脳内電子チップと心のインストール
「――よぉ、村上。お前もノってみないか?」
そう田之宮から誘われた。僕は少しの間の後で「いや、悪いけど、止めておくよ」とそう断った。
すると、田之宮は不服そうな様子で、
「なんでだよ? お前だって楽して良い点を取りたいだろう?」
なんて言って来る。
「でも、それ、リスクがあるだろう? たかがテスト程度じゃ割に合わないよ」
僕がそう返すと田之宮は肩を竦めた。
「お前、案外、臆病なんだな。どうせバレたってちょっと注意されるくらいだよ」
僕はそれに何も返さなかった。ただし、心の中じゃ“僕が言っているリスクはそんな事じゃないよ”と呟いていた。
もう直ぐテストが近い。
田之宮はそのテストで良い点数を取る為に、“インストール学習”をしようと皆を誘っているんだ。それで僕も誘われたってわけ。“インストール学習”というのは、まぁ、一種のカンニングだ。
がしかし、それは脳内電子チップを通して本当に自分達の能力になるから、普通のカンニングとはちょっとばかり違う。
――ただし、違法だ。
学習して得た結果を共有するという技術がある。
例えば、あるロボットがそれを学習するのに8時間かかるとしよう。ロボットが一体だけだったら、これはどうしようもない。ところが、同じロボットを8体用意して同時に学習をさせてその結果を互いに共有すると、それが1時間で済んでしまう。
もちろん、これを応用すれば、一体だけに学習させ、その結果を他のロボットにインストールするといった事も可能で、これを利用すれば瞬時に何千体といったロボット達に作業を学習させる事だって可能だ。
こんな事をされたら、人間の労働者はロボットにまったく太刀打ちできない……
――と、そう思うかもしれないが、実は最近では人間でも同じ事が可能になって来ているのだ。人間の脳だって極論を言えばデジタルだから、それが可能なんだ。
人間が脳内に電子チップを埋めむようになって数年が経過していた。それは人間の計算速度を速めたり、体調管理なんかに主に用いられているのだけど、誰かが学習した結果を他の誰かにインストールといった事もできてしまえる。
それがつまりは“インストール学習”。
ただ、様々な副作用が報告されていて、危険視されてもいる。だから法律では認められていなくて、通常はその機能はロックされている。それにインストールする為のデータだって高額で、その上安全性だって保障されていない。
つい最近も、大学に受かりたいばっかりに、違法ダウンロードとした学習データを脳にインストールして脳に障害を負ってしまった受験生が、ニュースになっていた。
田之宮はどうやらネットの闇サイトから、脳内電子チップのロックを外す方法を知ったらしい。
けど、違法サイトから学習データをダウンロードする程の金は持っていないし、そもそも危険だから手を出したくない。
それで田之宮は、いつもいじめている中目君って男生徒に「がんばって勉強しろ」と命令したのだった。その中目君が学習して得た能力をデータ化し、それを自分達にも使おうという算段だ。
それなら安くて安全だと、どうやら田之宮はそう考えているようだった。
僕はそれに誘われたのだ。
――多分、安全じゃない。
けど、僕はそのように考えていた。そもそもデータの問題ではなく、インストール学習という手法自体に問題があるかもしれないし、それにもし安全だとしたって、やっぱり苦労しないで学習するというのは、それなりにリスクがあるのじゃないかとも思う。
マシュマロ・テスト、という実験がある。
これは、子供の目の前にマシュマロを置き、「食べるのを我慢できたら、もう一個あげる」と言い残して消え、実際に我慢できるか試してみるというものだ。そして、なんと我慢し切れた子供は、社会的に成功していた場合が多かったのだそうだ。
つまり、忍耐力という感情のコントロール能力は、それだけ重要という事だ。
テスト勉強は単なる学習だけじゃなく、その忍耐力も身に付けさせてくれる…… のかもしれない。
それなら、やっぱり自分で勉強した方が良いのじゃないかと思う。
感情のコントロール能力を身に付けられないというリスクが、一体、どれだけのものなのか、僕らは知らない訳だし。
中目君が学習したデータをインストールした田之宮達は、テストでかなりの良い点数を取る事ができた。
「お前もやればよかったのにな」
そんなに悪くなかったのに、お陰で平均点が上がって中の下くらいになってしまった僕は田之宮からそんな嫌味を言われた。
中目君は田之宮が怖くて、相当勉強をしたのだろう。
が、その後に異変が起こった。
田之宮自身はもちろん、中目君が勉強した結果をインストールした連中が次々と鬱状態に陥り、田之宮と他数名はなんと自殺未遂までしてしまったのだ。
中目君はどうも小さな子供の頃からいじめを受けて育っていて、しかも家庭環境もあまり良くない。
その所為で、彼は常態として鬱傾向にあり、希死念慮とずっと闘い続けて生きて来たらしい。
つまり、それだけ鬱に対抗する能力を持っていたのだ。
しかし、田之宮は違う。
身体が大きく恵まれている田之宮は、死にたくなるほど辛い鬱状態なんて経験した事もなかったはずだ。
そんな彼が、インストール学習によって、中目君が学習した結果だけじゃなく、或いはその“鬱”まで取り込んでしまったのかもしれない。
そして、鬱に対抗する術を持たなかった彼は、自殺未遂までしてしまった……
もしかしたら、これはそんな話なのじゃないかと僕は疑っている。
まぁ、分からないけど。
何にせよ、これでこれから田之宮の中目君に対するいじめは軽減しそうだった。中目君にとっては良かったのかもしれない。
いや、或いは田之宮達にとっても、良かったのかも……
……ん、ま、流石にそれはない……、かな?