【一四四】【不妊の動物】
【ある女性に学問を好む傾向があるとすれば、その人には性的な欠陥があることが多い。不妊の女性は、男性的な趣味をもちやすいものだ。すなわち男性とは、あえて言わせていただければ、「不妊の動物」なのだ。】
「これを是非フェミ団体とかに読んで欲しい所だな。どんな反応すると思う?」
「んー。前半は怒るでしょ」
「って言うと、後半は?」
「男の人が【「不妊の動物」】なんて当たり前でしょ」
「アーノルド・シュワルツネッガー氏は妊娠していたけどな」
「“ジュニア”だっけ? シュワちゃんの役幅に驚いた映画だったね」
「そうそう。子供の時はただ単にギャグだと思って見ていたが、今になって視聴するとまた違った感慨がありそうだよな。またテレビでやらないかな?」
「DVD買いなよ。って言うか、フィクションじゃん。男性が妊娠するなんて現実には有り得ないでしょ?」
「まあ、男にはその為の臓器と機能がないからな。女性と言うか雌単独の単為生殖って言う生殖方法はあるんだけど、雄だけでは子孫は残せない。生殖に関して雄はかなり楽をしているからな、仕方がないことだ」
「出産に関して、雄は本当にやること少ないもんね」
「射精だけだからな、基本的に。しかも卵子と精子の大きさを比べればわかるが、精子は小さいし大量生産が可能だ。妊娠の為のエネルギーは殆ど雌側が負担する」
「はあ。で? 生物の授業みたいな話しはこの辺りで止めるとして、問題は前半部分だよね?」
「【ある女性に学問を好む傾向があるとすれば、その人には性的な欠陥があることが多い。】が最初の一文であるわけだが…………こんなことを二十一世紀のヨーロッパで言おうモノなら速攻で炎上するだろうな」
「日本でも燃え上がるよ。『女が学問なんて!』なんて、完全に明治時代の爺さんの発言だよ」
「でも、当時はそれが常識的だったんだよ。あんまり過去の人間を現代の常識で責めない方が良いぞ。俺達も一〇〇年後の高校生に『二十一世紀ってまだ物理的肉体に支配されていたんだろ? 野蛮人かよ』とか言われるようになるんだからな」
「利人の中ではこの一〇〇年の間に何が起きるの!? 二十二世紀は魂すらも電子化されているわけ!?」
「さて。『女性が学問に興味を持つのは、性的な欠陥である』って言うこの一文は、【不妊の女性は、男性的な趣味をもちやすいものだ。】と続く。つまり逆に言えば『学問とは男性的な趣味である』ってことだし、『妊娠こそが女性の特権である』ってことになると思う」
「勉強が男の趣味かどうかは置いておくとして、妊娠は女性の特権ってのは間違いないね。さっきもそう言う結論になったし」
「そうだな。そして男が【「不妊の動物」】ってのも間違いない。つまり、男女の違いは“出産”できるかどうかだし、“出産”できない存在は代わりに“学問”を趣味とする傾向があるってことだな?」
「うーん、そう、かな?」
「じゃあ、この女性をいつものように“真理”と読み替え、男性を“哲学者”にしてみよう」
「『真理は出産するモノであり、哲学者は学問を好む』ってこと? 学問を好むって言うのはわかるけど、真理が出産するモノって言うのはどう言う意味?」
「この“出産”もまた比喩なわけだが、これが何を意味するからはそう難しくないだろ?」
「“創造”?」
「ああ。俺もそう思う。真理とは創造的なモノを言う。実にニーチェらしい結論だろう。ここにないモノを創る力。それはまさしく【力への意志】だからな」
「ん? あれ? じゃあ『哲学者が学問を好む』って考えはさ、逆に言えば『創造力のない奴は学問を好む』ってことにならない? なんか、哲学者と学問を小馬鹿にしているニュアンスがあるんだけど?」
「だな。多分、これはそう言うアフォリズムなんだと思う」
