95話 ラベルとアリス
執事長のマルセルさんが用意した馬に跨り、俺とアリスは屋敷周辺を確認する為に動き始めた。
やる事は簡単で、地図を頼りに屋敷を中心に一定の範囲内を実際に見ておくだけである。
俺は用意して貰っていた地図を片手に持ち、地図と合っていない所や、実際に見て気付いた事などを書き加えていった。
「前から思ってたけど、ラベルさんって地図に書き込む情報量が普通じゃないよね?」
「そうか? これはあくまで持論なんだけど。もしダンジョンで窮地や困難に遭遇した時、一番怖いことは何だと思う?」
俺はアリスに問いかけた。
「その窮地の状況にもよるけど、一番怖い事はパニックになる事かな?」
「流石はアリス、正解だ。それじゃどうしてパニックになるかわかるか?」
「えっと…… いざ考えてみるとどうしてだろ? 単純に死ぬかもしれないから?」
アリスも必死に考えているが、これと言った答えが出ない様子。
「アリスの答えも正解かもしれないが、俺が考えている答えはそうじゃない。俺の答えは【その先が読めないから】だ」
「先が読めない事?」
「俺もお前も魔物との戦闘の時は今までの経験で魔物がどう動くか予想しながら対応しているだろ?」
「うん」
「もしそれが全く分からない未知の魔物が突然戦闘に割り込んできたらパーティーはどうなる?」
「焦ってバラバラになる?」
「そう、俺の経験で言えば必ずパーティーはパニックに陥り瓦解する。だけどそんな時でも色々な情報を持っていれば、その情報を元にその窮地から脱出する方法も見えてくる時がある。そうやって俺は今日まで生き抜いてきたんだ」
「うん、やっぱりラベルさんが言うと、説得力が全然ちがう」
「そうか? とにかく正確な情報を知っておく事はとても大切な事だと俺は思っている」
「今までの私って勢いだけで突っ込んでしまう所があったから、ラベルさんが大事にしている所が抜けていたかもしれないな」
アリスは感心した様子で何度も頷いている。
「いやアリスの場合は組んでいたパーティーメンバーも全員がS級なんだろ? それに加えてお前自身の能力がけた違いに高い。どんな窮地だってそのハイスペックで乗り切れるだろう?」
それは俺の正直な気持ちだ。
S級冒険者で固めたパーティーの強さは群を抜いている。
「俺はポーターとしてダンジョンに潜り続けていたからな。一緒にダンジョンに潜る冒険者も強さも様々で、命懸けの状況ってのは数えきれない位に経験している。だからこんな面倒くさい人間になってしまったって訳だが……」
俺は自虐ネタのつもりで笑って見せたが、生憎とアリスは全然笑っていなかった。
「ラベルさんは面倒くさい人じゃない!! ラベルさんが大事にしている事って一番大切な事だと私は思うな」
アリスは真っ直ぐに俺を見つめてくるが、その視線を俺は直視できないでいた。
今まで俺と対等に接してくれていたのは、カインやマリーさん、スクワードと言った旧知の冒険者達だけだ。
その他多くの冒険者はポーターを格下に見ており、俺と一緒にダンジョンに潜ったとしてもポーターとして連れて行ってやっているという立場で接してくる者ばかり。
確かに一緒にダンジョンに潜った冒険者の中には女性の冒険者も多数いたが、対等な一人の男性として俺と接するものは数える程しかいない。
だから正直に言えば、成人した女性から真っ直ぐに見つめられる事に俺は慣れてない。
アリスの瞳が真っすぐ過ぎて、俺は気恥ずかしくなる感情を抑えるのに必死だった。
◇ ◇ ◇
周囲を確認した結果、街に続く道の周囲は起伏の緩やかな草原だが、反対側に少し進むと深い森が広がっている事がわかった。
森は広大で中に入ってみると無数の草木が生い茂り、人間が日常的に使っている道は見当たらない。
確認の為に俺達が草木をかき分けながら真っ直ぐに森の中を進んでみた所、一本のけもの道を見つけた。
「状況から見て推測すれば、この森に棲んでいる動物が作ったけもの道だろうな。人が通っている形跡もない…… 一応、地図には記載しておこう」
「襲撃者がいると仮定するなら、この森は絶好の隠れ家となるね」
「まぁな、この事はアリスも覚えておいてくれ」
「うん」
その後、森から抜け出した俺達はまだ見ていない場所を順番に回り調べて行った。
途中、小川を見つけたので馬に休憩を取らせながら、俺達も食事をとる事にする。
