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坊ちゃま、グッドラック

 翌朝、眩しい日差しが差し込みリリアは目を覚ました。デリクの言う『罰』が気になってなかなか寝付けなかった。こんなに清々しい朝なのに気分は重い。朝食のパンがいつもより喉に引っかかるような気がした。


 昨晩描き足した売れ筋の魔法陣の紙を補充して、特注に備えて製図道具の手入れをする。開店前の準備を終えたところで、お気に入りのラズベリーティーを淹れて甘酸っぱい香りを胸一杯吸い込んだ。


「はぁ〜、いい香り」


 ゆっくり堪能しながら飲み干して「よし、今日も働くぞ!!」と気合を入れ直した時、チリンとドアベルが来客を知らせた。


「はーい、いらっしゃいま……」


 奥の部屋から店に顔を出したリリアの表情が固まった。生唾を飲み込んでごくりと喉がなる。それもそのはず、ドアの前には従者を連れた伯爵令息デリク・シュレイバーが立っていたからである。俯いて軽く咳払いした彼は、瞼を上げて冷たい瞳でリリアを見た。


「おかしな事をしていないか、しばらく君を監視することにした」

「私、悪い事はしていません。監視しても時間の無駄だと思います。デリク様お仕事は? その間どうなさるのですか?」


 開店早々『監視』を宣言したデリクに生意気にも口答えしてみるが、彼の口から出たのは「テーブルを借りたい。君が見える位置に移動してもいいか?」。リリアの意見など取り合う気はないようだ。


「書類を持参してきた。店の奥で仕事をさせてもらう。彼は私の従者のニールだ」


 リリアたちよりも十歳ほど年上に見える糸目の従者、ニールは大きな書類ケースを両手で抱えて申し訳なさそうにペコリと頭を下げた。


(ほ、本気だ……)


 雇われ店長二年目。ようやく仕事にも慣れて気楽にやっていたというのに、監視なんてたまったものではない。これは早急に潔白を証明しなければいけなさそうだ。しゅんと体が縮こまる。


「はい……分かりました」


 面倒事に巻き込まれてしまったリリアは、眉、口元、肩、モチベーション、一日の始まりだというのにすべてが下がってしまったのだった。




 ◇◇◇


「ありがとうございました」


 気付けばもうお昼。

 ドアまで客を見送ったリリアは背後に強い視線を感じた。振り向けば奥の部屋で監視&仕事中のデリクが、片肘をついて日向ぼっこ中の猫のように気持ち良さそうに目を細めてリリアを見ている。


(…………)


 そのまま数秒経過。目が合っていることにやっと気付いたようで、とろーんとした目元がハッと見開き鋭さを取り戻した。即座に手元の書類に視線を落として猛烈に仕事を始めたようだ。


 テーブルに積まれた書類の山といくつかの資料や本。監視なんてしていたらますます仕事が溜まっていくのではと心配になるほどだ。


「あの……デリク様……監視はご自分がなさらなくてもニールさんに任せたらどうですか? 書類の持ち運びは危ないですし、仕事は書斎でした方がはかどりますよ」


「そ、そんなのダメだ! 私が監視する!! 仕事は大丈夫だから……」


 デリクの眉尻がグッと下がった。懇願するような目で訴えてかけてくる。


「………………そうですか」


 しばらくその表情を見つめていたリリアは真顔で呟くと、くるりと向きを変えてデリクに背を向けた。


(――――か、可愛い。それに、さっきの猫ちゃんみたいなとろけ顔は見てはいけなかった気がする……)

 

『私が監視する』――結構なセリフだと思うのだが、デリクの懇願するような潤んだ瞳のせいでリリアの胸がえらいことになっている。さすが世の女性たちを騒がす美男子。今まで恋というものに縁がなかったリリアの心も例外無く揺さぶる。胸に手を当てて一度深呼吸をしてから再び向き直った。


「デリク様、もうお昼ですし休憩しましょう。外に食べに行きますか? それか、簡単なものでしたら作りますけど」


「君が作ってくれるのか!?」


 ガタンと音を立てて急に立ち上がったデリクは、我に返って「すまない」と小声で呟いたあと決まりが悪そうに座り直す。


「そういえば、君は侍女を側においていないから何でも自分でしているんだな」


「はい。実家の侍女は必要最低限の人数しかいないので、学園入学時に王都へは連れてきませんでした。着飾るような場所には縁がありませんし、防犯対策なら魔術でどうにかなりますから。案外一人でもやっていけますよ」

 リリアは苦笑いを浮かべた。


「そうか……先ほどの返事だけど、お言葉に甘えて手料理をいただこうかな」


 指先をいじっていたデリクの視線がニールへと流れる。すると「ああっ!」と突然声を上げた彼は、


「デリク様、わたくしは少々外に出かけて参ります! お二人でごゆっくりと」


 手際良くテーブルの上の書類を片付け、デリクに目配せすると足早に店を出ていってしまった。見間違いか、去り際ニールの目元がキラリと光っていたような気がするリリアだった。

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