと言われて、断腸の思いで控えていたのですが……。そろそろお姉さまもニーナが恋しくなるころかと思い、思い切って話しかけたのです。……迷惑でしたでしょうか」

「迷惑だし、別にあなたが恋しくなることなんてなかったわ」


 そう言うと、ニーナは悲しそうな表情をする。

 そんな顔をされても、ユイにとっては事実であるのだから何も響かない。


「……それで? 呼び止めて何か用かしら」


 これから食堂へ行き、軽食をつまみながら勉強をする予定なのだ。おそらくいつもの席にハンナたちもいるだろうから、あまり遅くならないうちに行きたい。

 本題に入ってほしいユイの意をくんだのか、ニーナは悲しそうにしていた表情を真剣なものへと変える。


「はい、ユイお姉さま。わたしの用件はひとつだけですわ。どうかフェールディングの当主になることを、お考え下さいませ」


 ──やはり、その話か。


 想像通りの内容ではあったのだが、ユイは重いため息を吐いた。


「ニーナ……前にも話したと思うけど、それは絶対ない。私が当主になることは何があっても、ない」

「そんなことはありませんわ。それに、お姉さまが当主になるべきだという一族の者たちもいるのです。反対の声があるのも事実ですが、お姉さまが当主になるのを望む者たちを集めれば、お姉さまが当主の座にお戻りになるのも難しくはありません」

「誰よ、その一族の人たち……」


 思わず小声で悪態をつく。

 現当主を決める一族会議で、そのような家々があったことは記憶しているが、いまだにそう言っている家があるなど誰が思おうか。

 ニーナはその家々に対し、コンタクトをとっているのかもしれない。もしそれが事実であれば、彼女の行動力と相まって面倒くさいことになるのは目に見えている。


 ──そろそろ本当に、彼女を止めてくれる人に頼まないと……。


「ニーナ様っ!」


 ユイが本気で思案し始めた矢先、ニーナを呼ぶ幼さを感じる少年の声が聞こえた。

 背後の廊下より、いつもの気弱さは変わらず、焦ったような表情をした男子学生がこちらに向かって走ってきた。


「あら、どこ行っていたの。遅かったじゃない」

「じゅ、授業終わったら教室まで迎えに行くと伝えたではないですか! な、なんでここにいるんです」


 彼はニーナの従者のはず。彼の話す内容からして、別々の授業を取っていたのだろう。


「なぜって、ユイお姉さまに会いたかったからですわ」

「そうじゃなくて! そもそもしばらく会いたくないって話をされてませんでしたか? 会ってもいいと許されたのでしょうか」

「許すも何も、わたしがユイお姉さまと会いたいから、探したまでよ。許すも何もないでしょうに」

「だから、そうじゃなくて!」


 目の前の主従が口論を始める中、ユイは横から口を挟む。


「もう行っていい? 私、暇じゃないので」


 2人の視線がユイに向く。

 ニーナはまだ話をしたそうにしていたが、ついには「分かりましたわ」と言ってくれた。


「また近いうちにお会いしてお話しましょう。ニーナはお姉さまが会うといえば、いつでも参りますわ」

「当主云々の話をするのであれば、答えは変わらないから。それ以外に用がないなら話しかけないでくれたほうが嬉しいわね」


 いつもより冷たく突き放してみたけれど、果たして彼女にどれほど伝わったか。

「またお姉さまに会いに来ますわ」と言って、ニーナは従者を引き連れてその場を去っていった。


「……はぁ」


 廊下に誰もいないのをいいことに、ユイは今度こそ口にだしてため息をつく。

 彼女のことを考えるだけで、体調が悪くなるような気がしてくるのだから、3年に上がってからの不調の要因にニーナが絡んでいるのは間違いない。


「コース選択試験の勉強に支障が出かねないものね……」


 この状態が長引くと、今後の試験に影響が出るかもしれない。ニーナのせいで、探掘コースに受からないという事態だけは絶対に避けたい。


「あ、あの、すみません……!」


 食堂へと向かいながら、今後の予定を考えて歩いていると、背後でつい先程聞いた声が聞こえた。

 嫌々と後ろを振り向くと、そこにはニーナの従者であろう気弱そうな少年がひとり。


「あ、あの、本当に、申し訳ございません……! ニーナ様が、ご、ご迷惑を……」


オドオドしながら謝る少年に、ユイは苦言を呈す。


「それを止めるのも従者の役目じゃないの?」

「それは……本当に、その通りで……」

「私は彼女に、当主にならないと伝えた。それで話は終わりなのに、なぜこうも同じことを聞かされるの?」

「……ニーナ様は、頑なにあなた様が当主になるべきだと……ぼ、僕が何を言っても、話を聞いてくれず……」


 目の前の従者も苦労をしていそうではあるが、そんなことユイにとっては関係ない。


「……近いうちに、フィリスティン家当主へ、このことを報告します。あなたなら、あの人がどういう行動に出るか、想像つくでしょう?」


 そう告げると、目の前の従者は気弱そうな表情を、さらに弱々しくさせた。


 ニーナの父親でもあるフィリスティン家現当主は、気難しい人として有名だ。

 一族間の話し合いの場であっても、自分の意見が通らないとなると、後々まで引きずり回すようなタイプの御仁だ。

 そして他家だけではなく、己の家族に対しても、同じような態度なのだと噂に聞く。

 彼はユイが当主につくことを反対していたひとりである。ニーナの学校での行動を知ったら、怒髪天をつくかもしれない。


 目の前の従者も、それは想像がつくのだろう。

 どんどん縮こまっていく少年に、ユイは「そういうことだから」と告げる。


「そういうことだから、早めに彼女の行動を改めさせた方がいいんじゃないかな。知ったらあの人、学校まで娘を怒りにやって来そうだし」


 その様子がまざまざと目に浮かぶ。

 少年従者もその光景が目に浮かんだのか、もはや泣きそうな顔をしながらこくこくと首を上下に振る。


「……なんとか、してみます」


 か細い声でそう言い残し、少年はトボトボと来た道を戻って行った。

 なんとも頼りない言葉に、ユイは大した期待はしていない。従者が何か言ったところで彼女のことだ、ユイと話した時のように、人の言うことを聞くような子じゃないはずだ。


 ──本当に、今日には伝言蝶を飛ばしてしまおう。


 そう決意し、ユイは小走りで食堂へと向かっていった。




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