「ラベルさん、今日は私がご飯を作ってみようと思うの。いいかな?」
アリスがそう言うと、俺達が用意した馬用のリュックから食材を取り出し始める。
どうやら最初から自分で昼食を作る予定だった様で、鍋とフライパンをいつの間にか積み込んでいたみたいだ。
「別に構わないが、料理なら俺も手伝うぞ」
「いいの! 私にやらせてよ。私、最近一人暮らしを始めたでしょ? だから少しづつ料理の勉強をしているの。だからラベルさんには私の料理の感想を聞かせて欲しいの」
「そういう事なら構わないけど、最初に言っておくぞ! 俺って人にとやかく言える程グルメでも何でもないからな」
「うん、本格的な感想は期待していないから、美味しいかどうかだけでもいいの」
「まぁ…… その位でいいなら」
「じゃあそういう事だから、ラベルさんはその辺で寛いでいて。料理が出来たら声をかけるから」
アリスは腕まくりをした後、俺の背中を押してその場から離れる様に促す。
俺は仕方なく、馬の傍で座って料理が出来上がるのを待つ事にした。
しばらく待っていると、香ばしい肉が焼ける臭いが漂ってくる。
幾つかの香辛料を使っている様で、何もせずに肉を焼いただけでは絶対に出せない香りが鼻腔をくすぐった。
俺の腹も大きな音を立てながら反応を示している。
お腹をさすりながら待っていると、アリスが俺を呼びに来た。
俺は待ってましたとばかりにその場から立ち上がる。
案内された場所には地面にシーツが敷かれており、その上には幾つかの料理が並べられている。
「パンにスープに焼いた肉か。見た目もいい感じだな」
「えへへへ。早く食べてみて」
アリスは待ちきれないという感じで俺に料理を勧めてくる。
「それじゃ、まずはスープから飲んでみるか」
スープを手に取って鼻の傍まで持っていき、まずは香りをかいでみた。
コンソメの香りが食欲を掻き立てる。
最初にスープを一口だけ飲んでみると、小さく切った野菜と干し肉の旨味で溢れていた。
次に具も食べてみる。
弾力もあり、食感としてのアクセントも十分だ。
「美味いなぁ……」
自然とそんな言葉が口からこぼれた。
スープで食欲が搔き立てられたので、最初にパンを手に取ってみる。
魔法石で軽く焼かれているようで、パンは温かかった。
魔法石は使い方次第で色々な事が出来るので、使いこなせれば便利な事この上ない。
パンを一かじりした後、スープを一飲みする。
これだけでも十分食事として満足できるものとなっていた。
しかし俺の前には熱々のステーキが強烈な存在感を示している。
ただ見つめるだけで生唾が溢れ出し、俺はゴクリと飲み込んだ。
「じゃあ、メインの肉を」
ナイフとフォークで上手に切り分けた後、ステーキを口に放り込んだ。
肉は干されているので、ただ焼いただけでは肉汁は殆どでない。
しかしこのステーキは噛むだけで肉汁が溢れ出し、うま味がたっぷりとしみ込んだ肉汁が口の中を刺激する。
干し肉のブロックがまさかこれ程本格的なステーキになるとは想像すらしていなかった。
「うめぇぇぇ。マジかこれ? あの干し肉からどうやって作ったんだ?」
「うふふ。実は実家の料理人の人に教えて貰ったの。干し肉でも美味しく調理できる方法を」
アリスはしたり顔を浮かべていた。
「アリスも早く食べた方がいいぞ。熱い時が一番美味いんだからな」
「うん。わかってる」
アリスも俺に続き、自分で作った料理を食べだした。
「美味しく出来て本当に良かった」
アリス自身も満足した様子である。
「アリスがこれだけ料理が出来るなら、今後はアリスに料理を任せた方が良いかもな」
「え? ほんと? 任せて貰えるなら私頑張るよ」
「冗談だったんだけど、本当にいいのか? ダンジョンアタック中の料理役なんて雑用係の仕事で、普通は嫌がるもんだぞ」
「全然、そんな事ないよ。でもダンジョンに持っていける料理って保存食が多いんだよね」
「そうだな。基本は乾燥食材で水を含ませると量が増えたりする食材が多いな」
「じゃあ買い出しの時は私も食材や香辛料とか選びたいから絶対に声を掛けてね」
「あぁわかった。市場に買い出しに行くときはアリスにも声を掛けるよ」
「絶対だよ」
食事を終え、俺達は調査を再開させる。
その後、周辺を調査し終えた頃には日は沈みかけていた。




