32話 リンドバーグの苦悩
最近のリンドバーグは疲れ果てていた。
その原因はハンスから預かっていた装備の代金をレミリアに奪われた事や、先日起きた冒険者組合でのハンスの愚行の後処理で心労が溜まっているからだ。
当然、本来なら終わっておかなければならない装備の注文も未だに出来ていない。
「はぁ、今日も朝がやって来たか。うっまた胃が痛くなってきた……」
リンドバーグは常備薬と化した胃薬を飲み干した後、ギルドホームに向かう。
最近のリンドバーグは辛い立場であり、憂鬱な日々を過ごしている。
ハンスの腹心という事は周知されているので、ギルドホームではギルドのメンバー達に嫌味を言われたりもする。
だがそれはまだいい。
最もリンドバーグを苦悩させていたのは、ハンスの恋人であるレミリアの存在だ。
レミリアはあの日以来、リンドバーグを見つけると近づいて来る様になっていた。
そして必ず金を要求して来るのだ。
ハッキリ言って金づるである。
その日も運悪く、リンドバーグはレミリアに見つかってしまった。
「あら、リンドバーグじゃない」
気さくに声を掛けてくるレミリア、しかしリンドバーグの方は目を合わそうとしていない。
既にこれから起こるであろう事が解っているので、逃げようとしていたのだ。
「レミリア様、おはようございます。私は私用がありますので、失礼します」
「ちょっと待ちなさい。連れないじゃない。私達は運命共同体なのよ」
「何を言っているんですか!? そんな言い方をして誰かに勘違いされたらどうするつもりですか!!」
「あら、嘘じゃないわ」
レミリアは狡猾な女性であった。
周囲に人が居る時と居ない時で、リンドバーグに対して接し方を変える。
わざと周囲に聞こえる様な大きな声でしゃべり、周囲の者達を巻き込む事さえあった。
とにかく状況に合わせて色々な手を使い、絶対に離してくれない。
まさに蛇の様な女性だと感じた。
「それで用件は何です? お金なら無理ですからね」
仕方なくリンドバーグは先手を打つ。
「また欲しい物を見つけたのよ。今度は自分のお金も出せるから金貨十枚だけ貸して欲しいの」
レミリアはリンドバーグの話を聞いておらず、必死の抵抗は全く通用していない。
「お金は無理っですって」
「金貨が十枚だけじゃない。それにすぐに返すし」
「そんな事を言ったって、今までも全然返してくれていないじゃないですか」
「今度は本当よ」
「絶対に駄目ですって!!」
レミリアはこうやって、小出しで金を要求するようになっていた。
リンドバーグも毎回、必死に抵抗はするのだが……
「じゃあ、いいわ。装備の資金を貴方が盗った事、今からハンスに言うから」
「なっ!? それじゃあなたも共犯になるんですよ。バレたらまずいでしょ?」
「私は大丈夫よ。手は打ってるから、もしバレても困るのはリンドバーグ、貴方だけだから」
リンドバーグは耳を疑った。
知らない間にレミリアはリンドバーグ一人に横領の罪をなすり付けようとしていたのだ。
この女なら本当にやりかねない。
リンドバーグは絶望に落とされれた。
「今回だけですよ…」
そう言って金貨を吸われ続けていた。
★ ★ ★
ある日、リンドバーグはハンスから預かっている金貨の枚数を数えた。
「はぁ~ 金貨が七百枚しかない。どうすりゃいいんだ?」
既に三百枚の金貨がレミリアに吸い取られていた。
リンドバーグが借金をしたとして借りれる金貨の枚数は精々三十枚程度。
どうあがいても不足分の足しにもならない。
「これがバレる前にどうにかしないと……」
リンドバーグはいつまで、こんな苦悩が続くのだろうと嘆く。
そんな時、リンドバーグはハンスに呼び出される。
怯えながらも執務室に顔を出した。
幸いにも執務室にはハンス一人しか居ない。
「よく来てくれた。今日は頼みたい事があってな」
「なんでしょうか?」
「そろそろ。アイテムの補充もしようかと思っているんだ。それでお前に準備を始めて貰いたい」
「アイテムの補充ですか?」
「そうだ。各種ポーションや灼熱や寒冷など階層試練に耐性を持つ装備は、前みたいにギルドの備品を使えない可能性もあるんでな。早いうちから自分達で用意しようと思っている」
「なるほど、確かに、階層試練用の装備は急に言って用意できる物ではございませんから」
