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商人遊郭恋物語  作者: 蛇ノ兵衛
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吉左衛門の願い

 江戸の魚河岸――そこは江戸町にある、関東最大の魚市場である。日本橋から江戸橋にかけて広がり、房州、上総、下総、相州、遠州、豆州からの魚介類が日夜集荷されている。一日に千金万金に値する魚が取り扱われ、大魚商となればなおのことであった。

 ここにも日本橋に名高い魚問屋が一つ、その名を田村屋といった。大きな漁船を抱え込み、数個の漁村を丸々と商売に引き込んだ新興の魚問屋である。これも問屋主人の田村吉左衛門の手腕によるところが大きいが、ここ一年でさらにその儲けを伸ばしている。

 魚河岸中の商人の間では日夜その動向が噂されるほどに有名な商人で、「田村屋の若旦那」と呼ばれる者がおり、ここ一年のそれは彼の仕業であると、巷でささやかれて止まない。

 彼の名前は田村兵衛三郎。卸売りの才に富んだ若者であった。


 今日も市場は人で賑わい、彼方此方(あちこち)でセリの大層な声が響いていた。ここも例外ではない。

仲買の騒々しい買い付けをさばき、魚を配分する。一段落すると声をかけられた。

「調子はどうかな。兵衛三郎」

 そう問うのは同じ店の番頭仲間で、自分の兄貴分である藤次郎だ。昔の飄々とした雰囲気はぬけて、奉公人の頭としての自覚の生まれた様子は、尊敬に値するものであった。

「鯛や鰹、(さわら)が良く獲れている。旬の魚が多いのはありがたい」

 気温も上がり、春になった今、初鰹の需要は江戸のみならず周辺の国にも大きい。競争に勝てたのは、問屋としてほこれることであった。

「ほう、そりゃあ”めでたい”」

 おどけて見せる様子は今も昔も変わらないものであったが、それが心地よく感じられる。


 その後も、運ばれてくる魚を売り、屋敷に戻れたのは昼を過ぎたあたりであった。

 屋敷に戻ると、藤次郎に連れられて主人の前に座らせられる。

 対面する自らの主人吉左衛門の表情は、眉をよせ口をすぼめている。先ほどから何やらうんうん唸っているようだ。何か悩んでいる様子である。

 そこに(よし)があらわれて、吉左衛門のそばに控えた。そして、そのまま口を開く。

「この人はね、あんたのお嫁さんをどうしようかって悩んでんのさ」

「なんで言ってしまうのさ。わしから言いたかったのに」

 芳に先をこされてしまい、落ち込む様子の吉左衛門だが向き直った。

「まあ、芳の言った通りだ。わしはお前の嫁のことを考えていてな――」

 当然話の矛先は俺であった。もう二十歳になる年、主人とその奥さんが見合いを企てていてもおかしくない。しかし、吉左衛門は何か煮え切らないものがあるらしい。

「――しかし、我が子の見合いの相手だから、慎重に選びたいとも思っていてなあ」

 子供のいない二人にとって、十四で奉公にきた俺は子供のようなもで、今でもこうやってかわいがられるのであった。

「いやいや、旦那の選んだ見合いの相手を無下になんてしないよ」

 当然、”親”である吉左衛門の持ちかけた見合いはありがたい。断る理由なんてものはない。藤次郎の身の回りを見て、夫婦というものがどのようであるかは知っているつもりだ。

 だが、吉左衛門にはやはり悩ましいことがあるようであった。さらに、それは主人夫婦にとっては重大な問題らしかった。

「三郎、お前は”オンナ”をどれほど知ってる」

 しかし、それは俺が思っていたような悩み事では決してなかった上、少し呆れてしまう問いであった。

 馬鹿にするなと言うと、二人は顔を見合わせて、互いにやれやれといった仕草をする。

「あんた、それ本気かい」

 芳はあきれたという様子で溜息交じりにそう言った。それに続いたのは吉左衛門ではなく、俺の後ろにいた藤次郎であった。

「兵衛三郎よお。おやっさんが言いたいのは、女とヤったことがあるかって話だよ」

「また、その話か。俺は興味ないと言っているのに」

 度々藤次郎は俺に”オンナ”の話を持ちかけるが、その都度興味ないと流していた。

 しかし、今回相手が吉左衛門と芳であるために、いつものようにはいかなかった。

「しかし、それでは嫁を迎えてもうまくやれるとは思えなくてな」

「そんなもの知らずとも――」

「いや、駄目だ」

 言葉を遮られた上、吉左衛門の食い気味な反応が返ってきた。

「わしは孫の顔が見たいんだ」

 吉左衛門の訴えはとても”親”らしい純粋なものであった。

 親孝行なことをすすんでやらないのは、俺には辛いことだった。この時、とうとう折れるしかないと悟った。

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