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【六八】【記憶と誇り】

【「わたしはそれをやった」と私の記憶が語る。「そんなことをわたしがしたはずがない」と私の誇りが語り、譲ろうとしない。ついに――記憶が譲歩する。】


「さて、【六八】【記憶と誇り】について話しをしようか」

「タイトルだけを聞くと、『先祖の記憶が民族の誇りとなっている』みたいな感じだけど、内容は全然違うみたいだね」

「簡単に言ってしまえば、『記憶』の『曖昧さ』を語っている様に取れるな」

「そうだね。今日も家を出る時、しっかりと鍵をかけて来たんだけど、急に『鍵をちゃんとかけたっけ?』って不安になっちゃって、結局途中で家に戻ったよ」

「そしたらどうだった?」

「ちゃんと鍵はかかっていたよ」

「まあ、あるあるネタだな。これが酷くなると『強迫性障害』となるから、あまりにも心当たりが多い人は、一度診断を受けて見た方が良いかもしれないぞ。精神の病気と言うのは、決して気合で治る物ではない。肺炎やガンと同じく、治療の必要な病気ということを確りと理解して欲しいと俺は思うよ」

「なんか医療系の漫画みたいになっているんだけど…………」

「偶にはまともなことを言っておかないと、俺の言葉に重みがなくなるだろ?」

「今更な気もするよ。もっとはっちゃけた言動で周囲を引かせた方が利人らしいよ」

「そんな自分らしさなんていらねーよ!」

「じゃあ、利人はこの箴言をどう取るわけ? 流石に哲学書にあるあるネタをぶっこんだだけってことはないでしょ?」

「まあ、そうだけど。本題に入る前に少しだけ言わせて貰えば、このあるあるネタもニーチェの著作の特色だと思う。今までの箴言もそうだったけど、思ったよりも難しい単語はなかっただろ? 少なくとも、専門用語らしい専門用語は俺の説明以外になかった」

「え? そうだったけ? 私としては全部わかり難いまであったけど」

「…………」

「…………」

「…………短い文章で、比喩を交えて説明して行くのがニーチェのスタイルだったんだ」

「へ、へぇー! なるほど!」

「そこがニーチェの作品の素晴らしさであり、誰にでも哲学をわかりやすく説明しようとしたニーチェの人間性が窺える。まあ、その代わり、解釈が人によって分かれたり、誤解されたりすることも多いのがニーチェなんだけど」

「一長一短と言うか、本末転倒と言うか」

「さて。この断章は、ニーチェの哲学を語る上でかなり重要な断章の一つであると俺は考える。それを説明するには【道徳の系譜学】の例えがわかりやすい。ニーチェはミツバチで説明をしている」

「ミツバチ? 急と言うか、突然だね」

「ミツバチは蜜を集める。その姿は、巣箱の中に蜜が沢山あることを忘れているようだ」

「ふむふむ」

「人間にも同じことが言える。自分が何者であるかを求め、経験や知識を溜めこむ――」

「――その時、自分自身のことを忘れてしまっているようだ、ってこと?」

「ああ。既に蜜(自分)はあると言うのに、外へと求めてしまう見当違いさを比喩的に表現しているわけだな。更に、同じく【道徳の系譜学】には、寝ていた男が鐘の音で起きる話がある。男は起きた後に、鐘が何回なったかを思い出そうとするんだが、その数を数え間違えてしまうんだ」

「それは、この断章と同じように、記憶じゃあなくて、誇りによって?」

「だろうな。人は自分の中にある記憶や経験についても勘違いするとニーチェは言っているわけだ」

「つまり、この断章はあるあるネタじゃなくて、記憶の不確かさを説明しているってこと?」

「うーん。記憶の不確かさではなく、思い出すと言う行為を邪魔にする誇りの話しだな」

「ニーチェは『誇り』まで批判するの?」

「誇りの批判と言うか、自己認識と言う行為を、哲学者がどれだけ見当外れに考えていたかをニーチェは語っているんだ。」

「自己認識。自分が何者かって奴だね。如何にも哲学的な問題だ」

「そうだな。自己認識は哲学でも初期からの命題でもある。ほら、聴いたことあるだろ? 『汝自身を知れ』だとか『我思う、故に我あり』とか。自分とは何なのかと言うのは、最も身近な問題でありながら、もっとも難解な謎の一つであり続けている」

「聴いたことはあるけど、私みたいな性格な奴は一生問題にもならない問題だね」

「だが、多くの哲学者はこの問題に頭を悩ませて来た。そして様々な答えを出して来たのだが、ニーチェはそれを勘違いだと指摘したわけだ」

「誇りが故に?」

「そう。誇りが故に、人は自分自身を取り違えてしまうものらしい」

「まあ、確かにちょっとしたことでもプライドが邪魔してできなかったり、逆に自分を良く見せたいから話を盛ったりしちゃう時あるよね」

「まさしく【「そんなことをわたしがしたはずがない」】と言う虚栄心だな。人は自分のことを決して客観視なんてできない。少しでも良くしようと思ってしまう。誰だって、自分が最低の人間だなんて思いたくないからな」

「…………それってさ、要するに『誇り』って言う概念が『社会的な良識』=『道徳的な価値観』に基づいてしまっているからってこと?」

「まさしくその通りだな。既存の間違った(とニーチェは考える)道徳的価値観を根底から肯定し妄信している以上、それはあくまでも既存の道徳観に則った自分でしかない。善や悪と言う誤った概念では、決して自己を真っ直ぐに見つめることができないだろう」

