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【ニーチェ】利人と千恵が『善悪の彼岸』を読むようです。【哲学】  作者: 安藤ナツ


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【一四九】【善の隔世遺伝】

【ある時代において悪と信じられたものは、かつて善と信じられたものの時代遅れの名残である。――古き理想が隔世遺伝したものなのだ。】




「隔世遺伝って概念が一九世紀からあったことに吃驚だよ」

「遺伝子って言う概念はなくても、親から子に特性や性質がある程度遺伝することは経験則としてわかっているだろうからな。ダーウィンもレース用の鳩を掛け合わせて意図的に早い鳩を育てる所から進化論のヒントを得たと言う話もあるし」

「なるほど」

「で、今回のアフォリズムは善と悪の遺伝について語っているな」

「うん。ちょっと整理すると【かつての善】が【ある時代において悪】になっちゃっているんだよね? ニーチェはそれを【古き理想】の【隔世遺伝】って言っている」

「だな。“善”が“悪”に変わる。これは俺達日本人にしてみれば別に奇妙なことじゃない。日本で奉られている“神”って言うのは、平然と人間に危害を加えるモノとして描かれているからな。河が荒れるのは別の悪い神の仕業ではなく、元々いる神が暴れているからだと考える。荒魂あらたま和魂にぎたまって考え方だな」

「なんとなくニュアンスは伝わって来るよ。要するに、神様ですら絶対的な善でも悪でもないってことでしょ?」

「そのとおり。でもヨーロッパでは昔から悪人はずっと悪人で、善人はなにがあっても善人だと信じられていた。悪いことをするのは環境のせいじゃあなくて、魂の問題だってな」

「ふーん。でも、そんなことないよね」

「だな。それを世の中に知らしめた一つが、悪名高き“スタンフォード監獄実験”だ。集めた生徒達を“囚人”と“看守”にわけて、ロールプレイをさせるって実験だった」

「あ、聴いたことあるかも。確か、囚人は囚人らしく卑屈になって、看守は傲慢で嗜虐的な面が顕著になったんだっけ?」

「その通り。善良な市民が“看守役”であるだけで、徹底的に“囚人役”を貶めた。たった六日で実験を中止せざるを得ないほどにな。そしてその結果、人間は容易く環境に左右されて行動を変える生き物だと言うことがわかってしまった」

「つまり、善人も悪人も個人の一面でしかないと」

「そう言うことだな。容易く移ろうし、絶対的な物じゃあない」

「それがどうしたの?」

「この実験は一九七一年に心理学の実験として行われた。ニーチェはこの結果を知る遥か以前から、善悪の不確実性を理解していたわけだ。ニーチェは心理学者だとも自称していたが、そうなのる資格は十分にあるだろう」

「はへー。めっちゃニーチェ上げるね」

「いや、俺はいつもニーチェに敬意を払って喋っているからな?」

「そう?」

「そうなの。ニーチェは善や悪と言う概念に非常に敏感な哲学者だけど、このアフォリズムは正にその顕著だな」

「それでその顕著な内容なんだけど、昔の正義が悪へと変わることについて話しているね」

「ああ。当たり障りのない話をすれば、昔はアルカリ性の温泉がお勧めされていたが、今は弱酸性が良いと言われている。むしろアルカリは悪い泉質と言う人もいるくらいだ」

「本当にどうでもいい例えだね。それは何でなの?」

「アルカリ性の湯船につかると肌がすべすべになるんだが、まあ、それは表皮が溶けているだけのことで、肌の健康に良いとは言えないからだ」

「えぇ」

「この例は冗談だけど、性質の悪い善悪を上げるとするなら、昔は真剣に黒人は白人よりも劣った人間であると信じられていた。コナン・ドイルみたいな高名な小説家ですら自著で『黒人の臭気が爆発した』とか無茶苦茶言ってのける程に見下していたりするし、影響は二十一世紀の現代にもまだまだ根強く残っている」

「それくらいは私も知っているけど、同じ人間なのに何でだろうね」

「今の人類学では、アフリカで人類は発祥し、全ての自分類のルーツは黒人にあると考えられている。肌の色が違うのは、同じ種のウサギでも、住む場所によって毛の色が違うのと似たような理屈だ。理性的に考えれば肌の色の違いは優劣じゃあない。人種差別って言うのは唾棄すべき悪だと言えるだろうな」

