新しいルームメイト①
時間というものは、想像以上に早く過ぎていくものらしい。
ユイがレイスヴィーグ魔法大学校へ入学してから、1年が経とうとしていた。
秋口に起きたトラブルを除けば、至って落ち着いた学校生活を過ごしていた。
そして、凍てついた冬が過ぎ、だんだんと空気に暖かさが混じってきた頃。
ユイは2学年に上がろうとしていた。
本日配布された1学年の成績表を手に、ユイはサークル部屋──通称・隠し部屋へと向かっていた。
──全体的にまあまあの成績表かな。総合科目もAを取れたから、ひとまず安心だし。
芸術面の必須教科がいちばん低い成績ではあるが、そちらの方面に進む予定はないため、全体への影響はないだろう。
思ったよりも満足のいく成績に、ユイの足も軽くなる。
隠し部屋へたどり着き、入口の魔法トラップを突破して室内に入ると、すでにフレインとイサクがそろっていた。
「お疲れ様です」
「あ、ユイちゃん、お疲れ。あら、その手に持ってるのは成績表かしら?」
顔を合わせるや否や、ユイの手元にあるものを目ざとく見つける。
成績に関しては彼らに隠す必要性を感じないため、あたりさわりのない程度に今回の内容を伝えた。
「1年だとしてもほとんど全時間の授業を取ったの……? よく頑張ったわねぇ」
「それで全体評価がB+なら、大したもんだな」
口々に褒められて、ユイは少々むずがゆくなった。今まで褒められるという経験がないに等しかったので、今回のように手放しで称賛されると反応に困ってしまう。
2人の褒め殺しのすきをついて、ユイは話をそらした。
「お、教えてほしいことがあるんですけど……2年のうちに取っておいたほうがいい教科とかありますか?」
成績表と同時に、2年次のカリキュラムが手渡された。14日後の授業開始までに取得希望の教科を決め、準備をしなければならない。
必須教科は当然として、そのほか2年次から取得可能な授業がいくつか増えている。どれもユイにとって興味深いものではあるが、それらすべてを受講することは残念ながら叶わない。優先順位をつける必要がある。
悩んだなら先達に教えてもらうべし。この1年でユイはそれを学んだ。
ユイの話を聞いて、フレインとイサクは少し悩み、
「……あたしとしては、3年までに魔法医療資格2級まで取っておいたほうがいいと思うな。2年から取れる魔法医療基礎と魔法医療実践、余裕があれば継続して魔法薬や錬金術も取っているといいかも」
「前に話したと思うけど、興味があるなら魔法陣基礎を取ったらどうだ。割と自由度が高い授業だし、魔法工学と合わせると意外とタメになる」
彼らの話を聞きながら、ユイは必要と思われる教科にチェックを入れる。
基本的に探掘にかかわる授業は必須だが、それ以外の授業もできる限り取ろうと思うと、ほぼ毎日毎時間授業を取ることになりそうだ。
「必須授業と重なって取れない授業もいくつかある……」
「ユイちゃん、取りすぎじゃない? ほとんど毎時間授業じゃない」
フレインがユイの授業計画票をのぞき込み驚きの声を上げる。ユイとしては1年次も同じような感じだったため問題ないと思っているが、はたから見たらかなり詰め込みすぎなのだろう。
それでも、学びたいことは山のようにある。時間があっても足らないくらい。
「問題ありません。私の目標に近づくために、必要なことなので」
ユイがそう言うと、フレインは心配そうな顔をしながらも引き下がってくれた。
そして話を変えるように、
「必須授業分の教科書はもう買ったの?」
と尋ねた。
ユイはまだ購入していない旨を告げると、フレインは早いほうがいいという。
「どうしてですか? まだ授業開始まで日があるのに……」
「甘いわユイちゃん。あんまり遅いと初回授業を教科書がない状態で臨むことになるわ」
ユイの頭にはさらにはてなが浮かぶ。
授業で使用する教科書は、学校構内の各専門書が売っている店で購入することになる。この時期になると、学校校門近くに集まる店周辺に、授業で使用する教科書を取り扱う店が集結するのだという。
