第一話 魔王のおもちゃ
ふと目を開ければ無機質な石壁に囲まれていた。
一人で過ごすには少し広いくらいの部屋だ。当然部屋に俺以外の人影はいない。今頃あいつらは魔王と祝杯でもあげてたりしてな。冗談じゃないまったく。
立ち上がろうとするが、手首が枷に固定されて動けなかった。足も同様らしい。
だったら魔法で部屋ごと壊すか。
「【ファイアーボールⅢ】」
【ファイアーボールⅢ】は半径一メートルに渡る火の玉をぶつける魔法。だが何も出てくることは無かった。
「……無効化されてるか」
俺自身に何かされてるのか、あるいは部屋自体に無効化の効果があるのかは分からないが、少なくとも言えるのは俺は魔法が使えないという事だ。
「どうするかな」
ダメ元で少し踏ん張ってみるが、椅子から身体が離れることは無かった。これじゃあ聖剣があっても同じだな。服もはぎとられてるし、ずっといたら風邪をひきそうだ。上しかとられてないのは幸いだったが。
一つため息を吐くと、不意に扉が開いた。
「うふふ……ようやくお目覚めのようねぇ」
白い髪を腰まで携え、黒く豪奢な衣を身にまとったそいつは先ほど玉座で出会った魔王そのものだった。一見すれば人と変わりない容姿だが、頭部には一対の角が生えており瞳は血塗られたように紅い。それらさえなければ美人には分類されるも知れない。
「いいでしょう? あなたの座るその椅子、純金で作られているの。今は隠れて見えないけれど、宝石もあしらわれているわ」
「お前、仲間に何をしたんだ?」
魔王、もとい魔族は多くの人族を奴隷として誘拐。気まぐれに人族の領地に踏み入っては殺戮と略奪を繰り返している。俺の仲間がそんな奴らの肩を持つとは思えない。洗脳か何らかの魔法を行使したと考えるのが自然だろう。
「仲間……ああ、あの子達」
「あの子達だと? 随分と操り人形に思い入れがあるみたいだな。お前がぬいぐるみに愛着を持つのは勝手だが生憎あいつらは物じゃない。一刻も早く解放しろ」
言うと、魔王は一瞬きょとんとした表情になるが、やがて噴き出したように嗤う。
「フフッ、アハハ、操り人形! なるほどねぇ? それは言い得て妙だわぁ」
やっぱりこいつ、あいつらに何かしてたのか!
「テメェ!」
今に飛びかかってありたかったが、拘束が厳しく身体を前のめりにするので精いっぱいだった。
「あら、元気な子。ぞくぞくしちゃう」
魔王が両の手を頬に当て恍惚な表情をする。
「ふざけやがって……」
「あら、ふざけてないわよ? ほんと可愛い子ね」
とぼけた口ぶりで言うと、魔王はすっと口元を俺の耳元に近づけてくる。きつい香水の匂いが鼻についた。
「暴れないで? 焦らなくてもすぐ構ってあげる」
魔王はなんのつもりか俺の右手の指に自らの指を絡ませて来た。感触は大よそ人とたがわないが、やけにひんやりしていた。
「うふふ……」
こそばゆく不快な吐息が耳たぶを撫でると、瞬間――
「ぁ……ッ!」
激痛が走った。場所は魔王に絡まれた五本の指だ。動かそうと思っても動かせない。
見てみれば、俺の指は本来曲がる方向の正反対に例外なく曲がっていた。
……おいおい嘘だろこれ、
「あぁ……いいわぁ……すごくイイッ! はぁはぁ……その苦悶に満ちた表情、もっと私に見せてぇ~!」
すかさず左手に魔王の手が絡む。
やられる⁉
しかし身構える間もなく俺の左の指は凄まじい激痛と共にひしゃげた。
「……ッ!」
「ああ、あぁ……サイコー。サイコーよぉ~! あは、あはは」
「クソ、ったれが……」
「いいわね、あなた良い目をしてる。【ブラッドヒール】」
魔王が詠唱すると、不自然に曲がっていた指はまた元の形に戻っていく。痛みは引いたが脂汗は引かない。
「どういうつもりだ……」
解ってはいるが聞かずにはいられなかった。
「うふっ、勿論とぉ~っても楽しい事を、何回も」
「ぐっ……」
右手の人差し指が折れる。
「何回も、何回も……」
ポキ、ポキ。
「ウフフッ、何回も何回も何回も何回も何回も何回もなぁんかいも!」
「くッ……!」
ポキ、ポキ、ポキ、ポキ、ポキ、ポキ、ポキ。
不意に、右手の拘束が解かれた。
魔王が舐めるように俺の腕を触ると、大事そうに肘に手を添えた。
ゴキッ。
「あああああああああああああッ!」
身の毛のよだつ鈍い音と共に、激痛が右腕に走る。見なくても分かる、肘を折られた!
「アハ、アハハ、アハハハハハハハ。もっと! もっと聞かせて頂戴その声を! 【ブラッドヒール】」
魔王は頬を火照らせ割けんばかりに口角を吊り上げると、よだれをたらし、治癒された俺の腕を自らの手で押さえつける。
「今度はこういうのはどうかしらぁ?」
魔王が空いている方の手にナイフを顕現させると、抑えつける俺の手の甲へと振り下ろす。
感じるのは鋭い痛み。
「まだよぉ~?」
「ぐっ……うっ……」
湿った音と硬い物に穴の空く音が、何度も部屋に響く。めった刺しだった。冷たい刃が肉の中に入り込む度に心臓の鼓動が早くなる。
「ま、おう……」
「呼んだの? 私の事を? うふ、うふふ可愛いわねぇ? ほんと食べちゃいたいわぁ?」
魔王が俺の手の甲の血を舐めると、そのまま腕伝いに舌を滑らせる。
生暖かく湿った感触は下から首筋へと到達し、俺の口内へとねじ込まれた。
「むぐっ……」
「んっ……む、遠慮しないで? もっと楽しみましょう?」
舌がぬるりと口内をまさぐる。
少しして顔が離れると、透明な糸が尾を引いていた。
「そうそう、その椅子なのだけれど、実は色々な機能がついているの」
魔王がおもむろに言うと、一つ指を鳴らす。
「ッ!」
瞬間、椅子と接着した肉体が、刺したような痛みに覆われる。どうやら細かい無数の棘が肉に無数の穴を開けたらしい。じんわりと生暖かな液体が全身から滲みだすのが分かった。
「ウフ、ウフフフ。いっぱい血が出てるわねぇ?」
「ハハ……生憎俺は健康優良児でな……血の量は多いんだ」
「あらあらあら、とてもそれは良い事だわぁ? まだまだ元気いっぱいみたいだし、もっと私を楽しませてね?」
もう一つ魔王が指を鳴らす。
「ガ……ッ!」
全身を駆け巡るのは鋭い、痛み。リテラにも一度同じ種類のものを味わわされた。どうやら電撃を入れられているらしい。だがあの時とは比にならない痛みだ。全身が針のむしろに覆われているからかもしれない。 全身からどっと血が噴き出ているような、そんな感覚がする。あるいは実際に出ているのだろう。
「アハ、アハ、アハハ、アハハハハハ! まだまだまだまだ楽しみましょう⁉ あはは!」
魔王が高らかに笑う。
クソッ、痛みには慣れてるつもりだったが、流石にこれはまずい。
だが、今の俺は抵抗できるだけの力など持ち合わせていなかった。