【一四七】【女と鞭】
【古いフィレンツェの小説が、――そして人生が教えてくれること。善い女も悪い女も鞭を欲するものだ。サケッティ、第八六話。】
「【サケッティ】って誰だよ! と思って調べて見たんだけどよ」
「あ、これ【サケッティ】って名前の本じゃなくて人名なんだ」
「フランコ・サケッティって言う商人みたいだな。“ルネサンス巷談集”って言う三〇〇話程度短編小説集の語り手だ。一三三〇年代から一四〇〇年くらいまで生きていたみたいだな」
「へー。巷談って噂話見たいな奴だよね? 『巷で噂の~』みたいな?」
「と言うか、私小説みたいな感じだったな。日常の出来事を面白可笑しく描いている。ただ、このサケッティはかなり有名な商人の家系らしいが、小説は基本的に馬鹿馬鹿しいお話しばかりだ。あんまり寓意もない。で、取り敢えずネット通販でこの本を買って、ニーチェの言う【八六話】を読んでみようと思ったんだよ」
「行動的だね」
「で、読んだ」
「どんな話だった?」
「八六話は掲載されてなかった」
「…………は?」
「三〇〇の内の七〇ちょっとを抜粋した本だったらしくて、見事に八六は飛ばされていた」
「えぇ、確認してから買おうよ」
「いや、確かに全部載ってないだろうとは思っていたんだぜ? でも、ニーチェが例えに上げてるのにまさか飛ばされているとは思わないだろ。QUEENのベストアルバムに“BOHEMIAN RHAPSODY”も“Keep Yourself Alive”も“ロック・ユー”も入ってないとは思わないだろう?」
「んー。世間的にはこのサケッティもニーチェもマイナーだからね。世界で最も売れたアーティストと比べるのは違うんじゃない?」
「はー! このがっかり感よ。八四! 八五! 九八!? ふざけんなよ! 期待させやがってよ!」
「ま、まあ、そう言うこともあるよ」
「だから、非常に残念だがこの八六話が一体どんな内容なのかは俺にはわからん。だから無責任極まりないが、大部分は俺の想像で補完されていると思ってくれ」
「いや、大部分と言うかさ、八六話を参照にして話しているのに、八六話を読んだことがなかったらさ、ゴリラを見たことがないのにゴリラの絵を自信満々で描いて公開するのと一緒だと思うウホよ」
「語尾がゴリラになっているぞ。で、こないだ行った東山動物園のイケメンゴリラに話しを戻すと……」
「話題がゴリラになっているよ! ちなみに、私がゴリラを具現化させようと決めてからは四六時中ゴリラと一緒だったよ。師匠からはゴリラ以外で遊ぶなって言われたね」
「お前は念能力者だったの!? って言うか、どんな人生を歩めばゴリラを具現化させようと思うわけ!?」
「ちなみに、ゴリラの血液型は全員B型らしいね」
「そう言う蘊蓄は俺の役割! 話どれだけゴリラで話を膨らませるんだよ! こうなったら勝負するか? どっちがより森の賢人に相応しいか、ここで決着を付けようじゃないか」
「なんか、もう、サケッティさんの肖像画がゴリラで固定されちゃったかも」
「何と言う風評被害。本当に話を戻すと、この断章のタイトルと、本の傾向からなんとなくわかる」
「今までで一番頼りない台詞だなぁ」
「すまない。で、まず【女と鞭】が今回の断章名だな」
「この組み合わせは、女王様だね」
「どーでもいいけど、実在の女王様は絶対に鞭と蝋燭とは無縁だよな。風評被害過ぎる。で、ニーチェは【善い女も悪い女も鞭を欲するもの】らしいことに気が付く」
「私は別に欲しくないんだけど?」
「まあ、大抵の女子は必要ないだろうな。勿論、ニーチェだって女の人が鞭を持ち歩く世界を肯定するわけじゃない。じゃあ、これは何の比喩? って話だ」
「なるほど。でも、その八六話を読んでないんでしょ?」
「ああ!」
「開き直ってメッチャ素直ね!」
「ただ、この本は全体を通してすげー俗だ。下世話で生々しいその時代の生活が見えて来る」