「それでだ、お前には予算書の作成をして欲しい。必要な経費を算出し提出してくれ。目を通して不備が無ければそのまま準備に入る」
「はっはい!!」
リンドバーグはチャンスだと思った。
ここで不足分の三百枚を捻出できれば、装備の発注も同時にできる。
しかし問題はレミリアだけだ。
絶対に見つかってはいけない。
あの女に感づかれる前に全てを終わらせる。
「それでは私は失礼します」
「あぁ任せたぞ」
リンドバーグは自室に戻るとすぐに予算書の作成に着手した。
「今日中に完成させる。そして明日の朝に提出すれば!! 相場はずっと調べているんだ。単価を適正範囲内で高めに表記し、使用する個数を増やす」
信じられない速度で予算書は作成されていく。
そしてほんの数時間で予算書の概算が完成された。
それだけリンドバーグは必死さが窺えた。
「これで後は実際に購入する時に商人に値下げを頼めば…… 金貨三百枚は無理だが、近い所までならイケる」
リンドバーグは歓喜した。
時刻を確認すればまだハンスが執務室にいる時間であった。
「今から行くか? 早い事に越した事はないだろう」
リンドバーグは執務室を訪れ、ドアをノックする。
「誰だ?」
「リンドバーグです」
「どうした? 入ってきていいぞ」
「失礼します」
リンドバーグが執務室に入った瞬間、身体が固まる。
それはハンスの隣にはレミリアがいたからだ。
「どうした?」
「いえ。通りかかったら扉の隙間から光が見えておりましたので、特に用事という訳では……」
リンドバーグは咄嗟に機転を利かせ嘘を吐いた。
「そういう事か、俺ももうすぐ帰る所だ」
「お疲れ様です。それじゃ、私もそろそろ……」
リンドバーグがそう言った瞬間、背後に気配がした。
「リンドバーグ、その大事そうに抱えている書類は何?」
なんとレミリアが背後にいたのだ。
(どういう事だ? さっきまで目の前にいたのに?)
「何でもありません。私用の書類です」
「でも予算書って書いてあるじゃない? ダンジョンアタック用の書類じゃないの?」
(目ざとい!!)
リンドバーグは大量の汗を流しはじめる。
(ここでバレたらもう終わりだ。この金も全て吸い取られてしまうぞ)
「流石はリンドバーグだな。もう出来たのか。レミリア、それは俺が依頼していたものだ。リンドバーグ持ってこい」
仕方なく、リンドバーグは作成した予算書をハンスに渡した。
「ふむ、良くできているな」
ハンスは真剣に予算書に目を通していった。
「やはり、気候対策の装備は値が張るな。こればっかりは仕方がないか…… リンドバーグ、ポーションの数はもう少し増やしておこう。前回の消費量から考えるとこれでは心細い」
そう言いながら、ハンスは書類の数量を書き換えていった。
「計算すると金貨五百枚か、半分以上がフロアギミックの装備の代金だが、これがなければ潜れんからな。この位ならまだ余裕はある」
独り言を言っていたハンスが考えをまとめ、リンドバーグに声を掛けた。
「リンドバーグ、この予算書で行く。すぐに準備を始めてくれ。金はどうする? 今からでも渡せるが?」
「えっ?」
「明日にした方がいいか?」
リンドバーグは考えた結果、覚悟を決める!!
「それでは今、預からせて頂きます」
リンドバーグはハンスから金を預かり、枚数をチェックする。
金貨はちゃんと五百枚あった。
その金貨を袋に入れ大事そうに抱えた。
「頑張ってねリンドバーグ!!」
ずっとやり取りを見ていたレミリアが笑顔で応援してくる。
その笑顔が気持ち悪く、大量の汗が再び溢れ出した。
(この人、絶対にこの金を奪いに来る気だ!! 絶対に渡さない)
「私は準備にかかりますので、失礼します」
リンドバーグは逃げる様に執務室から退室した。
リンドバーグはこの資金から不足分を補い、装備を発注するつもりでいた。
しかし時間は遅いので、今から【アドバンス工房】に向かったとしても店舗は閉まっている。
どんなに急いだとしても明日だ。
リンドバーグは自宅に戻ると、全ての金をかき集める。
その後、ハンスが作った注文書を抱えて家から飛び出す。
レミリアに見つかったら終わりだからだ。
「俺は負けたくない!!」
リンドバーグの強い決意で行動を始めた。