【一四八】【隣人の意見】
【隣人を誘導して、ある好ましい意見を語らせる。そのあとで隣人のその意見をしっかりと信じ込む。女性ほど、こうした技に卓越したものがいるだろうか? ――】
「ねえ。どっちの服が似合うかな?」
「緑の大人しいデザインの方で良いんじゃないか?」
「えー。なんかゴルフ場のグリーンみたいじゃない?」
「…………そっちのブラウス、フリルが可愛いんじゃないか?」
「やっぱり? そうだよね。私もそう思っていたんだよねー。こっち買おう」
「【隣人を誘導して、ある好ましい意見を語らせる。そのあとで隣人のその意見をしっかりと信じ込む。女性ほど、こうした技に卓越したものがいるだろうか?――】」
「え? 何? 突然。この服をプレゼントしてくれるってこと?」
「どんだけ都合の良い耳をしているんだよ! いや、もうさ、アフォリズムとか関係なく単純に言いたかったんだよ!」
「って言うと?」
「今回が初めてでもないけどさ、その無意味な二択止めてくんない?」
「ん?」
「『ん?』じゃなくてね、もうさ、最初っから俺の意見聞いてなかったよな?」
「そんなことないよ。ちゃんと利人の意見を参考にして選んだじゃん」
「ああ。でもさ、最初の俺の意見に対してさ、千恵、お前はなんて言った?」
「『ゴルフ場のグリーンみたい』」
「『ゴルフ場のグリーンみたい』!? 有り得なくないか!? 俺が褒めた直後に『ゴルフ場のグリーン』って表現がどうして出て来る! 俺にも失礼だし、ゴルフ場にも失礼だろ!」
「でも、ゴルフ場って自然環境壊し過ぎじゃない?」
「何が『でも』なんだよ! まるで関係ないよな! 初めっからこっち選択する気がなかっただろって俺は言ってんの!」
「そ、そんなことないアルよ。参考にはしたって」
「嘘だろ?」
「っち。そうだよ、嘘だけど? それが何? 駄目なの? 答え決まっているのに質問しちゃ?」
「逆切れ!? まあ、俺はあんまり行儀が良いことだとは思わないぞ」
「利人に行儀を説かれた……だと!?」
「【隣人を誘導して、ある好ましい意見を語らせる。】まるで詐欺師の手口みたいだが、さっきの千恵みたいに普通に日常的に行われていたりもするな」
「そんな私を悪者にされても」
「千恵。お前、最初っからブラウスの方を選ぶつもりだったんだろ?」
「まあね。って言うか、緑は今日の気分じゃないし」
「気分とかわからねーよ。じゃあ、なんで千恵は俺に質問したんだ?」
「うーん。折角一緒に買い物しているわけだし一体感? いや、違うかも。単純に後押しが欲しかったってのが正解かな? やっぱり、自分の意見だけだとちょっと心配と言うか、不安と言うか、ねえ?」
「『ねえ?』と言われても困るが、大抵の人間は自分の意見の後押しとしての一言が欲しいんだろうな」
「そんな感じかな?」
「だから、相手に自分の意見を言わせようとする。差別的な上に自分の経験則になっちまうが、この『自分の中で意見は固まっているけど、他人に訊いてみる』って行為は絶対に女性の方が得意だと思う。花京院の魂を賭けても良い」
「花京院は関係なくない? って言うか、あの場にいない花京院の魂を賭けられるんなら、DIOの魂を賭けて貰えばよくなかった?」
「その話しこそ関係なくない? 後、多分、ダービーの花京院云々はハッタリだ」
「あ、なるほど。その場にいない人の魂を賭けるって言うのはブラフね。納得」
「で、この自分の意見があるのに人に言わせようとする行為の何処が腹立つかと言うと――」
「あ、行儀が悪いから個人的な怒りに話がすり替わってる」
「――自分の意見がちゃんとあるのに、他人に言わせていることだ。当たり前だけどな」
「まあ、そうだろうね」
「これが特許とか新しいアイディアとかだったら自分から発言していくだろうに、どうでも良いことは確信があっても他人に言わせるなんて卑怯だろう」
