【一四三】【道徳の起源】
【わたしたちの虚栄心は、自分がもっとも立派に行ったことは、じつは自分にとってもっとも困難なものだったとみなしたがる。それが多くの道徳の起源でもある。】
「なんか、タイトルみたいなアフォリズムが来たね。アニメだったら、最終回一歩手前とかにありそう」
「『“道徳の系譜学”第一一話“道徳の起源”』からの『最終話“道徳の系譜学”』の流れだな」
「自分で言っておいてなんだけど、起源だから一話とかの方がいいかもね」
「いや、実際どうでもいい。まだまだこの四章は続くからな。ただ読むだけなら十五分もかからない癖に、一つ一つを見てくと長い長い」
「それで、私達の【道徳の起源】って言うのは何なのかな? きっとそれは素晴らしい物から私達の善なる心は産まれたに違いないよ」
「そうだと良いけどな」
「まあ、始まりからして【虚栄心】とか言っているし、ニーチェのことだからどうせろくでもない結末に落ち着くんだろうけどさ」
「【虚栄心】は日常的な言葉で言えば見栄だな。人間はすぐに見栄を張りたがる」
「私みたいに謙虚な人間は少ないからねー」
「千恵の自己申告する体重は謙虚な数字になっているが、少なくしてもそれは見栄だぞ」
「は? 証拠は? 証拠はあるのかい?」
「それを言う奴は犯人だよ」
「はは。面白いことを言う。利人は小説家にでもなったらどうだい?」
「それを言う奴は犯人だよ!」
「私の体重の秘匿とか、利人が偶に存在をほのめかす“沢山の友達”の詳細はどうでもいいとして【道徳】の発生には【虚栄心】が関わっていたって言う話みたいだけど、そう言う欺瞞を【道徳】は許さないんじゃない?」
「確かに、正直者でいることは美徳であり、道徳的な行いだとされる。だが、正直者であることが絶対に正しいとは限らないのが世の中の難しい所だろ?」
「正直者が損をするもんね」
「だからこそ、正直でいることに価値があるとは思わないか? 正直であることが難しいからこそ、道徳的な行為は素晴らしく見える」
「まあ、そこは賛成できるかな? でもさ、それだとやっぱり道徳って素晴らしいことじゃない? 敢えて難しいことに挑むことを良しとするなんて、中々出来ることじゃあないよ」
「ああ。俺もそう思う。実に【立派】な行為だ。でも、その立派な行いを自慢されたらどう思う? 鬱陶しいとは思わないか?」
「思うね。何かにつけて自慢してきたり、一々自分と相手を比べて勝っていることを主張したりする人は鬱陶しいよ。そりゃ、凄いとは思うけどさ、素直に褒めたくなくなるね」
「でも、ついついやっちまうんだよな。誰かに認められたいって言うのは、人間らしい欲求だ」
「うん」
「そして虚栄心は更に自分の立派な行いを装飾する。話を盛ったりするだろ?」
「一時期、ツイッターとかでも“嘘松”とかいって揶揄されていたね」
「それと一緒かどうかは知らんが、例えば、さっきの正直者の話し。自分が不利になるとわかっていても、敢えて正直なことを言ったとしよう。桜の木を折っちまった少年は、父親に正直に話すことで許して貰えた」
「それは、少年がまだ斧をその手に持っていたからじゃな?」
「ウィットに富んだアメリカンジョークをありがとう。でも、もしかしたらこの話はそんなオチだったのかもしれない。たまたま親父が宝くじに当たって機嫌が良かったとかな。だが兎に角、正直に話したことによって少年は許され、得をした。だから少年は自分のこの経験を声高々に語ることになるだろう。勿論、手に持った斧のことは言わないし、他に正直で成功したエピソードがなかったとしても」
「その桜の木の少年は、勇気を出して正直に行った行動を、とても難解なことのように語ったわけだね? でも、それがどうして道徳の起源になるわけ?」
「この話が二〇〇〇年前の出来事だったとしよう」
「テレビも電話もなさそうだね」
「電気はまったく通ってないぞ。で、この桜の木の少年はなんやかんや上手くやって、上等な地位に付いたとする。すると桜の木のエピソードも広まって行く」