「ルネッサンスって確か昔の文明を復活させようってしてた時期だっけ?」
「そうだな古代ギリシャとか古代ローマを復興させようって言う文化運動だ。こんな時代から『昔は良かった』って言う連中が大勢いたと思うと、人類の進歩はどうなってんだと思うな。まあ、実際、昔の方が優れたみたいだが」
「そうなの?」
「ああ。創作でも良くあるように、戦争によって古代の文明が失われ、多様性がなくなり進歩が遅れたんだ。所謂、暗黒時代だ」
「それで昔の文化を復活させたい人がいたんだね」
「まあ、この辺は関係ないから飛ばすとして、時は中世後期。百年戦争やらなんやらの時代だな」
「ふーん。ってことは、その時の女性達についてゴリラ・サケッティさんは語っているわけだ」
「うん。ゴリラはもう関係ない」
「フィレンツェって言えば、ゴリラはいないけどレンガ造りの美しいイタリアの街だよね? 何度か行ったことあるけど、ああ言う街並みを残しているって凄いよね。道行く人も全員お洒落に見えるし。あんな街のお話だから、素敵な恋愛物小説なのかな?」
「いんや。さっきも言ったけど、普通に下世話な話しが多かったぞ。女遊びで骨抜きにされた男の末路とか、旦那にきつく当たり過ぎた一家に、旦那がブチ切れてフルアーマー装備で暴れ回ったとか」
「何それ? 舞台設定を生かそうよ。そこである必然性は?」
「編集者みたいなこと言ってんじゃねーよ。巷談集だからな、騎士物語とは違うんだよ」
「はあ。でも、なるほど。そう言う女性達が出て来るお話しが集まっているわけだね」
「そ。昔の話だから男尊女卑な内容かな? って思ったら、案外女性が強かで、男は翻弄されている話しもあったりする」
「ふーん。まあ、でも、意外とそんなもんじゃない? 我が父上も、でっかい病院の院長だけど、家の中じゃあお母さんのイエスマンだからね。よくわからないけど、世のお父さん方の中には、自分で稼いだお金からお小遣いを貰っている人もいるみたいだし、どこもかしこも男尊女卑が根付いているわけじゃあないでしょ」
「千恵の親父さんから偶に愚痴みたいなメール来るから気にかけて上げろよ?」
「なんでお父さんと利人がメル友なの!?」
「なんでだろ? で、まあ、世の中なんだかんだ女性の影響って言うのは大きい物だな、なんて俺は感じた。そして上手く野郎を掌の上で転がす悪女もいれば、ただ駄目にするだけの女性もいる。偉人のエピソードだと、妻の支えのお陰で成功した人とか、女関係で失敗した奴とか同じくらいいるしな」
「【善い女も悪い女も】って所がそう言う意味だとすると、男性は女性に鞭で叩かれて操られているってこと?」
「まあ、極端だけどな」
「はあ。で? この女性がやっぱり真理の比喩だとすると、堕落させるにせよ、成長させるにせよ、真理って言うのは人間に対して攻撃的で強制的であるってことだよね?」
「“○○してはいけない!” “○○すべし!”なんて如何にも人造の真理っぽい文言だろ?」
「確かに、そうかも?」
「人を動かすには多少の鞭が必要だ。飴ちゃんだけじゃ動かない。だから、鞭を欲しがる。厳しい刑罰とか、天国にいけないとか、そう言った罰を」
「なるほど」
「まあ、でも、俺がこのアフォリズムで最も注目すべきは前半部分だと思う」
「【古いフィレンツェの小説が、――そして人生が教えてくれること】の所?」
「ああ。小説から学んだだけじゃないんだよ、ニーチェは」
「あ、【人生が教えてくれること】…………」
「ニーチェは人生からもそのことを学んだんだ。多分、比喩じゃあなく、実際に女性から」
「…………」
「母親にせよ、妹にせよ、ルーにせよ、ニーチェにとって優しいだけの存在じゃあなかったんだろうなぁ」
「ま、まあ。大丈夫大丈夫。お父さんもそうだし――」
「そうだし?」
「――利人もきっとそうなるよ」




