喧噪の新入生④
クリスティンと別れた後、ユイは隠し部屋で薬草を少し調達し、寮の自室へと向かっていた。
ニーナと話し合うとは言ったが、どのように彼女に理解してもらおうか。
いい解決方法はそんなすぐには見つからない。
悩みながら歩いていたら、あっという間に寮へと着いた。
自室へと歩いていると、ちょうどユイたちの部屋のドアが開いているのが見えた。
そしてその入り口に、ユリの姿が。
「ユリ?」
「あ、ユイ。よかった……」
ユイの呼びかけに、ユリが安堵の表情をこぼす。
何があったか尋ねようとする前に、
「ユイお姉さま!」
と、もはや最近聞きすぎた声が聞こえてきた。
「ニーナ……」
部屋の中をのぞくと、そこにはベッドのふちに腰を掛けているニーナの姿があった。
学年ごとに寮の階層が異なるため、他学年の階層へ足を運ぶこともほとんどない。
それに彼女には、ユイの部屋がどこにあるかを伝えていない。
もちろん誰かに尋ねればわかってしまう情報ではあるが、それでも自室にまで来ることはないだろうと踏んでいた。
だけどその考えは甘かった。
ニーナはにこにこと笑いながら、「ここならお姉さまとゆっくりお話ができますよね」と言う。
ユイとしては話すことなどないと言いたいところだが、ふと、これはチャンスなのかもしれないとも思った。
先ほどクリスティンに話したように、今ここできちんと彼女と話し合いをしてみようか。いまだどのように伝えるべきかは悩んでいるものの、このチャンスを逃すわけにはいかない。
「……そうね。私もあなたに話したいことがある」
ユイは部屋の中に入っていき、隠し部屋から持ってきた薬草を机の上に置く。
そしてニーナと向かい合うように、ベッドのふちに腰を掛けた。
「ユリ、ドア閉めてくれる?」
「あ、うん、分かった。……ユイ、私はここにいていい?」
ユリは困ったように問うた。
ユイたちの状況を見て、同席して問題ないか尋ねたのだろう。
──家の話ではあるけれど、別に聞かれて困るような話ではないし……。
「問題ない。だけど面白い話でもないから、ユリにとってはつまらないと思うけど……」
「あら、ニーナはユイお姉さまと二人っきりでお話がしたいですわ。森の民は席を外してくれると助かるのですけれど」
つっけんどんと言い放つニーナの言葉に、ユリはさらに困った表情をする。
その言葉に、ユイは眉をひそめて言う。
「ニーナ、ここはあなたの部屋じゃない。私とユリの自室よ。それに、あなたが勝手に部屋に押し入ったのよね? それなのに、ユリに部屋を出ていけと言うのはおかしい話じゃない?」
「お、押し入ったわけじゃないですわ。お姉さまと話がしたいって、ちゃんと森の民に伝えましたわ」
「ユリはそれを許可したの?」
「許可も何も、わたくしの家より格下相手の許しが必要ありまして? それに森の民も反対しませんでしたわ」
ユイは小さく嘆息する。
ユリにはあらかじめ、ニーナのことを伝えてあった。
自室にまで押し掛けることはないと思うが、万が一を考え、ニーナが訪ねて来た時には追い返してほしいとお願いしていた。
──おそらく、ユリの言葉を聞かずに勝手に入ったわね。
だからユイが寮に戻ってきたとき、ユリは入り口付近で立ちすくんでいたのだろう。
勝手に部屋に入っていたニーナをどうすべきか、思案していたに違いない。
「……ユイ、私は談話室にいるね」
ユリはそう告げて、部屋を出ていった。
気を遣わせてしまった、と思った。あとでユリに謝罪をしなければ。
「あら、出て行ってくれましたわ。これでお姉さまと二人っきりでお話ができますわね」
ユリが部屋を出ていくのを見て、ニーナはまたにこにことユイを見やる。
その様子を見て、ユイはさっさとこの話し合いを終わらせようと誓う。
「……単刀直入に言うわ。私はフェールディングの当主に戻る気はない。例え一族皆に言われようとも、私はそれを望まない。あなたの話を呑むことは絶対にないわ」
ニーナに伝わるように、ユイは一言一言かみしめるように言った。
先ほどまでにこにこと笑っていたニーナは、その表情から笑みを消し、真面目な顔で反論した。
「それはいけませんわ。だってお姉さまはフェールディングの直系。当主となりうる一番近しいところにいるのです。現当主ではなく、ユイお姉さまこそが、フェールディングの当主に一番ふさわしいお方なのです」
「だから、その考えは古いって言ったわよね。現当主だって、直系の血は引いている。一族から当主となることを認められているのよ。それに王族からだって。あなたはそれを否定するの?」
「だって、ユイお姉さまが一番当主にふさわしいのです。直系の血を引いているとはいっても、半分だけじゃないですか。一族や王族が認めたと言っても、わたくしは絶対にあれを当主とは認めませんわ」
