伯爵令息は叫ぶより囁く方がお好きなようです
リリアはデリクに手を引かれ、シュレイバー家タウンハウスの庭園へ向かった。
「デリク様、本当にお体大丈夫ですか?」
「さっきも言ったけど大丈夫。それより見てごらん」
「わぁ……」
十数メートルは続くであろうキングサリのトンネルに息を呑む。頭上から垂れ下がる鮮やかな黄色い花。まるで魔法の粉が降り注いでいるかのようだ。
「素敵です……」
もっと感想を述べたいのに、あまりにも圧巻すぎて当たり前の言葉しか出てこない。瞬きを忘れ瞳を輝かすリリアの姿に、デリクは満足そうに目尻を下げた。
「行こう」
「はい」
互いの歩調を合わせるようにゆっくりと歩いていく。時折立ち止まってはキングサリを眺め、デリクは夜会での出来事をリリアに伝えた。
「そんなことが……だからあの時……」
夜会前にかけた保護魔法を解除しようとした時、なぜシャーロットがあんなにも怯えた表情をしていたのか。そういうことか……とリリアは納得した。
魔法の解けたクドカロフ公爵夫人のことだが、彼女の素顔は決して醜くくはなかったという。
『美しくなりたい。美しいと思われたい』
それは誰の心にもある当たり前の感情。前向きになるため、自信を持つため、好きな人を振り向かせるため……様々な願いを胸に秘めて人は綺麗になろうと努力する。とても素晴らしいことだ。内面を磨くことで、その美しさは更に輝きを放つだろう。
しかし夫人が求めたのは外見の美しさだけ。自分の求める『美』に固執しすぎた結果、魔法によって容姿を変えるという選択をしてしまった。自身だけの秘密にとどめておけば、『美しい公爵夫人』として一生を終えることが出来たのかもしれない。
最大の過ちは、シャーロットの容姿までも魔法で変えてしまったということだ。
生まれながらにして重大な秘密を背負わされたシャーロット。お気に入りのお人形のように扱われたうえに、母親が一番美しいと認め選んだデリクと結婚しろと? それは娘の幸せのためではない。美しい孫を手に入れたいからだ。
シャーロットは誓ったはずだ。
『冗談じゃない……決して思い通りになるものか』と。
「――もしもシャーロット様がクドカロフ公爵の金髪碧眼を受け継いでいたのなら、違う未来があったのでしょうか」
「どうだろう……シャーロットも言っていたけれど、俺と彼女の間に子供が生まれたとして、公爵夫人の美意識から外れていた場合、夫人は孫に対しても結局同じことをするんだと思う」
「そうですね……」
近い将来シャーロットは殺人未遂で死刑となり、魔術師である侍女メイベルも同じく死刑となるだろう。クドカロフ公爵は、何も知らなかった自身を責めて娘の減刑を訴え続けている。
現在魔法の効果が切れてしまった公爵夫人は、娘や夫に対して懺悔をするのではなく、美しさを失って気が触れてしまったとのことだ。放っておけば、すぐにでも自ら命を絶とうとするらしい。彼女が死ぬのも時間の問題ではなかろうか。
そして、シャーロットと愛し合っていた子爵令息カルロの両親は爵位を返上して辺境へと移り住み、カルロ自身は愛を貫きシャーロットが処刑されるその時に共にあの世へ逝くつもりらしい。
シャーロットは許されざる事をした。リリアは許すつもりは毛頭ない。
しかし、彼女の境遇を知ってしまえば気の毒だとも思う。デリクの存在を『虫唾が走る』と言い退けたシャーロットの真意を理解できなくもない。彼女が受け続けた心の苦痛は、簡単に「可哀想」などという言葉で片付けることはできないだろう。リリアがしんみりと考えているとガサガサッと足元から白い塊が飛び出してきた。
「――きゃあ!」
「リリちゃん!!」
「あっ、はい!!」
反射的に答えてしまったが、デリクの言う「リリちゃん」は白猫のリリーのことである。デリクは右の手のひらに真っ赤な顔を埋めてリリアに背を向けた。『しまった……』と声に出さなくとも彼の背中が物語っている。
リリーはデリクの足にすりすりと体を擦り付けたあと、少し離れたバラの茂みの前でミャーミャーと鳴きだした。
「ミャ、ミャァー」
「ミャーオ……」
ずいぶん歳のとった猫と可愛らしい猫の鳴き声だ。デリクは呆れたように目を細め、大きな溜息をついた。
「お祖父様とミシェル……。あの二人、あとでお母様の雷が落ちるな」
しかし、デリクとリリアにやきもきしているのはデイビッドとミシェルだけではない。ガゼボにいる両親たちまでこちらを凝視している。デリクは深呼吸で気持ちを静めた。
「あのさリリア……話はずいぶんと変わってしまうけど。殺到してる婚約の話――」
「あ、あれですか。そうですね、両親とじっくり話してみます」
デリクの前で自身の婚約について語るのはつらい。こういう時はさっさと話を終わらせた方がいいだろう。
「デリク様、もしもお暇がありましたら……たまにはお店にお立ち寄りください。面白い魔法陣を考えてお待ちしています」
「…………たまにしか会えないのか?」
悲しげなデリクに、どうしたのかとリリアは首を捻った。
「俺は、毎日リリアに会いたい」
(――!?)