「んんん? つまり『学問に励む女性は性的な欠陥がある』って言う、フェミニストがブチ切れするであろう挑発的な文章から始まるこのアフォリズムは『学問は創造力に欠陥のある野郎の趣味だ』って言う意味なわけ?」
「乱暴が過ぎるが、大筋はそんな感じか? ニーチェは自分以前の哲学者の活動を『ちょっと違うんじゃあないか』と考えていた。それ以前の西洋哲学はどうしてもキリスト教的な神の存在を前提にして発展していた所があるし、形而上の存在――」
「ケイジジョウ?」
「要するに、人間の感覚を超えた領域だな。この世とは別に、完全なる場所や空間があると言う考え方だ。例えばプラトンの奴(正確にはソクラテスか?)が言った“イデア界”。この世界の本質、完全で純粋なるものの世界が有名か?」
「もっとわかりやすくプリーズ」
「この世界に二次元は存在しないだろ?」
「え?」
「どんなモノにも絶対に厚みが存在する以上、紙に書かれた絵ですら厳密に言えば三次元的なモノだ。が、数学の図形問題でそんなことを言っていたら話しが複雑になるから、俺達は厚みのない“線”と言う現実には存在しない概念を使用して計算を行う」
「それが“形而上”?」
「厳密な話をすると語弊があるかもしれんがな。兎に角、哲学者って言うのはそんなことばかりを考えていた。神が存在するのかしないのか、自己や意識とは何処にあるのか? 皆が赤と呼ぶ色は、本当に全員が同じ色として感じているのか? とかな」
「あー。私の知っている哲学っぽいね」
「が、ニーチェはそう言った哲学とは別のアプローチをしていた。代表的で根本的なのが『キリスト教を前提とする社会そのものの影響』だ。あらゆる道徳はキリスト教の善悪を前提に考えられていると気が付き、その影響の大きさに歯向かったのがニーチェの哲学だ」
「うん。それは散々聴いて来たよ。で? それが今回のアフォリズムとどう関係するわけ?」
「『どう』と言われても、それが全てだ。キリスト教と言う前提に立って考える今までの西洋哲学は『何も新しいモノを産み出していない』。と痛烈に批判しているんだよ。勿論、哲学者達に枠に嵌めた思考を強制させていたキリスト教もな。キリスト教はニーチェ的には“不妊”な存在だったわけだ」
「うーん。まあ、『創造力を身につけなさい』ってことを言っているとすれば、割と真っ当な意見なのかな? って言うか、もっとわかりやすく言って貰わないと絶対に意味が通じないと思うんですけど?」
「もっとわかりやすく、か。例えば名探偵コナンで怪盗キッドっているだろ? あいつは自分の窃盗を芸術に例えて、コナンの推理を評論家と評した。自分は創造する者であり、探偵なんて言うのは後からやって来てうだうだ言うだけってな」
「初登場のシナリオの話だね。それが?」
「今回のアフォリズムに少し似てるだろ? 真理は何かを産み出すが、哲学者はそれを見て思索するだけ。ニーチェもキッドも能動的に動く行為をより高位な物だとしている」
「犯罪者の意見と並べちゃったよ! 一気に正当性が感じられなくなったよ! 本当に利人の解説は正しいの!?」
「確かに。危うくなった。でも、俺が勝手に深読みしているだけの可能性は十分にあるぜ?」
「いや。そうだったとしても、この文章を文面通りに読み取るよりはマシだよ? 多分」
「それは在り難い。しかし、まるで意味を取り違えていたら、ある意味で、俺はこの意見をこのアフォリズムから“創造”したと言えるかもな」
「その場合、このアフォリズムは利人に意見を“妊娠”させたって表現するのが良いかもね」
「千恵に伝えることで出産したことにもなるな」
「じゃあ、私は子供を押しつけられたの!?」
「だな。大事に意見を育ててやってくれ」




