第一話 【一応夫婦である】
こんにちは。この物語は、妖怪と人間の境界線で暮らす、ちょっと変わった夫婦のお話です。
九尾狐の雲母子と狸の大田は、人間社会に紛れて10年。正体を隠しながらの結婚生活は、うまくいくのでしょうか?――いえ、うまくいかせたいんです。
けれど、世の中そう甘くはないようで…。
コメディあり、大大ピンチあり、ちょっぴり愛もあり。
そんな妖怪夫婦の日常(と非日常)を、どうぞ読んでみてください。
序章
ある時代にオオサカとキョートーの間には、ある町が存在する。その町の名は「古原」(ふるわら)である。古原町では、妖や変身能力のある人型に化ける妖が人間の社会に紛れ込む妖がいる。
人間たちとともに共存したい妖は少ない。非常に少ない。妖は人間を恐れ、遠い昔からずっと人間と離れて山の奥に静かなところに暮らし続ける。
しかし、いわゆる妖の聖地は少なくなり、人間と共に暮らす必要があると考え直す妖が増えている。
一方、それに反対する妖も少なくはない。この妖社会では、法律が成立され、人間と一緒に暮らすのが禁止された。しかし、二人の全く別の妖(種類や性格、年齢も)がどうしても一緒に人間社会に生きていきたいようになった。
<大田の話>
奥様の名前は雲母子で、俺の名前は大田だ。苗字がない。作ろうと思っているけど、まだ良い苗字思いつかない。俺たち人間ではないので、当然のことながら戸籍もない。戸籍がないといろいろ厄介なことになる。特に仕事。結婚もそう。10年目に迎えた結婚は実際に登録されてないので、人間社会で既婚者として認められていない。
法律上は人間として認めてられていないが、まあ、人間じゃないので、仕方ない。
幸運で人間の姿に変身できる能力がある。この能力は妖の世でも稀な能力だ。
俺と奥様が人間社会に紛れ込んで、人間として生活できるかどうかはただいま実験中。
私たちの自然故郷(山・森林・川・海など)には人間が勝手に侵略し、大自然に生息するのが困難になった。
人間ってヤバイね。
「伊藤はどうかしら?」
美人の人間にすでに化けた奥様が、昨日釣った残りの生鮭で朝食をとりながら、ふいに言った。
そろそろ苗字をマジで決めないとね。
十年も経って、まだ苗字がないなんて、今の時代じゃあり得ないことだ。
とはいえ、俺たち、職場では偽造した身分証明書を使ってるし、適当な苗字は一応ついている。
俺は「狸原 大田」。奥様は「狐塚 雲母子」だ。
「地味じゃないか」と俺が言えば、
「人間って地味じゃない?」と返される。
「それはそうやけど。そろそろ決めなきゃな」
そう話していたら、急に彼女が「砂糖嫌い」と言い出した。
唐突すぎて「佐藤」と聞き間違え、おおごとになった。
わけのわからん口論が始まり、落ち着いた頃には、俺はいつものぽっこり丸くて背の低いサラリーマン姿に変身して、家を出て駅に向かっていた。
<雲母子の話>
たまに思う。なんで私、あのバカ狸と同居してるんだろうって。
夫は狸の妖怪。いろんな姿に変身できるが、私は狐と人間の姿しかとれない。
妖怪の世界では、狐は最上位とされてるのに。
……でも、あの変身能力の高い夫は可愛くてしょうがない。
夫が出勤したら、私も仕事に入る。
家から出ずに、2LDKのアパートの和室で、昨日始まった翻訳案件をパソコンで進める。
ふう……自宅勤務とはいえ、肉球じゃパソコンの操作が難しくてしょうがない。
仕方なく人間の姿を取ることにした。
琥珀色の鋭い目、濃い赤茶の長い髪、細身の体つき。少しは美しく見えるかしら。
まったく……人間社会って、なんて残酷なのかしらね。
<大田の話>
「電車は混んでいるなあ」と、つい口に出してしまった。
周りの乗客と目が合って、じっと見られる感じがした。
このとき、「鳥になりたい」と思ったけど、人混みの中で変身するのは禁止されている。
帰りに飛んで帰ろう……と、頭の中にメモしておいた。
はやぶさがいいな。通勤って、本当に酷だ。
