異世界サンドウィッチ
「この料理ですか? ええ、”サンドウィッチ”と言います」
調査先の農村。
市場の隅の小さな食堂で、案内役の通訳は朗らかにそう言った。
「あ、ええ、もう一度発音してもらってもいいですか?」
「え? ええ、”サンドウィッチ”ですが」
「ありがとうございます」
私はICレコーダーを手早く操作すると、この通訳の言葉を再生した。
「”サンドウィッチ”と言います」
確かに彼女はそう言っている。
ここでもそうだった。
ここにも”サンドウィッチ”はあったのだ。
国立城北大学異世界文化人類学の田所研究室を悩ませている難問がある。
通称、”サンドウィッチ問題”だ。
これまでに地球発祥人類が未接触であったはずの異世界にも”サンドウィッチ”が存在する。
人類が2020年7月までに発見、接触した192の異世界の内、実に37の異世界に”サンドウィッチ”が発見されたのだ。
様態は驚くほどに似通っている。
「穀物の粉を捏ねて焼成したものに、具材を挟む」
とてもシンプルな料理法だが、その名称が何故か”サンドウィッチ”で共通しているのが、奇妙だ。
偶発的発生説を覆すほどにその報告例は頻回で、自然なこととは考えにくい。
そして問題となるのは、”サンドウィッチ伯爵”の存在である。
これは「穀物の粉を捏ねて焼成したものに、具材を挟む」料理の考案者の名前だ。
驚くべきことに、全ての異世界で。
第14代サンドウィッチ伯爵ジョン・モンタギュー。
地球に於いてはこの人物が、サンドウィッチの考案者として知られている。
しかし、異世界に於いても同様の”サンドウィッチ伯爵”が存在していた。
第5代サンドウィッチ都督リィン・グロッサ
初代サンドウィッチ辺境伯領代官セロン・ヴィマート
〈類い希なる尾の輝きを誇示する〉サンドウィッチ伯爵セーセーメ
サンドウィッチ伯爵400A12-148(13進数)
これらの人物が同一人物であるとは考えにくい。
生没年もバラバラであり、また、重複している人物もいる。
「まぁ、永遠の謎じゃないかねぇ」
任期付特任助教の広瀬がサンドウィッチにかぶりつきながらそう言った。
国立城北大学南学生食堂はいつも通りに人がまばらだ。
安い、しかし遅い、不味いという不揃いな三拍子は、ごく自然に社会的距離を達成せしめている。
異世界文化人類学には難問が多い。
手がかりが少ないことも障害だが、文化への侵襲的研究が厳しく禁止されているのも悩みの種だ。
「おい、諸君、やったぞ!」
私が伸びたチャーシュー麺を啜ろうとしたところへ、田所教授が走ってきた。
34歳、身長174cm、眼鏡、黒髪ショートの美人教授は、手に何かをひらひらと持っている。
「ついに出たんだ」
「ゴキブリですか?」
「違う、許可だ! 第192異世界政府が、侵襲的文化調査の許可を出したんだよ!」
侵襲的文化調査とは、現地の文化を守らない形での異文化調査のことを指す言葉だ。
表象するものとされるものの覆しがたい格差は異世界文化人類学の倫理委員会でもたびたび問題になるが、調査される異世界の側では経済的利益と引き替えに積極的に受け容れることもある。
今回調査が許可されたのは、”サンドウィッチ”だ。
慎重な事前調査によって、「穀物の粉を練って焼成したもの」は存在するが「それに何かを挟む料理」は存在しないことが確かめられている。
我々調査チームは都営荒川線と異世界ゲートを三つ乗り継いで、第192異世界へと赴いた。
『私たちは料理をすればいいんですか?』
木造二階建ての政府庁舎の一角を借り〈実験会場〉には多くの人が詰めかけている。
第192異世界に存在する軍閥の一つ、エーレーコ神聖同盟の文化庁総裁とアシスタントは、実験に興味津々だ。この簡単な調査に付き合うだけで、莫大な量のアルミニウムが譲渡されることになっている。
「ええ、簡単な料理です」
現地の言葉で“リュシャ”と呼ばれるパンを、私は用意した。
それを少し濡らした包丁で薄く切り、そこに具材を挟む。
簡単なサンドウィッチのできあがりだ。
『なんだ、”サンドウィッチ”じゃありませんか』
文化庁総裁がぽつりと呟く。
「え?」
今回の調査に備えて、”サンドウィッチ”の存在は厳重に秘匿されていた。
それなのに、どうして総裁はサンドウィッチの存在を知っているというのか。
「し、失礼ですが、”サンドウィッチ”というのは……」
広瀬が尋ねると、総裁は鷹揚にうなずき、もの知らずな異世界人に教えを垂れはじめた。
「この”サンドウィッチ”という料理は、昔、サンドウィッチ伯爵という人物が……」
まただ。
またサンドウィッチ伯爵だ。
だが、田所教授は首を振る。
「”サンドウィッチ伯爵”などという人物はこの世界に存在しない」
『そんなはずはない!』
憤慨した文化庁総裁は本棚から百科事典を取り出すと、サンドウィッチ伯爵の項を開いた。
『サンドウィッチ伯爵は、実在する。異世界人に妙な言いがかりを付けられては……』
そこで我々は、いい知れない不気味なものを目撃する。
百科事典の文字が蠢いているのだ。
それまで存在しなかった”サンドウィッチ伯爵”と”サンドウィッチ”の項が、今まさに生み出されようとしている。
まるで虫のように紙面を文字が這いずり、新しい項を作り上げていくのを、私も、田所教授も、広瀬も、総裁も、周りの人々も、ただただ呆然と見つめることしかできなかった。
「……過去が、改変されている?」
「サンドウィッチができた瞬間を起点として、世界が?」
それから暫くして、”サンドウィッチ問題”に関する予算は打ち切られることとなった。
倫理委員会はこの問題についての調査を全面的に禁止。
記録した媒体の全ては、没収されてしまった。
あれから数年経った今も、私はサンドウィッチを食べることができないでいる。