【一四一】【下半身】
【人間がむやみに自分を神だと思いこまないのは、下半身があるからだ。】
「【むやみに】って言うか、まず、自分を神だと思い込む人は少ないんじゃないかな? 少なくとも私はこれまでの生涯で一度たりとも『あれ? 私って神じゃない?』なんて思ったことは一度もないんだけど? 流石の利人も自分を神だと思ったことはないよね?」
「『流石の利人』って何!? 流石でも漱石でも神だと思ったことなんてないよ!」
「そっか、意外だなぁ。でさ、本題の前に質問なんだけど、どうしてそこで漱石が出て来るの? 夏目漱石の漱石だよね?」
「元は漱石枕流って言葉だったんだよ。元々は枕石漱流なんだけどな」
「はあ。で、それが?」
「いや、別に、詰まらんジョークだからそんなに喰いつかれても困るんだけど。この漱石枕流が、流石の元ネタであり、漱石のペンネームの元ネタでもあるんだよ」
「ふーん。利人って、本当に隙さえあれば自分の知っていることをアピールするのに必死だよね。大丈夫、私は何があっても辞書引くよりも前に利人に質問してあげるから」
「必死とか言うなや! そしてその謎の上から目線は何なの!?」
「え? そりゃ、天上から見れば全てが下にあって当然でしょ?」
「神がいた!」
「崇め奉りなさい」
「神だと思い込んでんじゃん…………で、だ。普通の人は自分を神だとは思いこまないんだが、その理由をニーチェは【下半身があるからだ】なんて言っているな」
「『あんたには立派な足がついてるじゃないか』ってことかな?」
「ニーサン!(裏声) って言うか、千恵の声真似上手ッ!」
「利人の真似は侮辱にも思えるくらい似てなかったけどね」
「もう、声変わりとっくの昔にしているしな、俺」
「さっきから話しが横道に逸れまくっているけど、私の意見は中々良い線いっているんじゃあない?」
「ほう。大した自信だ。その心は?」
「当たり前だけど、神様にも足はあるよね? 大抵の神様って何故か人間モチーフのデザインしいるし」
「基本的に人間のプライドの問題だろうな。自分達が牛に良く似た神に支配されているよりもまだ、人間とそっくりな神に支配されている方がましだと考えるわけだ。基本的に、人間上位の上から目線な考え方で俺はあんまり好きじゃあないな」
「人の形をしてない神様とかいるの?」
「蛇の神とかは割りとメジャーだろうな。自然新興の宗教観だと、自然や生物を神格化することも珍しくないかな」
「なるほど。蛇の神様は本当に足がないから例外ってことにして、神様にも人にも足はあるんだから、これは何かの比喩的表現なわけでしょ? で、足と言えばやっぱり歩く為のものでしょ?」
「だな」
「でもさ、神様って歩くのかな? とも思うわけ。座っているだけで全てを知ることができるだろうし、“成長”って意味の歩みも殆どなさそうじゃん? だから、それが神様と人間の差なのかなって」
「人間は自分の足で動いて確かめなきゃならんからな」
「そうそう! それにさ、動かない人程、偉そうなこと言わない? マラソン大会の時『辛いのは皆一緒だ!』って言う先生は走ってないじゃん」
「赤ん坊とかも、泣き叫ぶだけで全て解決するからな」
「それは違うんじゃないかな? で、だよ? 自分で苦労して歩いた人は、とてもじゃあないけど、自分のことを神様だなんて思えないでしょ? オリンピックの金メダリストが『君たちとは根本的に才能が違うか』って言わないのも、やっぱりちゃんと自分が努力したからだと思うんだよね。思わぬ収入はあっという間に消えちゃうけど、ちまちまバイトして得たお金は使い道を吟味するみたいにさ、結果が同じだとしても、過程に意味があると思うんだよ」
「過程も結果だからな。結果が全てなわけじゃあなくて、全てが結果なんだよな」
「あ! ずるい! なんか皮肉が利いて格好いい感じに人の意見をまとめやがった!」
「しかし中々面白い意見ではあるが、俺のはもっと下らないぞ」
「下らないのかよ。じゃあ、ここまでで良いじゃん! 綺麗に終わっとこうよ。神様と人間の対比、しかもハガレン一話とか等価交換と微妙に接点あるかもだし、ここまではかなり良い感じなんだよ!」
