胸がドキドキ
結局、クドカロフ公爵夫人が店に来た翌日から三日間、リリアはデリクと会えなかった。その間リリアは毎日休む暇なく仕事に打ち込んだ。そうでもしないとデリクを思い出してしまうからだ。
そして今日、リリアはデリクと共に彼の祖父であるシュレイバー侯爵に会いに行くことになっている。遊びに行くわけではないのであまりおしゃれな格好はできないが、数少ない手持ちの服の中からわりと可愛めのワンピースを選んだ。
――『シュレイバー伯爵家のご令息がシャーロットの婚約者であることは当然ご存知よね?』
少し浮かれていた頭の中に公爵夫人の言葉が流れる。
クローゼットを開けて普段通り飾り気の無いシンプルなワンピースを手に取ると、着替え直してその上に長めのローブを羽織った。
そして最終確認をしようとしたリリアは、鏡に映る自分を見てガックリと項垂れてしまった。クマだ。四日間徹夜続きだったせいで目の下にくっきりとクマができてしまっている。
(クマをとる魔法なんてないもんね……)
目を閉じてしょげたリリアは鼻をすすった。しかし、今更どうにもならないと諦めて前髪をささっと整えた。
――チリンチリン。
(デリク様がいらっしゃった)
ドアベルの音をこんなにも嬉しく感じるのは初めてだ。リリアは跳ねるように奥の部屋からお店へ向かった。
「おはよう、リリア」
爽やかなデリクの笑顔にぎゅっとリリアの胸が締め付けられる。
「おはようございます、デリク様」
(四日ぶりのデリク様だ……)
にこにこと無言で微笑み合うデリクとリリアにニールが声をかけた。
「デリク様、リリア様。そろそろ……」
「ニールさん、おはようございます。今日は店番よろしくお願いします」
「はい、お任せください」
デリクの提案で、留守の間ニールに店番を頼むことにしたのだ。ニールに説明を終えて二人は店を出た。リリアは外で待っていた御者と従者に挨拶を済ませ馬車に乗り込んだ。
「リリア、顔色が悪いけど大丈夫か?」
「ちょっと夜更かししてしまって」
「俺が貸した魔導書を読んでたの?」
「はい、楽しくてつい。とても参考になりました」
「それは良かった」
馬車の中でデリクと二人。徹夜続きのぼやけた頭が正常に働くわけもなく、デリクがにっこり笑うたびにリリアの脳内がお花畑状態に陥っていく。デリクは心配そうに首を傾げると、ゆっくり立ち上がってリリアの隣に座り直した。
「本当に大丈夫か?」
ほんのり頬を染めたリリアのおでこに、デリクの手のひらが軽く触れた。
「熱は無さそうだな。祖父の所までしばらくかかる。俺にもたれて眠るといい」
いつものリリアなら「そんなのダメです」と断るはずだが、ぽわぽわのポンコツ状態の今は理性はミジンコ並。
「すみません……ありがとうございます」
デリクの体から伝わってくる心地良い温もりと安心感で、リリアはすぐに眠りについてしまった。
◇◇◇
(ドキドキが止まらない……)
デリクは、体を寄せて眠るリリアをちらっと覗き見た。彼女と触れ合っている右腕がじんわりと温かい。大胆な事を言ってしまったと頬を赤らめた。
(会えなかった三日間、ずっとリリアのことを考えてた。呪いが解けてしまえば、もうこんな風に二人で会うこともないだろう……)
デリクはリリアの左手に自分の右手を重ね、彼女の薬指を人差し指と親指で挟んで指輪を通す時のようにスッと指先から付け根へと滑らせた。
「リリアの赤い糸は誰と繋がっているんだろう。俺だったら良かったのに……。好きだよリリア」
デリクは頭を傾けて、柔らかなリリアの髪の毛を頬に感じた。
◇◇◇
「……リア……リリア起きて……」
(……デリク様の声がする)
「リリア、侯爵邸に着いたよ」
(侯爵邸……何だっけ……そうだ私!!)
リリアはパチッと目を覚ました。
「すみません! 眠ってしまいました」
すぐ左にはデリクが座っていて、どうやらずっと肩を貸してくれていたらしい。身動きが取れずに体中が痛くなっているだろう。
「大丈夫。降りようか」
「はい」
デリクは先に降りると、当たり前のようにリリアの手を取ってくれる。スマートな所作の裏側で、本当は腰や背中が痛くて痺れているのを我慢しているのかしらとつい想像を膨らませてしまった。
「おかえりなさいませデリク様」
「ただいま」
リリアは実家の男爵家より何倍も大きな侯爵邸に目を見張った。ずらりと並んだ侍女や従者にお出迎えされてリリアはデリクとの格差を嫌でも感じてしまう。
この先デリクは公爵家の婿養子になる予定だが、そうでなければ父の伯爵が次期侯爵となり、その爵位は代々受け継がれ、いつかはデリクがこの屋敷の主人となるはずだった。
片や自分は田舎貧乏の男爵令嬢。デリクはすぐ隣にいるのに、とても遠く感じる。リリアは足がすくんでしまった。
「リリア? 行こう」
デリクの優しい笑顔に、侍女や従者たちが目を丸くした。口には出さないが皆同じ事を考えているのかチラチラと互いに目配せしている。
「はい」
リリアは『大丈夫、怖気付くな』と胸を張って気合いを入れ直す。そびえ立つ侯爵邸へ足を踏み入れた。