第八話 惨劇の魔王
剣を引き抜くと、魔王の腹からはドクドク血が流れるが、すぐに傷口はふさがる。
「フフ……フフフ……」
魔王が喉を鳴らすと、高らかな笑い声をあげる。
「アハ、アハハハ。愚かねぇ? いいわよぉ? だったら信じることができるまで思う存分やるといいわぁ! 私がもっと強くなっちゃうだけだけれど」
俺は黙って魔王の顔面へと拳を入れる。
魔王の持つ力も相まってか、手には骨が砕ける感触が伝わる。
「【ブラッドヒール】」
すぐにひしゃげた魔王の鼻は元に戻るので、俺は袈裟に聖剣を切り上げた。血が顔にこびりつくが、魔王の傷はまたしても復していく。
そして刺突。
「うっ……【ブラッドヒール】」
魔王が一瞬苦悶の表情を見せてみせるが、すぐにニヤリと笑みを浮かべる。
だが気にせず剣を抜き一振り。袈裟に斬り下げる。
「【ブラッドヒール】」
剣を一閃。
「【ブラッドヒール】」
腕を切り落とす。
「【ブラッドヒール】」
顔を切り刻む。
「【ブラッドヒール】」
俺は魔王を転ばせ、脚で鳩尾を押さえつけた。
心臓を一刺し。
「【ブラッドヒール】」
二刺し。
「【ブラッドヒール】」
三刺し。
「【ブラッド、ヒール】」
最初こそ余裕そうな魔王だったが、ほんの少しだけ焦りの色を覗かせる。
どうやらそろそろ気付いたらしい。
自然と口元が緩んでくる。
「かはっ……」
俺は魔王の鳩尾を再び踏みつけてやると、魔王の口からは液体が流れ出る。その眼は虚空へと向き、何やら考えてごとをしているようだ。
まぁこの状態で考えるのも難しいかもしれないし、そろそろ答え合わせと行こうか。
「それで? お前はいつになったら強くなるんだ?」
「……っ!」
剣を突き刺し、いじくりまわす。ぐちょぐちょとした感触が剣越しに伝わった。
「ブラ……【ブラッドヒール】……ッ! どうして……」
「ま、法螺話のセンスは認めてやるよ。あまりにマジで言うもんだからすっかり信じきっちまった。それともまだ足りなかったか?」
俺は魔王の腹を思い切り踏んづける。
「どうした? 力が増幅してるんだろ? ちょっとくらい抵抗してみろよ?」
「ンハッ……くふッ……」
何度も何度も魔王を蹴りつければ血が散る。すっかり俺の力が増幅したもんだから一発で骨が砕けて内臓を破裂させてしまうようだ。こりゃちょっとは加減した方がいいかもな。
「【ブラッドヒール】……」
魔王が力なく唱えれば、腫物だらけの顔も綺麗な肌へと元通りになる。
「どうして……どうしてまだ力がっ!」
魔王が叫ぶが、当然だろう。
何故なら強化される度に俺が【天秤】でその分を頂いているんだからな。
魔王は、身を転がすと、這いつくばって向こうへと行こうとする。
「おいおいどこに行くんだ?」
「あぁッ!」
聖剣を投げつければ足に刺さり、魔王は地面に縫い付けられる。
剣を引き抜き、魔王を強引に仰向けさせ、馬乗りになる。
魔王が俺の声を聞き逃さないよう、口を押さえつけ顔を近づける。
「さぁどうした? そろそろ俺を引きはがすくらいの力は得てるんじゃないか?」
初めて、魔王の瞳に恐怖の色が見える。
白い肌にシルクのような白い髪。存外整った顔は、どことなくウサギを彷彿させた。そう見えれば魔族でもいくらか可愛げがあるってもんだ。
ただ、角があるウサギといえば魔物の一つ目ラビットくらいだから可愛さの欠片も無いな。
俺はほら貝のような角に手をかけると、一思いにへし折った。
「いたぁ……いっ!」
痛い? おいおいマジかよ、魔族の角には痛覚があったのか。こりゃあ人類史上初の大発見だ。
「さぁどうした? 【ブラッドヒール】を使えよ?」
首根っこを押さえ付けると、魔王ははしたなくよだれを垂らす。
「う……ウラッ……ブ……」
「おっといけねぇ。これじゃあ声が出せないか」
喉を潰されたら分かるが本当に何の音も出なくなるからな。と言っても、無詠唱でも魔法は使えるはずだが、どうやらその考えに至る余裕すらないらしい。
「ケホッ、ブラッド、ヒー……コホッ、ル」
「よくできました」
傷が癒えたのを確認すると、髪をつかみ無理矢理魔王を立たせる。
「いたっ……」
「随分と元気な白髪だな。まったく抜ける気配がしない」
「白銀と、言いなさい……」
どうやらまだ言い返せるだけの力は残っているらしい。
「なに、どっちも同じ白さ」
「う……っ! ぐぁっ……」
腹を何度も殴りつけると、血で己の肉体を汚される。生暖かな液体が身体をつたうのが分かった。
「ゲロくらい我慢できないのか? そんなんじゃ満足に酒も飲めやしないぞ」
「静かに、なさい。今に見ておくことね……。すぐ存分に遊んであげるわ……【ブラッドヒール】」
「ま、スタミナのある女は嫌いじゃない」
魔王の肢体を地面に叩きつければ、大理石の床は砕け散る。だいぶ強化された分を引き受けたせいか加減が難しいな。
魔王が【ブラッドヒール】を発動した事を確認すると、華奢で軟らかな腹の上に剣を突き立てる。
「あぅ……ッ!」