「結局さ、なんだかんだ語って来たけど、結局は『認識』の不正確さを語っているわけだよね?」

「そうなる」

「…………何度同じネタを繰り返すのよ! この話ししかしてなくない?」

「様々な角度から同じことを繰り返すことによって、俺達の固まりきった固定概念をぶち壊そうとしているニーチェの意志だ」

「本当かよ!」

「知らん! が、やはりニーチェ哲学の根底を支えるのは、こう言った鋭い目線からの人間観察だと俺は考える。誰だってちっぽけな誇りを持って生きているだろうが、ニーチェはそれすらも否定するんだ」

「それはやっぱり、根源に『信仰』と言う【奴隷の道徳】があるからだよね? ぶっちゃけ【奴隷の道徳】がなくなった世界なんて想像できないよ?」

「正直に言えば、俺も良くわからん。俺達の社会の根底に確りと【奴隷の道徳】は根付いてしまっている」

「だよね。じゃあ、ニーチェは自己認識なんて不可能だ、って結論したわけ?」

「いや。最終的に自己認識は可能だとニーチェは言っている」

「それってつまり、【奴隷の道徳】を克服する方法があるってこと?」

「その通りだ。前も話したが【力への意志】がその方法だ」

「なんか、MTGにありそうだよね」

「『意志の力』ならあるけどな。トップクラスの使用率を誇る強カードだな」

「それで? 【力への意志】って言うのはなんなの? 誤解を招くとか、ナチスに悪用されたとか言っていた記憶があるけど」

「簡単に言ってしまえば『人間はより強い力を求める意志を持っている』と言う考え方だ」

「そこだけ聴くと、邪奇眼系中二病っぽいよね」

「どう言うことかと言うと【奴隷の道徳】の逆だ。困難な状況に立たされた時、自己の強さを誤魔化して正当化することなく、困難な現実と向き合いそれを乗り越えようとする意志の力。それが【力への意志】だ」

「なんて言うか、主人公っぽいね」

「ニーチェは奴隷との対比で【貴族の道徳】と表現することもあった。さて、貴族とはなんだ? 千恵」

「貴族? 創作だと大抵、偉そうで悪い奴だよね」

「うむ。まさしく【奴隷の道徳】によって歪められた貴族象だな。俺が思うに、貴族とは――奪う者だ」

「奪う者? 税を?」

「この場合は望む物をだ。最初の貴族とは、先頭に立って戦う者のことだった。それは狩りの対象であったり、他の土地に暮らす人間であったりしたかもしれない。家族の為に戦い、成果を得ることで満たされる。自己の行動により、自分自身を幸せにできる人間こそが貴族だった」

「要するに、自ら進んで成果を取りに行く人達って認識で良いの?」

「その程度でも十分だ。幸せとはそうやって『手に入れる』物だった。その『全てを支配し、上へと昇りつめようとする意志』こそが根源にある物だとした。だから、全ての自己認識は【力への意志】の元に行うのが正しいとニーチェは語るわけだ」

「でもさー」

「でも?」

「結局それだって、ニーチェの道徳観を元にした認識であってさ、それを使った自己認識が『数え間違い』じゃあないなんて保障はないんじゃないの?」

「…………【力への意志】は個人の道徳観ではなく、生命そのものの意志であるとされる。道徳以前の、善悪よりも更に原始的なものなんだ。そもそも、これは人間の意志と言うよりは、この世界全体の意志みたいなもんだ」

「だーかーらー。それがニーチェの思い込みって可能性はないの?」

「……………………ある」

「ええぇ」

「そんなこと言われても、どうしようもないだろ? 前にも言ったが、『力への意志』と言う書籍は、結局ニーチェが正気の内にまとめることができなかったメモを、妹がまとめた物だ。発案者自身がまとめ切れなかったくらいだ、当然穴はある」

「じゃあ、駄目じゃん」

「駄目じゃない。確かに穴はある。が、【力への意志】と言う思想自体は健全な物だと俺は思う。現状に満足することなく、更に上を求め、上に立とうと努力する。悪い事はいってないだろう?」

「まあね。最近、努力なんて聴かなくなった言葉だよね」

「努力せずとも、努力した連中と同じ扱いを受けようとする馬鹿が多いからな。そしてそれをなんて呼ぶか知っているか? 『平等』だぜ?」

「確かに、平等は良く聴くかも」

「悲しい事に、平等だとか自由なんて言葉の意味は随分と変わっちまった。これはやっぱり、自分を正確に評価できないが故の悲劇なんだろうな」

「だね。ニーチェがいたらなんて言ったと思う?」

「俺はニーチェじゃあないからわからん。ただ、ニーチェはそんな奴等を最も軽蔑すべき存在【末人】として予想していた。それは確かだ」

「【末人】?」

「悪人ですらなく、真面目で善良な人々だ。ただし、争いを好まず、余計な摩耗を避ける。要するに【力への意志】を持たず、現状に不満を漏らしながらも行動に移さない、ただ消費されるだけで創造しない人間達のことだ」

「勿論、良い意味で言ってないよね?」

「勿論、良い意味で言っていない。と言うか、どうすれば良い意味に聴こえるんだ?」

「いや。どんな物でもキリスト教批判に繋がるように、もしかしたら裏に隠された意味があるのかと」

「『認識』に関わる話しが多いのは、それだけ色々な方向から既存の常識の奇妙さをニーチェが主張していたと言うことだ。ただ――」

「ただ?」

「俺の知識や考え方が偏っている為に、同じような話しが続いてしまったと言う点もあるだろう。なるべき気を付けてはいるんだがな」

「ったく、次から気を付けろよ?」

「はい。でも、何でそんな偉そうなの? あ?」

「冗談はさて置き、でもあんまり専門的な用語連発されても困るし、私は今のままでも平気だよ」

「そう言われると助かる。結構喋ったし、休憩しようか」

「じゃあ、今回はここまで!」


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