<雲母子の話>
仕事開始から八時間以上が経ち、なんとか納期に間に合って翻訳を取引先に送信した。
パソコンの時計を見て、午後6時半になった。
そろそろ晩ご飯を作ろうと考えた。
昨夜捕まえたアヒルでも焼こうか。
生でもいいかしら……いや、人間のふりをしているなら、人間らしく食べなきゃ。
ためらいながらもアヒルを焼き始めた。
あ、調味料を買い忘れた。彼には味なんて分からないし、私もよく分からない。
ちょうど焼き終わった頃、夫が帰宅した。
相変わらず疲れた顔をして、「ただいま」も言わずにあったかい炬燵の中に入った。
……まったく、あいつ。
<大田の話>
オレ、まじ疲れた。今日ははやぶさに変身する体力が残ってなかったので、人間の姿で電車に乗って帰ってきた。
奥様に内緒なんだけど、本当はオフィスワークするサラリーマンじゃなくて、工事の仕事をしている。もちろん、日払い。
それがバレないように、帰る前にアパートの近くに綺麗な川で本当の姿・身体(狸)を洗ってから帰宅した。
リフレッシュした身体をアパートのドアの前について、一回ノックして、鍵を入れて、ドアを開けた。
ドアの反対側には、人型の美人が立っていた。晩御飯の出来上がった姿のままで、まだエプロンを着ていた。
「晩ご飯できたよ。さあ、味わって」
キララが命令口調で言う。
そう、言い忘れてたけど、俺の変身能力がいくら高くても、体力も魔力も、キララの方が遥かに上だ。
狐といえば、九尾の狐そのもの。
見た目は背が高くて細身の二十五歳くらいの美女。でも実際の年齢は……まあ、おそらく九百歳以上。
髪はお尻まで届く赤茶色で、人間の姿でも目つきはまるで狐そのもの。
怖いんだよ、あれ。でも同時にとても魅了。
俺の方も、見た目と中身は違う。
見た目は地味な三十五歳のサラリーマンだが、実年齢は五十七歳。キララに比べたら、子どもみたいなもんだ。人間だったら、ちょっと恥ずかしいかも。
「うみちゃんに餌は?」
あっ、しまった。
さびねこの飼い猫が鳴いてる。急いで餌を出さなきゃ。
奥様がなぜ猫を飼っているのかは未だに謎だけど、好みなんだろうし、逆らえない。
奥様が少しだけ焼いたアヒルを噛んで、顔をしかめた。
「この味付けは何?」
「生の方が好きでしょ?」
「そりゃそうやけど、人間ってこんな地味なもん食べる? 人間の味覚、分かってないといけないんじゃないの? これはちょっと……」
「そんな人らと混じりたいなら、自分でなんか作ってみな!」
叱られた。
恐怖を感じた俺は、一瞬で人型を解いて、ぽっこりした本来の狸の姿に戻って、布団が詰め込まれた収納に逃げ込んだ。
数分後、ふわふわ布団の中から扉をノックする音が聞こえた。
「もう出ていいよ。怒ってない」
「ほんまに?」
「ほんまに」
「本当に?」
「ほんとうに」
ゆっくりと扉を開けると、奥様も本来の姿に変身していて、お辞儀をしてくれた。
俺も軽く頭を下げ、収納から降りた。
「ちょっと出かけてくるね。お互い、落ち着くまで……」
彼女はいつもの美人な人間の姿に変身して、赤いワンピースを着て出かけていった。
また狩りにでも行くんだろう。
どんだけ狩猟好きなんだ、あの人。
うみちゃんがペットベッドから起きて、ストレッチして俺の方を見た。
そういや、しばらく猫に変身してないな……
うみちゃんとそっくりな姿に変身してみた。
……一瞬で反応された。めちゃくちゃうるさく唸ってきた。
体をアーチにして、鋭い牙をむき出しにしてくる。
俺の猫声が下手すぎて、唸り返そうとしたら、本能に従ってうみちゃんが襲ってきた。
人間に戻ろうとしたが、恐怖で変身できない。
猫の姿のまま、うみちゃんから逃げる羽目に。
必死に17階の部屋の窓を開けようとしたが、うみちゃんが追ってくる。
まさか……
飼い猫の肉球で死ぬなんてこと、あるのかよ……?
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