まさか……と分をわきまえない考えが頭をよぎる。
こういう時どんな返事をしたら良いのだろう。緊張で足が震える、心臓が言うことを聞かない。リリアは揺れる瞳でデリクを見つめた。
「君が好きなんだ」
デリクの淡いブルーの瞳が、頬を紅潮させたリリアをじっと見つめ返してくる。デリクは繋いだままの右手にぎゅっと力を込めた。
「ずっとそばにいたい。君と結婚したい」
唐突に告げられたプロポーズにリリアの脳みそがフル回転で追いつこうとする。
「……けっこん…………け、けっ結婚ですか!? 本気ですか? 魔導書をニヤニヤしながら読む女ですよ? その上、売上のために媚薬の魔法陣とか描いちゃう女ですよ!? それに、デリク様のお母様は爵位にこだわっていませんでしたか? 私は貧乏男爵家の娘ですし……」
「大丈夫、その母が背中を押してくれたんだ。リリアがシュレイバー家の呪いを解いてくれてから、母は俺たちの話を聞いてくれるようになったよ。損得勘定のある人だからなんらかの思惑はあると思うけどね」
シュレイバー家にかけられていた異性関係を悪くする呪い。呪われた伯爵の元に嫁いできた夫人は、つまり自分があまり褒められた人間ではないと言われたようなものだ。
何かあるたびに、家族から『呪いが引き寄せた女だからな』と思われるのは彼女のプライドが許さないだろう。家族にそうではないことを証明するためにも、変わる努力をし始めたようだ。
悪い部分が直せるのならそれに越したことはない。きっとこの先、温かく思いやりの溢れた家族になっていくことだろう。
「母のことだから、リリアが俺のお嫁さんになってくれたら、雇われ店長じゃなくて王都の中心に新しく店を構えて事業拡大を図るかもね」
デリクの口から出た「お嫁さん」の言葉に更に鼓動が早まる。
「実はね、シャーロットが媚薬の魔法陣を使おうとして失敗した時、リリアの名前を聞いて喜んでしまったんだ。君を監視すると言ったのは、思い出が欲しかったからで……リリアを疑ったことなんて一度もなかったよ。本当は王立学園で君を初めて見た時から……その……一目惚れなんだ」
「そんなにも前から私のことを……」
「うん……君は俺のこと、どう思ってる?」
以前デリクの部屋で聞いたことは、やはりリリアに向けられたものだった。
決して手の届かない人だと思っていたデリクが、耳まで赤く染めて愛を伝えてくれている。不安げに弱々しく眉を下げるその様子が愛しくてたまらない。リリアの中で押し殺していた彼への愛が溢れ出した。
――もう隠さなくていい、素直に気持ちを伝えてもいいんだ。
固く閉じた心の扉を開いた。
「私……私は……デリク様のことをお慕いしています」
デリクは目を見開いて引き結んだ唇を微かに震わせた。数秒間無言の時が流れ、首を傾げたデリクは潤んだ目を細めて悪戯っ子っぽくはにかんだ。
「じゃあ、好きって言って」
ハートを撃ち抜かれるとはこういうことなのか。デリクが喜ぶことなら何でもしてあげたい。
「好きです! 私、デリク様が大好きです!」
必死に好きだと伝えるリリアの姿にデリクの笑顔が輝く。デリクは右手を差し出すと、地面に片膝をついてリリアを見上げた。
「リリア、俺と結婚してください」
「はい! 喜んでお受けいたします」
デリクの右手にリリアの右手が重なった。
「――お兄様! リリア様ぁぁああ!!」
隠れて二人の様子を覗き見していたミシェルが飛び出してきた。
「お前は……はしたないぞ」
「分かってます! 分かってますけど、今日だけは許してください!!」
二人に抱きついて泣き出すミシェルの姿に、お互いの両親やデイビッドも心を重ねる。ホッと胸を撫で下ろして、皆目尻を下げた。ミシェルはデリクとリリアから離れると、デイビッドの手を取って両親の元に駆け出した。
「お兄様たちも早く!!」
大きく手招きするミシェルにリリアが柔らく微笑んだ時、デリクが耳元に顔を近づけた。
「――ねえ、リリア。早く二人きりになりたい」
「――っ!?」
いつもより少し低めな声で囁かれ、カァッと一瞬でリリアが茹で上がる。慌てて手で耳を押さえた。
「デリク様……!」
赤面したリリアがじとりと目をやれば、デリクはこれ以上ない笑顔で「行こう」とリリアの手を引いた。
日々投稿される数多くの作品の中からこのお話を見つけて下さった読者様。本当にありがとうございました。いいねとブックマーク、とても嬉しかったです。私は1つの話を考えるのに時間のかかるタイプなのですが、皆様の目に留まれるような物語を書くことが出来たら良いなと思ってます。お付き合い下さってありがとうございました!