もちろん、店側もこれから学生が買いに来ることなど承知だろう。充分に在庫はそろえるはずだ。それなのに、買えないことなどあるのだろうか。
「1年は座学中心だから実感湧きづらいだろうけど……あのね、教科書は1人1冊じゃ足りないの。特に魔法薬や錬金術など、調合や魔法を使う授業に関してはね」
フレインの言葉に、イサクも激しく同意していた。
「魔法薬の授業じゃ、自分のミスっていうよりは、他人のミスのせいで教科書ダメにさせられるからな。鍋からはねた魔法薬が教科書にかかって、本そのものが溶けた時は、マジであいつぶん殴ろうかと思った」
「分かる。教科書に授業のメモ残してるときなんか最悪よ。人がせっかくまとめたものを、他人にダメにされるんだから」
その手の話は実体験としてよくあるのか、フレインとイサクの口からどんどん出てくる。
「……というわけで、実技系の教科書は最低2冊は買っておくといいわ。もちろん、授業が始まってからでも物によっては買えるけど、在庫がないと結局取り寄せるまでに時間がかかったりするからね。予備はあって損はない」
「な、なるほど……」
「大体の人が複数買うから、あんまり遅いと店側の準備が追い付かねぇから、手に入るまで時間かかんだよ」
ユイはようやく理解した。そして明日にでも教科書を買いに行こうと決意する。
こうやって先輩たちから学生生活を送るうえでのコツを教えてもらえるのは非常にありがたい。
もしこのサークルに入っていなかったら、ユイはぎりぎりに教科書を買いに行って、準備ができない状態のまま授業初日を迎える科目があったかもしれない。
そう考えると、自分の夢を叶える目的以外に、こうした情報を共有してもらえる場があるということのありがたみを実感する。
引き続き、ユイが先輩2人から2年次の授業の話などを聞いていると、突然出入り口側で物音が立った。
誰だ、と問う間もなく、1人のひょろっとした白衣を着た男性が室内に入ってきた。
「ローザー先生」
フレインが入ってきた男性のことを呼ぶ。先生ということは、この学校の教員なのだろう。
ローザーと呼ばれた男性は、だるそうに片手を上げた後、茶葉や珈琲豆をしまっている戸棚のほうへ行き、それらをあさり始める。
「ローザー先生、ずいぶん久しぶりですね。相変わらずくたびれた格好して」
「余計なお世話だ」
「てか先生、豆持ってくのはいいけど量考えろよ。在庫の半分くらい持ってってるよな?」
「俺には必要な分量だ。お前らこそ、学生の内からそんなに飲まねぇだろ」
フレインやイサクは既知なのだろう、ずいぶん砕けた口調で話している。ローザーもそのあたりは特に気にしていないようで、かなりぶっきらぼうに聞こえる口調で返している。
ユイが戸惑っているのを雰囲気で察したのか、フレインが簡単に紹介してくれた。
「この人はローザー・キャタルソン先生。主に魔素に関する研究をしていて、魔法研究論や魔素応用学などの授業を受け持っているわ。まぁ低学年の内は滅多に関わることないだろうから、知らなくて当然よね」
この学校で働く教員は多い。それだけ多岐にわたる分野を教えられる人がいるのだ。
知らない先生がいたとしても、それは何ら不思議なことではない。
ローザーの視線がユイへと移動する。
「君は新入りか。……ユイ・フェールディング、で間違いないか?」
「は、はい。そうですが……」
「フレイン、イサク。部屋の入り口で伝言蝶がはじかれてたぞ。さっさとトラップ解除してこい」
ユイと話していたと思ったら、いきなり話題が変わった。
「え、嘘。気づかなかった。先生、気づいたなら解除してくれたらいいのに」
「馬鹿言え。誰がそんなめんどくさいことするか」
「めんどいって言ったぞこの教師」
「そのせいで、わざわざ俺が駆り出されてんだよ」
話のテンポが思いのほか速い。ユイは次々に放たれる言葉を黙って聞いていた。
フレインとイサクに対し話していたと思っていたら、突然「ユイ・フェールディング」と話の先が突然戻ってきた。
「は、はい」
「校長がお呼びだ。至急、校長室に向かうように」
「……はい?」
全く予想していなかったことに、思わずユイは聞き返してしまった。