「俺が思うに、下半身って言うのは、まんま下半身のことだと思うんだよ。下ネタ的な意味での下半身な」
「スタートから最悪だよ!」
「人間が神になれないのは、下半身(意味深)があるから。勿論、神話によって神様にも下はあるし、ギリシャ神話のゼウスなんて下半身しかないんじゃあないかってくらいの存在なんだけどな」
「あの人、登場する度に子供増やしているよね」
「アレは異文化の神を文字通り“犯す”ことによって支配しているわけだから仕方ないんだよ。『お前の所の女神は、所詮はゼウスの女』って言う明確な上下差を見せつけているんだ。文化その物を自分達の下位に置くわけ」
「なるほど。でも、それだと人間にも下半身(意味深)があるわけだし、そういう力関係の誇示の仕方なんてモロに人間的だよね? それじゃあ、神様になれるんじゃない?」
「だが、世の中には“禁欲”って言う言葉があるだろう? 欲を捨てることによって、神に近づく修行としての禁欲がな」
「“姦淫するな”って奴だね」
「それそれ。つまり、【下半身がある】って言うのは、性的な欲求があるってことなんじゃあないかと俺は考えたわけ」
「性的な欲求があるから、神様になれない。邪まな考えは神聖なる神様には慣れない。まあ、言わんとする所はわかるかな? あれ? でも、神様は下半身があるの? それともないの?」
「どっちの神も存在するが、そもそもニーチェは古代ギリシャの文献を研究していたし、キリスト教が嫌いだっただろ」
「うん」
「そんなニーチェからして見れば禁欲で神になれるなんて馬鹿馬鹿しい妄言に聴こえると思わないか? ニーチェの好きな神であるデュオニソスは、別名バッカス。饗宴と豊饒の神だ。禁欲とはまるで対極に位置する神だろ?」
「なるほど。なんとなく言いたいことが分かって来たかも。要するに、この文章はニーチェの嘲笑なんだね? 『禁欲で神になれるわけがない』って言う皮肉が込められたアフォリズム」
「そう言うこと。下半身だとか禁欲だとか言うと、確かに節制は必要であるように思えるけど“繁栄”は人類にとって大切なことだ。何故かは知らんが、生命は次世代に自分の遺伝子を残すことに必死になっている。どんな生物だってその為に生きているといっても過言ではない。これは最も原始的な【力への意志】だろう」
「つまり、もっとオープンな世界をニーチェは望んでいたってこと?」
「いや。単純にこれは“欲”を否定することによって、人間に“悪”を与えている宗教の巧みなやり方についての批判程度にしておこうか」
「控えめな表現だね」
「『真理などない。全ては許されている』。欲求を悪とすることで、宗教は民衆をコントロールする。食べたいだけ食べれば良いし、寝たいだけ寝れば良い。金は好きに使えば良い。特に、それが許された人間ならばな」
「海外だと、成功者の募金は義務みたいなもんなんだっけ?」
「あれもキリスト教的な行為だな。別に悪いとも言わんけど。そうやって、“善行”を強制させることによって大衆に監視させるって意味じゃあ、日本も海外も人の目を気にするって意味じゃあそう大差ないと俺は思うんだよな」
「捻くれているなー、利人は」
「まあな!」
「褒めてないんだけど。でもさ、そう言う生命としての本能? 欲求? を理性で制御できるのが人間の素晴らしい所なんじゃあないの?」
「馬鹿言え。自然を見て見ろ。獣共は節制なんて概念は知らんだろうが、余程のことがなければ種を滅ぼしたり、環境その物を変えてしまったりするほどの影響を与えはしないだろ? 食って寝て、子孫を残す。それだけのことを完璧にこなしている。理性なんてなくても、自然は欲求を満たしてくれている。理性なんて野性の劣化品に過ぎねーよ」
「そう言う視点もあるのか……」
「性的な欲求にしたって、同じ霊長類のボノボってチンパンジーの一種は俺達よりもよっぽど上手く扱っているんじゃあないかって話もあるくらいだしな」
「うーん。人間は到底神様になったなんて勘違いできそうにないなぁ」