[1-4]恐怖
今回も短めになってます
「グォ……ァッ!」
痛みに苦しみながらも、すでに武器としての機能を果たしていない棒きれを振り回すオーク。その行為には、執念の様なものが感じ取れた。
「くそ…っ……!くそ…っ………!!」
死に瀕した時の何も出来ない様な怖さではない。自分がしようとした事への恐怖。自分が何か違うものへと、もう戻れない何かへと変わってしまうのではないかという恐怖。そう、命を奪う事で、人としての大切な何かが失われてしまう恐怖だ。
死ぬのが怖いから殺す。
殺すのが怖いから殺せない。
殺せなければ、死ぬ。
結論の生まれない禅問答の様な思考が脳裏にべったりとこびりついて離れない。
「グォォ!オァアッ────」
痛みに苦しむオークの頭に剣が突き立てられ、オークは沈黙した。
「カ、カイン………」
「苦しまないように、逝かせてやるんだ」
俺よりも多くの血液を全身に浴びたカインは静寂の中、慰めるでもなく、怒るでもなく、俺にそう言った。
* * * * * *
窓から射し込む朝日が目にしみる。昔から朝は苦手だ。毎朝毎朝、出来ることならばいつまでも布団にくるまっていたいと思う。そういえば、日差しで起きたのは何日ぶりだろうか…。
「ん………やっべ、アラームは!?」
飛び起きて枕元を探る。が、そこにはケータイは無く、あったのは簡素な枕と麻の布団。
「違う…………もう俺の家はないんだ…………」
俺はもう死んでいる。
今の俺は、死んでからの奇跡的な猶予に生きている。
言うなれば、ラストダンジョンの後のボーナスステージだ。
この世界は俺の世界とは違う。機械は無い。ビルも無い。車も無い。
まさに、俺の世界とは異なった世界だ。
この世界に来たのは昨日。
電車に轢かれた後も、何度も死にそうになった。
オークに襲われ、カイン救われた。
またオークに襲われ、返り討ちに────。
「──ッ!!」
右手が震えた。右手から肩、肩から胸、胸から首、首から頬。血を浴びた場所をゆっくりとなぞる。そこにはあの嫌な感触は無かった。
その代わりに、オークの叫び、血の吹き出す音、血が肌に叩きつけられる音、俺の恐怖に染まった荒い息。それが気持ちの悪い不協和音を奏でて頭の奥から響く。
どれだけ耳を塞いでも、中から溢れ出す音は止まらない。
「起きましたか?」
女性の声。
ハッと我に返って、耳に当てた手を隠した。
「昨日、俺はあの後どうなったんですか………?」
聞くのは怖かった。
「俺が話そう。気分はどうだい、ヤスタカ?」
「カイン…」
その後俺は、昨日の事をカインから聞かされた。オークを殺し損ねて怯える俺の代わりにオークを仕留め、意識の朦朧とした俺を村長の家の離れへ運んだ事を。
「君は、生き物を殺した事は無かったんだね」
「あぁ………」
それはそうだ。この世界よりも文明の発達した俺の世界では、生き物を殺す事ほとんど無いのだから。
「そうか。俺は何度も殺した事がある。昨日だってそうだ。大部分は逃げ出したが、3、4体は仕留めた」
「……………怖くないのか」
絞るような、小さな声。恐怖を圧し殺した声。
「怖いさ。生き物を手にかける事は、恐ろしい行為だよ」
「なら!……なら、何で……!」
「怖いから、俺が殺すんだ。この村の人たちは、オークに怯えている。いつか自分達が襲われるんじゃないかという恐怖だ。でも、その恐怖は君の感じた『殺す恐怖』を薄れさせる。死にたくないから殺す。生を失うことが怖いから」
カインは続ける。
「でも、その薄れは人を壊すんだ。倫理を壊して、価値観を壊す。そして、それを知った人間が増えれば、世界はおかしくなってしまうだろう。それこそが、自分を殺してしまう、命を奪う事の何よりの恐怖だよ」
命を奪う事で、自分を殺してしまう……。
「ならその恐怖は俺が負うんだ。俺たちの様な人間がそれを負えば、死ぬ恐怖と殺す恐怖を取り払えるんじゃないかな。昔から剣の腕ぐらいしか能のない、俺のような人間でもそうやって誰かを救えるんだと思う」
「恐怖を…負う………」
その恐怖を誰かに負わせないために、苦しませないために、殺すのか。自分がそれを背負ってまで。
「単なる自己満足かもしれないけどね。俺はこの生き方を貫くよ」
誰かを思っての行為なんて、どれも自己満足の様なものだ。自分の持つもので何が出来るかを考えて、誰かの恐怖を背負う事は誰にでも真似できる行為じゃない。
「………………俺も、出来るか?」
命を奪う事はしたくない。だが、それをしなくて誰かが苦しむのはもっと嫌だ。倫理や、正義をかざす訳じゃない。それこそ俺の自己満足だ。
「俺にも、お前と同じことが出来るか?」