【一三八】【交際】
【わたしたちは目覚めているときも、夢の中のようにふるまうものだ。すなわちわたしたちは、つきあっている人物をこんな人だと思い込み、でっちあげる。――そしてすぐにそのことを忘れてしまうのだ。】
「なんか【一三七】と似てない?」
「似てるな」
「ま、まあ、だからなんだって話だけど」
「人間って知らず知らずの内に、相手を過大評価したり、過度の期待をしてみたりする所があるよな。逆に無意識に相手を見縊ってみたり、勝手にできないって決め付けてみたりもあるけどな」
「利人はちょっと私のことを甘く見ているよね。時々子供扱いするって言うか、兄貴風吹かせるって言うかさ」
「奇遇だな。俺も全く同じ事を千恵に感じているぞ」
「ははは。仲良しさんだからね、私達は」
「…………」
「…………」
「どっちの意見が正しいかは第三者委員会に任せるとして」
「いつのまにそんな組織が設立されたの?」
「今回のアフォリズムはニーチェらしい詩的な文章から始まっているな。【わたしたちは目覚めているときも、夢の中のようにふるまうものだ。】」
「これは遠まわしに『私達の頭は常に眠っている』って言いたいのかな?」
「かもな。本当に考えて生きている人間なんていない、なんてメッセージにも取れる。自分類は未だに目覚めてはいないから愚かなのだってな。そう考えると、【超人】の出現を待ち望んでいるって言うニーチェの思想も感じられるか?」
「『だからこの私が人類を目覚めさせてやろう』みたいな感じで秘密結社とかもできそうだよね。目覚めた選ばれし人間だけが生きる価値があるとか、そう言う能力至上主義のディストピアからの解放を目指すって言うハリウッド映画が一本作れそう」
「独立とか解放とかさ、好きだよなハリウッドって。そう言う御国柄なのか?」
「さあ?」
「そんな寝惚けた俺達は【つきあっている人物をこんな人だと思い込み、でっち上げる。】」
「例えば、私は利人の事を歩くウィキペディアだと思っているんだけど、こないだはバッハパパの名前知らなかったね。大丈夫? そんなのでアメリカ横断できるの?」
「何故に俺がクイズに応えてアメリカ横断せにゃならんのだ」
「そりゃあ、聖人の遺体を集めて“ナプキン”を取る為でしょ?」
「俺には荷が重すぎるぞ……。お前は俺の事をどう思っているか聴くのが怖いよ」
「流石に主人公だとは思ってないよ。どちらかと言えば、敵役?」
「まあ、俺の事をどう思おうと千恵の勝手だし、未だに眠気眼な人類からしてみれば、そんな思い込みは可愛い物かもな」
「あら? この“思い込み”を批判はしないの?」
「そりゃあ、真実って奴をしっかりと認識する方が万倍大切だぜ? でも、この“思い込み”を完全になくすって言うのは難しいだろう。俺はそれなりに千恵の事を知っているけど、全てを知っているわけじゃあない。一緒にいない時の行動なんて知る由もないし、学校でどんなポジションにいるのかも知らない」
「そりゃあ、そうだ。体重とかも絶対に教えないし」
「でも、まあ、大体は想像ができる。宿題以上の勉強を疎かにして友達とラインしているだろうし、学校じゃあ少なくともテスト期間で頼りにされてはいないだろう」
「まあね」
「何故にドヤ顔? 何が言いたいのかと言えば、そんな風に他人の知らない部分を補足して考えるのは当たり前の事だって話だ。もっと極端な話をすれば、プレゼントを渡す時なんてそうだろう? プレゼントを選ぶ基準は?」
「『これを渡したら、喜んでくれるかな?』って考えながら選ぶけど?」
「だろ? 不安はあるけど、それでも『喜んでくれる』と自分が信じる物を選ぶ。逆に言えば『コレを貰えば喜んでくれる』と思い込んでいるわけだ」
「つまり、相手の気持ちを考えるって事は、相手の気持ちをでっち上げると同義だってこと? そう言う事を言うから、悪役っぽさにポイントが重なって行くんだよ?」
「ほっとけ。でも、実際にそうだろう? それに【でっちあげる】って言うとニュアンスが悪く聴こえるが、俺はそこまでネガティブなイメージで使ってはいない。相手の立場に立って考えるって言うのは大切な事だ」