「うん。それは素晴らしい意見だけどさ。現代ではそう言う理由で人種差別が“悪”ってことは、つまり【かつて善と信じられたものの時代遅れの名残】でしかないってことだよね? なんで昔は差別が善だったわけ?」

「一口で語れる問題ではないし、わかりやすい原因もないけど、強いて言うなら黒人差別と奴隷問題は避けられないだろうな。安い労働力として黒人が売られた結果(売ったのも黒人ってところが笑いどころだ)、経営者側が白人で労働者側が黒人って言う、上下関係が最悪にこじれたと考えるのは間違いじゃあない。そこから貧富の差や教育の差が大きくなり“黒人は劣っている”と言う認識ができちまった。なら、劣っている人間が損をする、逆に言えば優れた物が得をするのはある意味では正解だろう? 差別って言うのはそう言う正当性の元に行われていたわけだ」

「なんか、日本人の間でもありそうな話だね。高所得の家の子供の方が、塾に通えて頭が良いから、良い大学に行って就職に有利で、低所得の子供は塾にも通えず、良い就職ができなくて低所得の親になる……みたいな」

「人間が農耕生活を始めて以降、この手の問題は常に付きまとっている。今はこの格差問題も“悪”とされているけど、市場原理で考えれば差が産まれるのは仕方がない。富める者がより富を得るっていうのが正義だった時代も当然ある。と言うか、だからみんな必死に勉強していい会社に就職しようとしているわけだし」

「なるほど。でも、確かに頑張った人が頑張っただけ評価されるって言うのは真理と言えば真理だもんね。それが【善】だと呼ばれるのもわからなくもないかも」

「が、一部の人間が富の殆どを得るよりも、最大公約数的に富を分配した方が、長い目や全体で見れば繁栄に近づくと言うのも正しい意見だ」

「むむむ。それも確かに」

「つまり、差別や格差と言う“現代の悪”は、『優れた人間が劣った人間を支配するべき』と言う“古い善”の歪な名残でしかないわけだ」

「そうなるとさ、悪が古い善であるってのは厄介だよね」

「今まで正しいと思っていたモノを間違っていると言われるわけだからな。そりゃ素直にうなずけない。それまでの人生の否定みたいなもんだ。特に今は時代の過渡期なのか、様々な常識が変わり始めているしな」

「私が解決する必要もないけど、面倒な問題だね」

「そうだな。だが、ニーチェは【ある時代】と書いている。これって、もっと面倒なことを指しているように思えないか?」

「私は“現代の悪”って言ったけど、【ある時代】だとちょっとニュアンスが変わって来るね」

「だな、例えば百年後の未来で悪と糾弾されるものは、俺達の時代に善と信じられた物であると思わないか?」

「まあ、そうなるのかな? このアフォリズムが正しければ」

「人類平等を謳い、それが実現した結果、社会は望む物になるだろうか?」

「なって欲しいとは思うけどね。人類を信じるよ、私は」

「優しいな、千恵。だが、俺はならないと思う。現実を視ろ。自由と平等はただの個人の我儘を通す文句に成り下がってないか? 努力を軽視する昨今の風潮は、まさに能力に関係ない評価を求める平等のせいだと俺は思うぜ? みんなでおててを繋いでゴールイン? 競争心のない奴や、敗北も勝利も知らない人間が何の役に立つ? 支配しようとも、支配されようともしない人間なんて最悪よりも役には立たないぜ?」

「ひねくれてるなぁ」

「そして! 自由や平等が悪しき習慣となった時! 【古き理想が隔世遺伝】するのさ。かつての善が! ある時代の悪が! より優れた人間が、劣った人間を支配するべきだと言う理想がな!」

「何でそんな悪役みたいな喋り方!? 絶対に主人公に倒されて理想は潰えるよね!? そのパターン!」

「大丈夫だ、倒されることによって、より優れた人間が、劣った人間を支配すると言う残酷な根本原理を証明しているからな。俺の死を持って、主人公達の手で、俺の正しさが証明されるのさ。くふふ、くはは、あーはっはっは!」

「自らの死によって理想を完成させるとか、頭おかしいよ…………」

「まあ、そしてその勝者もその内に時代に取り残されるもんだ。歴史はいつも繰り返している」

「世の中から悪がなくならないはずだよ」


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