魔王を何度も何度も刺す。その度に血が飛び散り身体を汚すが構わなかった。憎しみを対象に思う存分ぶつけることができる。それだけでこみ上げてくる笑いが止まらない。
「さあどうしたぁ⁉ さっさと抵抗してみろよッ!」
「あッ……うぁッ……!」
何度も何度も何度も刺す。その度に血が飛び散り、周りが紅く染まっていく。
しばらくめった刺しにすると、ふと魔王の傷が癒えてない事に気付く。
「おいどうした魔王。【ブラッドヒール】を使って強くなるんじゃないのか?」
「はぁ……はぁ……くっ……」
下唇を噛む魔王は、なかなか魔法を使おうとしない。
息を喘がせて苦しそうなのに。
死んでしまってはあれなので、刺す手を止める。
「大丈夫か?」
長いスカートが破け、露わになったふともものあたりに剣を突き立てる。
地面に突き刺しただけだが、どこかに掠ったらしく血が垂れてきた。
「このままだとお前、死ぬぞ? 強化してやり返すんだろ?」
問いかけるが、魔王は肩で息をするばかりで返事をよこさない。まさか壊れた? その割にはまだ目に生気はあるが……。
「ふむ。【フラムスフィア】」
俺は掌サイズの火球を生成する。【フラムスフィア】は【ファイアボール】と違い飛ばす魔法じゃない。近距離でぶつける魔法だが、その分温度は【ファイアボール】より高い。
魔王へと顔を一瞬近づけ離すと、手に湛えた炎を魔王の眼球へと押し付けた。
「ああっ! あついッ! あああああああッ!」
魔王がじたばたするので馬乗りになり抑えつける。
「熱いだろ? 確かお前は目玉焼きが得意だったからな。お礼に俺も振舞う事にしたんだ」
「いやっ! いやぁあッ!」
「おっと、目玉焼きは好きじゃなかったか。自分の嫌いなものを人に出そうとしやがって。反省しているならさっさと【ブラッドヒール】を使えよ」
「ブ、ブラッドヒールッ!」
詠唱が確認できたので炎を収める。黒こげの目玉も、血だらけの身体も、服ですら綺麗さっぱりに戻る。
――が。
「ケハッ」
何故か魔王は口から血反吐を吐きだした。
「ここにきて二日酔いか?」
「何故……何故力が……」
虚ろな魔王の視線は力を求めてか力なくさまよっているばかりで、この状態について教える気はない様だ。
「【ブラッドヒール】がどうしてなんでも治癒しちゃう上に強化されるか分かる?」
ふらりと俺の横に現れたのはミカだった。
「そういう魔法だからなんじゃないのか?」
「それはその通りだけどね、他の治癒魔法が出来ない事をやってのけるのには理由があるんだよ」
「理由?」
まぁ確かに強力すぎるからなあの魔法は。何か代償があって頷ける話だが。
「そ。この【ブラッドヒール】はね、対象がこれから過ごす時間を代償にしてるんだよ。未来の前借りって言うのかな? これから経験するであろう時間を犠牲にする事で回復するから、その分自分の力も強化される」
「ほう……」
「【ブラッドヒール】の濫用でこのヒトは自分がこれから生きる時間をほとんど使い果たしたんだよ。寿命が近いわけだね」
ふむ、それ分かったが一つ疑問点がある。
「でも確かに濫用はしてたが、それでもまだ三ケタは行ってないんじゃないのか? もし【ブラッドヒール】がそういう魔法なら俺はどうなる、使われたのは百回なんてもんじゃないぞ」
「それはお兄ちゃんが私に憑依された事で解決してるよ。天使の寿命ってヒトよりとっても多いからね。もっとも、お兄ちゃんの身体は所詮ヒトの器だから、ヒト以上には生きられないと思うけど」
「なるほどな」
って事は俺は本来もう死者かもしれないって事か。まぁ勇者として生きて来たのに守るべき相手に裏切られた時点で死んだようなもんだし、特に気にする事じゃないか。
「アスト君……あなたの勝ちよ……」
ふと掠れた魔王の声が耳に届く。
見下げれば、魔王は唇を震わせながら言葉を紡ごうとしていた。
「どうやらそのようだな」
「でもね、私だって魔王としての誇りはあるのよ……。完勝はさせない」
「なんだ? もしかして自爆魔法でも持ってるってのか?」
そういうユニークな魔法もあった気がするがまぁ、こいつの今の微々たる魔力じゃ火花くらいしか散らないだろうな。
「ふふっ……そうね。ある意味そうかもしれないわ。あなたに私は殺させない。ブラッド……」
俺は即座に魔王の首を切断する。
魔王の頭は床を転げると、血の花道を描く。
「ここにいるのはお前を殺すからだと言っただろう? まったく、わざわざ教えなければよかったものの。いや魔王の中じゃ俺は【ブラッドヒール】の効果を知らないんだったな。なら捨て台詞としては上出来だな」
聖剣にこびりつく血を払い、虚空へと収納し、黒霧の羽も消し去る。
何となく血だらけの床に目をやると、肢体の傍にある魔剣が僅かに揺れる。
「丁度いい。お前は俺が飼ってやろう。名は確かザラム=ソラスだったか」
無骨な装飾があしらわれた魔剣を手に取り自らの血を吸わせると、聖剣と同じように虚空へと仕舞った。俺の【剣召喚】は契約さえすればどの剣でも取り出せるようになる。
何はともあれ、とりあえずこれで一つ仕事が片付いたか。