「うーん。じゃあ、問題は【――そしてすぐにそのことを忘れてしまうのだ。】って一文だね」
「そう。相手の気持ちに立って考えるのは素晴らしい。が、それが自分の考えだと言う事を忘れてしまいがちだと思わないか? さっきのプレゼントの例えで言えば、千恵は俺が喜ぶと思って筆箱をプレゼントするんだが、『鉛筆削りとか虫眼鏡がついている筆箱が良かったのに!』と俺が喜ばなかったとする。千恵はどう感じる?」
「『小学生男子かお前は!』って思うし、『喜ぶと思ってプレゼントしたのに!』って間違いなく苛立ちを覚えるね…………って、そう言うことか。この私の怒りは“私の考えた利人”と“利人本人”の違いに向けられている利己的な感情だよね?」
「この例えだと千恵だけが完全に悪いってわけではないが、それでも“俺が喜ぶと思った”って言う点に限って言えば千恵の勝手な妄想だ。俺は関与していない」
「でも、私は自分の考えやイメージと実際の利人を比べて、自分の考えた通りに物事が動かなかった事に怒っている」
「相手がどんな人間か思い込むだけなら、問題はない。円滑な人間関係の為にも、相手の行動を想像するのは当たり前の事だ。だが、その想像はその内に自分の中で事実の様に扱われ始め、最終的には本人よりも作り上げたイメージが先行し始める」
「自分の思い込みである事を忘れちゃったんだね」
「そう言う事。相手の事を考えていたはずが、その内に相手の事を全く考えなくなってしまっている。何度か言って来たが【同情】に対してニーチェが否定的だと言うのは此処に由来するわけだ」
「そう言えば、前も言っていたね【同情】しちゃ駄目って」
「不幸に見える人を見て“可哀想”と【同情】する時、俺達はその人が可哀想に違いないと思い込んでいる。だが、実際にその人が可哀想なのかどうかは、その人にしかわからないんだ。例え不幸の底で膝を曲げていても、実際は立ち向かう為に力を溜めているだけかもしれない。その彼の意思を無視して、外野が『可哀想、可哀想』と言うのは間違っているだろ?」
「うーん。それでも【同情】全てが悪い事とも思えないけどなー」
「全ての人が同じ意見である必要もないからな。千恵は自分が考える正しい道を歩けば良いさ」
「それもそうだけど、釈然としないかな。いや、まあ、あんまり人の事を決め付けちゃ駄目って言うのは賛成だけど。そう言う思い込みが手痛い失敗に繋がりそうだし」
「その辺りも難しいよな」
「あ。【交際】と言えば、こないだアイドルが結婚宣言して炎上していたね。アイドルが結婚しないなんて勝手な思い込みだと思うんだけど、商業的に見てどう利人は感じた?」
「ああ、そうだな」
「あれ? あんまり話しに乗って来ないね。タレントにあんまり興味ないのは知っているけど、割とミーハーだから流行りの話題には食い付くと思っていたのに。あ、私の前で他の女の子の話をするのが気が引けるとか? んもー。別にそれ位はいいのにー」
「いや、そう言うのじゃなくてさ」
「違うんだ。あ、そう。じゃあ、何? 本当に興味ないだけ?」
「大して興味ないのは本当だけど、兄貴がファンだったから家にグッズがちょっとだけあるんだけど」
「ク……お兄さん、良いザ……可哀想に」
「今、俺の兄貴の事『クソ』って言いそうになってなかった? 『言い様』とも言おうとしたよな!? いや、別に良いけど。それでさ、そのアイドルの本にさ、ニーチェの著書から引用されたタイトルのがあったんだ」
「ふーん。哲学アイドルか。なんか、そこはかとない矛盾を感じるね。それがどうかしたの?」
「俺が進めても興味を示さなかったのに、兄貴の捨てたグッズの中にニーチェの【善悪の彼岸】があってさ、なんか負けた気分になったのを思い出すんだ。弟の言葉は、テレビの画面越しのアイドル以下なのか……って」
「利人はまだあの御兄さんがまともな感性を持っていると思い込んでいたの!?」




