この気持ちを伝えられたら
――監視は終わり。
先ほどまで光輝いていた世界が、リリアの一言で一瞬にして色褪せた。二人の間に生まれた繋がりが一つずつ消えていく。何もなかった元の二人に戻ってしまう……デリクは焦燥に駆られた。
「……デリク様?」
リリアは首を傾げ、俯いたデリクを心配そうに覗き込む。
「リリア! 俺は――」
デリクが突然大きな声を出して立ち上がった。「ニャア!!」という鳴き声とともにカーテンが揺れる。立て続けに二度驚いたリリアを、次いで三度目の驚きが襲った。
「リリちゃん!」
「――えっ!? あっ、はいっ」
リリアが混乱しながらも咄嗟に返事をすると、デリクは目を見開いて慌てて手で口を覆った。
「これはその……ええっと……」
視線を彷徨わせるデリクの顔がみるみる真っ赤に変わっていく。カーテンの裾からするりと現れた真っ白な長毛の猫は、落ち着いた足取りでデリクの足元までやってきた。すりすりと頬を擦り付けながら今度は可愛らしい声で「ミャー」と鳴く。デリクはしゃがむと、
「そ、そんな所で昼寝をしてたんだね。大きな声を出して驚かせてごめんよリリー…………それからリリアも」
ゴロゴロと喉を鳴らし甘えるリリーの顎を撫でながら、羞恥心で耳まで赤く染めたまま上目遣いでリリアを見上げた。
「ぜ、全然大丈夫です!」
(ああああぁぁ! この絵面、可愛すぎて目に毒です……)
デリクにつられて赤面したリリアは忙しなく手を振った。
「リリちゃんって、その子のことだったんですね」
「うん」
「あっ、目の色も私と同じ緑色だ。もしかして名前の由来はユリの花ですか?」
「うん」
「私の名前もそうです。この銀髪も昔はもっと白くて、父が産まれたばかりの私の緑の目を見て――」
「一目惚れなんだ」
「…………」
デリクの呟きにリリアは口を噤んだ。
「初めて見た時から……好きなんだ」
デリクは猫のリリーではなくリリアの目を見ている。壊れそうなほど強く脈打つリリアの心臓は、今にも胸を突き破ってしまいそうだ。
「た、確かに一目惚れしてしまうくらい可愛い猫ちゃんですね。でも、デリク様が一目惚れなさるなんて意外でした」
「どうして? 俺だってするよ。リリア……」
「私、そろそろお店に戻りますね!」
立ち上がったデリクが続きを口にする前に、リリアもソファーから腰を上げて帰宅の意思を伝えた。デリクはわずかに眉を下げて瞼を数秒伏せたが、「そうだな」と少し苦しそうな笑顔を見せた。
「この魔導書、いくつかお借りして良いですか?」
「全部……」
デリクは「全部あげる」と出かかった言葉を飲み込んだ。あげてしまったら、また一つリリアとの接点が消えてしまう。そんな未来が怖くなったのだ。
「好きなだけどうぞ。明日は仕事の都合で会えないけど、別の魔導書を持ってまた会いにいくよ。祖父の所にもなるべく早めに行こう」
「はい、分かりました」
この時、リリアは明日会えない事にガッカリしている自分に驚きを感じたのだった。
◇◇◇
帰り道、シュレイバー家の馬車に揺られながらリリアは王都の街並みを眺めていた。
目を腫らしたミシェルに「帰らないでください!」と懇願されて、帰宅が予定よりも少し遅くなってしまった。婚約破棄が何度も続いたせいで、彼女は一部の人たちから面白半分にあらぬ噂を立てられていることだろう。純粋で愛らしいミシェルを思うと胸が痛い。
『ミシェル様、空を見上げてください』
魔法で飛ばした細かな霧に眩しい太陽の光が反射する。タウンハウスの上空を見つめるミシェルの目が大きく開いた。
『虹……』
『今はおつらいですが、ミシェル様の心にもあのような美しい虹が架かることでしょう。シュレイバー家の呪いを解くために尽力いたします』
ミシェルの目から大粒の涙がほろりとこぼれ落ちた。
『リリア様……』
ミシェルは小さな子供のように目をこすりながら泣いている。
(私が必ず解いてみせます)
リリアはミシェルの背中を優しく撫でながら呪われているデリクとミシェルを想った。