「ふむふむ」
「そうなると、皆はこう思うわけだ『あの偉大な人がそうしたんだから、自分もそうすれば近づけるかもしれない』ってな」
「好きな人の格好を真似するみたいなもん? まあ、その心理はわからなくもないし、そう信じるのは勝手だよね」
「その結果『正直者は素晴らしい』と言う【道徳】が出来上がる」
「うーん。ちょっと結論が早くない? そんな簡単に新しいルールが適応されるかな?」
「まあ、実際は紆余曲折があるんだろうが、そんなに難しくはないだろう。道徳って言うのは、自分だけでなく相手にも強制させるからな」
「ん? どういうこと?」
「俺が正直に話したのに、千恵は嘘を吐いたとする。そうなるとどうなる?」
「それは、私が不義理ってことになるよね。あ、なるほど。桜の木の逸話が広まると、父親側も道徳に則って相手を許さないといけなくなるわけね」
「そ。道徳の恐ろしい所はそこだ。『謝ったんだから許してあげなさい』って言う理不尽は道徳があるから産まれたんだ」
「なんか、実感が籠った言葉だね」
「例え話が正直者に偏っちまったが、元々、道徳は誰かの成功譚から始まった。理不尽な世の中を生き抜いた人の知恵と言っていいかもしれない。そして人は自らの虚栄心からその話をとても困難なことであったように盛る」
「で、それにあやかろうとした人間達によって道徳として語り継がれるようになる。と」
「そして多分、そこには大衆を操ろうと言う上流階級の意図があると思う。道徳を通じて正直だとか真面目だとか扱いやすい人間を産み出す。若い内の苦労は買ってでもしろとか、目上の人間は敬えだとか、そう言う道徳だ」
「あ、オチが読めた」
「これを上手くやったのがキリスト教の僧侶たちってことになる。戒律を守らせることによって、憐れな仔羊を作り出して導く、それがキリスト教の奴隷の道徳による支配の根源だ」
「さて、ノルマを達成した所で、全然関係ない質問して大丈夫?」
「改まって何だ?」
「タイトル見た時に真っ先に連想したんだけど、利人ってさ『種の起源』好きだよね」
「ああ。ダーウィンがあの本で起こした衝撃は凄まじい物があるからな」
「当時を知っているような口振りなの置いとくとして、結局さ、進化論って何が凄いの?」
「アレは考え方そのものが万能だからだ」
「万能?」
「キリンの首の長さとか、象の鼻の長さとかを説明するのに、ダーウィン以前は『高い場所の葉っぱを食べる』『足元の草を食べる』そう言う目的にそった身体をしているってそれぞれに別途の理由が存在すると言われていたんだが、ダーウィンの適者生存は全ての生物に対して『環境に適応したから』って言う一貫性のある回答ができる。これはニュートンの万有引力の凄さにも通じるな。万有引力によって、リンゴが木から落ちる理由も天体の動きも説明できる。そう言う万能さが凄いんだよ」
「なるほど。じゃあ、この【道徳の起源】も似たような万能さがあるってことだよね?」
「そうなるな。道徳なんてものは自分を良く見せたいって言う人間らしい感情でしかない。そう言う視点を持てば、人間、基本的に見栄ばかりだ」
「…………利人ってさ、下心なしの善意とか絶対に信じてなさそうだよね」
「そりゃそうだろ。誰だって自分に損なことは絶対しない。どんな形であれ自分の得を選ぶ。元々は、それが物事の善悪の判断基準だ。それが自分にとって損だとわかって行動する人間はいない。トータルで人間は必ず得を選ぶ」
「自己犠牲も?」
「自分の遺伝子を残す為に子供の犠牲になる生物なんて沢山いるぜ? 宗教的な善よりもよっぽど理解できるし、気持ちが良い」
「はあ。じゃあ、明らかに自分に損なことを進んでやっている善人がいるとしたら、利人はどう思うの?」
「そいつを知るチャンスだな」
「チャンス?」
「自分の身よりも大切な何かを持っているってことだからな。だから――」
「だから?」
「――張れる見栄があるって言うのも、少し羨ましくあるかもな」




