111話 第三の男
数時間前までは冒険者でごった返していた屋敷の中庭も、主力の冒険者が居なくなった今は静寂に包まれていた。
リンドバーグは散歩を装い中庭を歩きながら、出入口や警備中の冒険者に視線を注ぐ。
(主のブロッケンが屋敷に居ないから、気が抜けた感じを受けますね)
リンドバーグは現状を一つずつ確認しながら、感想を頭に叩き込む。
作戦通りなら、リンドバーグは警備の隙を見つけてミシェル令嬢をこの屋敷から逃がした後、ギルバード伯爵の元に送り届けなければいけない。
その為の下準備として、リンドバーグは主力が居なくなった後の警備の状況や冒険者の様子を確認して、その情報を元に作戦を練る積りだ。
リンドバーグはあくびをしながら、緊張感も無く警備をしている冒険者の姿を見つめた。
(この程度の警備なら、いつでも簡単に逃げ出せそうな気もしますが……)
油断しきっている冒険者を見つめリンドバーグは正直な気持ちを口にする。
次にリンドバーグは中庭を歩きながら、屋敷の周囲にそびえたつ塀に視線を向ける。
塀の高さは四メートルを超えていた。
更に塀の上には侵入防止の鉄製の柵が取り付けられており、その柵には無数の棘が侵入者を拒むように取り付けられている。
その棘は槍の穂先の様に鋭く、もしその穂の上に人間が落ちた場合、簡単に串刺しとなるだろう。
(塀から逃げたとして、下手を打ってあの穂に引っ掛かったら怪我だけじゃ済まなさそうですね。それに柵の折れ点に取り付けられているあの魔道具は一体……)
リンドバーグが気付いたのは柵の折れ点に取り付けられた魔道具だった。
その魔道具は全ての折れ点に取り付けられている。
どう見ても侵入者対策の魔道具とはわかるのだが、それがどんな効果があるのかまでは分からない。
リンドバーグはその後も屋敷の中を歩き回り、何処かに隙がないか必死で探しつづける。
しかしその様子を屋敷の二階の一室から見つめる一人の男性の姿があった。
「あの男は確か令嬢の護衛…… どうも気になりますね。少し警戒しておきましょうか?」
その男はブロッケンの部屋にいた第三の男である。
ブロッケンと腹心のソドムは伯爵を捕まえる為に屋敷から出て行ったのだが、この男だけは屋敷の中に残っていたのだ。
その事を知らないリンドバーグは、自分に向けられる鋭い視線に気づく事は無かった。
リンドバーグは周囲のチェックを終えると、一度ミシェル令嬢の部屋に戻る事を決めた。
今まで集めた情報を元に、今後の動き方や逃げ出す作戦を残っているメンバー達で話し合う為だ。
「周囲を見て回った感じでいいますと、今なら簡単に抜け出せそうです。主のブロッケンが屋敷から出て行ったので、冒険者達の気も抜けています」
「やったそれなら簡単じゃん。今すぐに抜け出そうぜ」
ダンがいつもの軽口を叩いた。
「もう、ダンはいつも馬鹿な事ばかり言って、こんな明るい時間帯に抜け出したら流石にバレるじゃない! それに作戦はブルースターが行動を起こしてくれるから、それに私達が合わせないといけないのよ」
「リオンさんの言う通りです。私が調べた情報を書き込んだ紙を、今日酒を屋敷に納品してくれた酒場の店員に預けて、ブルースターに手渡す様にお願いしています。連日通った酒場の店員で、酒飲み友達に渡す手紙と伝えているので、特に怪しむ事もないでしょう。手紙には調べた警備情報と今日の夜に行動を起こして欲しいと書いています」
「毎日、酒場に通ったかいがあったって訳じゃん。俺は途中から本当は酒が飲みたいだけじゃないかと思ってたんだけどな」
「馬鹿な事を言わないでください。そう言う私も実は途中までダン君と同じように思っていたのですが、マスターは伯爵を探す事以外にも、私が知らない所で外部と連絡を取るルートを作っていました。流石としか言いようが在りませんね」
リンドバーグは感心した様子で語った。
「ふふん、流石はラベルさんだぜ!」