「それに」とニーナは上目遣いにユイを見やる。
「それに、ユイお姉さまが約束してくださったのですよ。自分が当主になって、一族を良くして見せるって」
「……私が?」
唐突の話に、ユイは首をかしげる。
そんな話をしただろうか。
そもそもユイは自分が当主になりたいなどと、一度たりとも思ったことがない。それなのに、当主になるなどとそんな話をするものだろうか。
「……私が、いつ、そんなことを」
「覚えておりませんか? ニーナははっきりと覚えております。小さいころ、フェールディング家の本邸で行われた一族間のパーティーで、ユイお姉さまに初めて会ったときに言われたのです……」
ニーナが語る状況は、ユイの記憶のかろうじて隅のほうに残っていた。
あれは、ユイが7、8歳のころ──。
生家であるフェールディング家本邸にて、数年に一度開かれるパーティーが行われていた。そしてそのパーティーに、ユイは初めて参加していた。
大勢の親族たちから声を掛けられ、何度も自己紹介をし、とてもとても疲れた記憶が印象にある。
確かその中に、ニーナの姿もあったはずだ。
──……そのパーティーは、次期当主候補を選択する日だったかしら。それに私たちが選ばれてしまって……。
「……もし当主に選ばれてしまったら、あんな非道な奴らより、少しはましな家にできるかな」
その時、隣にいた片割れに、そうつぶやいた記憶がある。
あれは思わず口を継いで出た、仮定の話。もちろん本気でそう思っていたわけではないし、ふと脳裏をよぎった、その程度の言葉だ。
「わたくし、その言葉を聞いてはっとしたのです。当時のご当主ゲイルルール・フェールディングについては、幼いながらよくない噂もたくさん聞き及んでおりました。だけど一族の誰も彼女に逆らえなかった。そのせいで、フェールディング家の悪い話は、一族間だけではなく、他家にまで及び始めていたのです。
そんな中、お姉さまが口にしたその言葉に、幼心に感銘を受けました。今のフェールディング家のやり方を良く思っていない、それに自分が良くしてやろうという心意気……。当時候補として選ばれていた方々の中で、一番当主と言うお立場になるべきお方だと思ったのです」
心酔しているかのようなその話口調に、ユイはようやく彼女が自分に固執していた理由を知る。
だけど知ったからこそ、その誤りを訂正しなければならない。
「ニーナ、私はあくまで仮定の話をしていたの。その時から別に当主になりたいなんて思っていない。あなたは偶然私の仮定のつぶやきを聞いただけで、私がそうしようと思っていると勘違いしているだけ。あなたの勘違いで、私や周囲の人たちに迷惑をかけるのはやめてちょうだい」
ニーナの顔を見ながら、改めて丁寧に告げる。
あなたがやっていることは、すべて勘違いから始まっているのだと。
だけど、ニーナは小首をかしげて言う。
「わたくし、何も勘違いなんかしておりませんわ。だって、ユイお姉さまがそう言ったのはちゃんと覚えているんですもの。それにわたくし、お姉さまに迷惑をかけた覚えはありませんわ。いつ、わたくしが迷惑をかけてしまいましたか? 以後気を付けますので教えてくださいまし」
──話、聞いてた……?
口から言葉が出るよりも、唖然としてしまった。
話が通じていない。
ここまで丁寧に伝えておきながら、それが彼女に響いた感じが全くない。
もはやこれ以上、彼女に何を伝えればいいのだろうか。
「ユイお姉さま?」
「……って」
あまりの話の通じなさに、ユイは頭の奥が痛くなってきた。
「ユイお姉さま? どうかなさいましたか? 先ほどより顔色が悪いような……」
「今日は、もう帰って。あとしばらく私に話しかけないで。話しかけられるのが迷惑なの。……分かったら、今日はもう出て行って」
ドアを指さしながら、ユイは片手で頭を押さえる。
さすがにユイの体調がよろしくないのは分かるのか、ニーナは心配の言葉をかけると、あっさりと部屋から出て行った。
ドアが完全に閉まる音を聞いてから、ユイはベッドにあおむけに倒れる。
「……どうすればいいの」
本当は、今日これきりで、彼女と話し合いを終えれたらと思ったのに。
せっかく腰を据えて話し合いができると思ったのに。
ニーナにユイの話は届かなかった。
彼女はもう自分の思い込みがすべて正しいと思っている。例えそれが、お姉さまと慕っている相手からの言葉であっても、彼女自身の考えに間違いはないと思っているのだ。
──あ、ユリを呼び戻さないと……。
談話室へと行ったユリに、戻ってよいと伝えなければ。
だが頭痛はだんだんひどくなり、立ち上がるのがすごく億劫になってきた。
ユイは仕方なく、ベッドの備え棚に置いていた伝言蝶を取り出し、簡単なメッセージを添えて、ユリ宛に伝言蝶を飛ばした。