「まあ、言わんとすることはわかるけど、後押しが惜しいんだよ、女の子は」
「違うね。責任を負いたくないんだ。ニーチェは鋭く【そのあとで隣人のその意見をしっかりと信じ込む。】と続けている。自分の意見を相手に言わせておいて、それを相手の意見として信じ込む、性質が悪い。責任は取らずに都合の良い所だけ自分の物にしている」
「そんなことはしないよ」
「いや。多分、そのブラウスを買ったことを後悔する時が来たとしたら、『利人が買えって言ったから買ったのに』と、千恵は俺に責任をなすり付けるぜ。これも賭けて良い」
「うわ、ありそう。うん。理不尽かもしれないけど、多分私はそう言うと思う」
「ここで素直になったことを覚えておいてくれよ?」
「善処します」
「まあ、男性が絶対にやらない! ってこともないと思うけどな」
「確かに、利人は買い物する時に私に訊いて来たことないよね」
「スーパーとかで一々旦那と電話しながら買い物している人を見るとイライラするぜ」
「それは今回のアフォリズムと関係ないよね?」
「ないな」
「それで? 要するに、自分の意見があるのに、他人に言わせて責任を負わないことが腹立つわけ?」
「それもあるけど、もう一つ大きな理由がある」
「もう一つ?」
「これって、会話に見えて会話じゃあないだろ? 千恵が俺に言わせようとしているわけで、俺の発言は厳密には俺の意見じゃあない。この会話において、俺は千恵の意見を言うことしか認められていない。こんなもん、対話で有り得ない」
「大袈裟だな」
「大袈裟なもんか。お前は会話する振りをして、俺の意見を無視して、自分の意見を通すことしか考えてない。こんなに話し相手を馬鹿にした話があるか? 女の相談は同意が欲しいだけとか言う奴がいるけど、それは会話相手の意志を蔑ろにする最悪な発言だと思うぜ?」
「辛辣だね」
「そりゃそうだ。対話って言うのは素晴らしい物だ。創造的な物だし、出産的な物だろう? なのに、相手を無視するって言うのは論外だし、結局無視した本人も一人っきりだ。救いが何処にもないだろ?」
「…………気を付けます」
「よろしい。で、だ。これには三文目がある。【女性ほど、こうした技に卓越したものがいるだろうか? ――】ってな」
「実際に女性の方が得意なんだろうけど、ニーチェが女性との会話で切れたって話ではないんだよね?」
「当然だ。真理についてニーチェはいつも語っている。そもそも、真理を女性に例えるのも、真理が人を誘惑するからだしな」
「へえ」
「真理と呼ばれるモノは、パソコンで言えばOSみたいなもんだ。オペレーションのシステムであり、それに習って人は思考する。宗教や道徳、最近じゃあ教育がそれだな。与えられた基礎的な知識をもとに俺達は物事を考えるようにできている」
「ふーん。それで?」
「そのOSは何時も俺達の考えを強制する。酢豚にパイナップルを入れるのはおかしいって言う奴がそれだな。合理的に考えれば何もおかしくないし、フルーツがあったかくて何が悪いんだって話だが、肉料理にフルーツが入っているだけで拒否を示すし、パイナップルは冷えているべきだと勝手な常識を押し付ける」
「急に何の話!?」
「いや。友達と中華喰いに行って揉めに揉めて、店から追い出されそうになったんだよ」
「何してんの……」
「つまり、頭の中にいる女性(真理)を元に俺達は物事を考え、そして自分に都合の良い意見を真実だと思っちまうのが人間なんだよ。だから、真理は恐ろしいわけだ」
「例えが酢豚とパイナップルだから深刻感が伝わって来ないよ」
「因みに、俺はホットコーヒーと一緒に白いご飯が食べられる」
「うへ、絶対に合わないでしょ」
「香ばしい麦茶みたいなもんだぞ? よゆーよゆー」
「我が道を歩き過ぎでしょ……利人こそ人の意見をまったく聴いてなくない!?」