ダンは自分がやった事でもないのに、なぜが嬉しそうに胸を張って得意気に鼻を鳴らす。
「アンタそんな子供みたいな感じで大丈夫なの? これから戦闘も起こるかもしれないというのに……」
ミシェル令嬢がそんなダンの様子を横目に不安を口にする。
そしてリオンは大きなため息を吐いた。
「みなさん話が逸れていますよ。そろそろ話を戻しましょう」
リンドバーグの話に全員が耳を傾けた。
「今日は運よく満月でもあります。今晩ならば真夜中でも歩ける程度の視界は確保が出来るでしょう」
「リンドバーグさん、たしか入口は二つあったでしょ? どちらから逃げ出すの?」
リオンがリンドバーグに相談を持ち掛けた。
リオンの質問を受けて、リンドバーグは自分が考えていた作戦を口にする。
「リオンさんの言う通り、逃げ出すルートは二つあります。正門か裏門のどちらかを制圧して、門から出るしかありません。しかし門には二名の冒険者が二十四時間体制で常駐しています」
リンドバーグは冷静な判断で、自分の考えを口にする。
「門を通らなくてもロープを使って塀を上って逃げるってのはどう? 今なら警備の人数も少ないし、混乱している状態なら、警備の冒険者に見つからないまま安全に逃げ出せると俺は思うけどな」
ダンが自分の考えを話し出した。
「私も一度、ダン君が話してくれた方法も考えていたのですが、塀の上には鉄製の侵入防止柵が設置されています。冒険者で日頃から鍛えている私なら通れるかもしれませんが、ミシェル令嬢には難しいでしょう。それに塀の端部に怪しい魔道具が仕掛けられていました。予想ですがあの魔道具は侵入者対策の可能性が高いです。なので塀を上って逃げるには余りにも情報が足りません」
リンドバーグの説明で全員が無言で頷いた。
「なので立地条件や警備の状況から考えた結果、私は裏門から逃げ出す事に決めました」
「そう言う理由なら私も賛成!! 一応、二つの門がどんな様子なのか聞いても良いですか?」
リオンの問いかけにリンドバーグが頷いた。
「正門は大きいので、護衛の数も裏門より少し多いです。屋敷からの距離も中庭がある為、裏門に比べて、正門の方が倍以上離れています。なので正門を選んだ場合たどり着くだけでも、裏門の倍近い時間が必要です」
「じゃあ、裏門しかないじゃん」
「うん。そうよね。護衛の人数が少ない方が素早く制圧できるし」
「私もそう判断しました。ミシェル様達も理解して頂けましたか?」
珍しく三人の意見が重なる。
「私達は貴方達の考えに従うわ。メアリーもそれでいいでしょ?」
「はい、私も異論はございません」
ミシェル令嬢は【オラトリオ】に対して、全幅の信頼を寄せてくれている。
その想いを理解したリンドバーグは、リーダーとしての責任を感じながらもゆっくり強く頷いた。
「それでは、ブルースターが屋敷の外で騒ぎを起こしている間に、私達は裏門を制圧した後、この屋敷から抜け出します! ミシェル様も作戦が開始されるまでに動きやすい服装に着替えておいてください。持っていく荷物はバッグ一つに入るまででお願いします」
リンドバーグは必要な事項だけを簡潔に伝えた。
「元から、ここにはそれ程大切な物を持って来ていなかったし、バッグ一つもあれば十分よ」
「お嬢様の事は私に任せて下さい。【オラトリオ】の皆様も準備があると思いますので、私達の事はお気になさらず準備を始めて下さい」
メアリーはそう告げると、逃げる時に持っていく荷物を選別し始めた。
「わかりました。なら私達がこの部屋に居ても邪魔になると思いますので、私とリオンさんは隣の部屋でもう少し作戦を練りましょう。ダン君、後は任せましたよ」
「あぁ、任せてくれよ」
ダンはミシェル令嬢の護衛と言う事もあり、部屋の中で待機する事となった。
リンドバーグとリオンも隣の部屋に移動し、作戦の準備を始める。
◇ ◇ ◇
深夜、静かだった屋敷の敷地に突然大声が響いた、リンドバーグ達はその声に合わせて静かに動き始めた。
全員が動きやすい服装に着替えており、ミシェル令嬢も今は長袖とズボンを履いている。
ミシェル令嬢の長く手入れされていた髪も後頭部で一つにくくられており、走っても邪魔になる事はない。
リンドバーグやリオン達も装備に身を包んでいる。
リンドバーグ達は真っ先にミシェル令嬢の部屋に集まると、作戦や逃走ルートをもう一度手早く伝えた。
そして全員が理解した後、そのまま行動を開始する。
先頭をリンドバーグが前方を確認しながら進んでいく。
正門の方角からは護衛が戦っている音や怒号が響き渡り、屋敷で休んでいた冒険者達も騒ぎに気付くと、正門へと応援に向かって走っていた。
「作戦通りですね。これだけの騒ぎになっているなら、敵の意識は正門に向かっている筈です」
リンドバーグは作戦の成功を確信する。
けれど油断はせずに月夜の薄明かりの中を全員が息を殺して、足音一つ立てない様慎重に進み続けた。
屋敷から抜け出した後は、植栽に隠れながら裏門の傍まで移動する。
そして気付かれない様に子壁に身を隠し裏門の様子を伺った。
裏門は閉じられており、二人の冒険者が門の前で騒いでいる。
リンドバーグが聞き耳をたててみると、どうやら正門での戦闘に応援するか、この場所を守るかで揉めている様だった。
今がチャンスと判断したリンドバーグは、左手で持っていた盾を地面に置くと、後方で待機しているリオンに向けて手で合図を送る。
合図を見てリオンが頷いた後、二人は二手に分かれ、ゆっくりと護衛の元に近づいていく。
今日は満月で少しだが視界は確保されている。
なので油断して物音を立ててしまえば相手にも気づかれてしまう。
二人は慎重に、冒険者へと近づいた。
そして五メートル位の距離まで近づくと、呼吸を合わせて二人同時に冒険者へと襲いかかる。
二人が動き出したタイミングは一秒の誤差も無い。
その理由はリオンがスキルを使って未来を読んで合わせていたからだ。
こういった場面で仲間と完全に動きを合わせられるリオンの能力は、まさにチートとしか言いようがない。
「なっ!?」
「ぐはっ!」
言い争いに夢中になっていた冒険者達は、急に視界に現れた二人に対応する事も出来ずに出遅れていた。
二人は鞘に入ったままの殺傷能力の無い武器で攻撃を仕掛ける。
女性で力が弱いリオンは一撃で意識を刈り取る為に、喉を真っ直ぐに突く。
鞘に入っているので殺す事は無いが、喉に大きなダメージを受けて男はパニックとなり、一時的に呼吸困難に陥りその場に崩れた。
リンドバーグも左手の盾を突き出して相手の視野を阻害した状態から、相手の頭上に全力の一撃を加えてそのまま意識を吹き飛ばした。
二人は周囲の安全を確認した後、ミシェル令嬢達に合図を送る。
合図を確認したダンが二人を引き連れて、リオン達の元に姿を見せた。
まさに作戦通りである。
「このまま、屋敷から逃げ出しましょう」
「うん。今の戦闘で気付いた冒険者もいるかも知れないから急いだ方がいいよね」
リンドバーグが閉じられた扉に手を掛けた時、リオンが剣を抜き無造作に暗闇を引き裂いた。
すると甲高い音と共に黒塗りされたナイフが地面に落ちる。
「敵襲!? ダン君はミシェル令嬢を守りつつ、扉を開いてください。現れた敵は私とリオンさんで対応します」
「昼間から怪しいとは思っていましたけど、なかなか動きが早いですね。私の部下にも見習って欲しいものです」
そう言って、闇から現れたのは肩までの髪を伸ばした眼鏡を掛けた男であった。
マントの隙間から見えたが、身体中にベルトを巻いているようで、そのベルトには何本ものナイフが取り付けられていた。
今も両手にはナイフを三本づつ持っており、そのナイフを器用に回転させている。
どう見ても普通の冒険者では無く、隙の無い動きは歴戦の強者の風格が備わっていた。




