【一三七】【学者と芸術家】
【学者や芸術家とつきあうときに、人はまったく逆の評価をしてしまいがちである。すぐれた学者を凡庸な人物だと思い込むとが多いし、凡庸な芸術家を――すぐれた人物だと思い込んでしまうものだ。】
「『「思い込む」という事は何よりも「恐ろしい」ことだ。しかも、自分の能力や才能を優れたものと過信している時はさらに始末が悪い。』」
「吉良喜彰さんの名言だな。後々を考えると、凄まじいブーメランにも聴こえるけど」
「私、前もこの台詞を言った気がする……」
「それは千恵の引き出しの少なさの問題であって、吉良が悪いわけでも、ニーチェが悪いわけでも、俺が悪いわけでもない」
「私も悪くはないけどね。でも、ってことは、このアフォリズムはニーチェ特有の人間の思い込みや勘違いに対する箴言なんだよね?」
「ああ。俺的には【一三〇】【隠れ家】に近いニュアンスを覚えたかな。この次のアフォリズムもだけど」
「【隠れ家】って確か“才能はその人を隠してしまう”みたいな話だったっけ?」
「お、良く覚えていたな。凄い(意外だ)ぞ」
「ふふーん…………って、意味深に聴こえるのは何故!?」
「何を言ってるんだ? で、優れた人間を凡庸だと思ったり、逆に凡庸な人間を優れた人間だと勘違いしたり、それが起こるのはやっぱり、何処かで“才能”や“人間”を純粋に視る事ができない人間の思考が存在しているんだと思う」
「今回は【すぐれた学者を凡庸な人物】って思い込みと、【凡庸な芸術家を優れた人物】だと勘違いがあるわけだけど……後者はもう、あの人名指し見たいな物だよね?」
「ワーグナーに心酔していた頃の自分に向けた一言だと考えると、まあ納得だな」
「根に持つなぁ」
「好意的に捉えれば、自分の失敗をしっかりと反省しているとも取れる」
「まあ、確かにね? でも、ワーグナーって言えば私でも名前くらい知っている大御所の芸術家だよね? 何でニーチェは裏切られたって感じたんだろ? ワーグナーの才能を、凡庸だと言い切れるんだろ?」
「お前、ヴァイオリン弾けるのに、なんでワーグナーを名前しかしらないんだよ」
「どうしてヴァイオリンが弾けると、ワーグナーを知っているのが関係するの? 言っとくけど、私はヴァイオリンの起源も知らないし、バッハのお父さんの名前もわからないし、オーストリアの公用語がなんなのかも興味ないよ」
「それはそれで凄ぇ! ちなみに、ヴァイオリンは最初舞踏用として庶民に広く使われていたらしいし、オーストリアの公用語はドイツ語だ」
「バッハパパの名前は?」
「バーバパパみたいに言うな。お前の言うバッハは大バッハの事だろうけど、流石に知らねーよ。徳川将軍の名前みたい覚える必要性がないだろ」
「珍しいね。ウィキペディアに書いてある記事は全部知っているんじゃあないの?」
「俺はウィキペディアじゃあない! そもそも、バッハ事態にそこまで興味がないしな。で、話を戻すと――」
「何の話をしてたっけ?」
「――ワーグナーだ。前も軽く話したから今回も軽く言うが、秋元康みたいなもんだ」
「大丈夫? 怒られない!?」
「最初は作曲家だったんだが、次第に自分で劇場造ったり、脚本書いたり、手広く始めたんだ。それで通称“楽劇王”とまで呼ばれるようになった」
「なんか、某杯戦争で召喚されそうな二つ名だね。取り敢えず魔術師にされそう」
「で、ニーチェは彼の著作と古代ギリシャの神話を同時に語る程に、その作品と彼の才能をべた褒めしていた」
「それで論文書いて、出世街道から外れたんだっけ?」
「そう。でも、当のワーグナーは劇場の為に一般大衆受けする様な脚本書いて、大衆向けの劇場を造り、その為にニーチェの趣味ではない作品を利益の為に書き始めた。それがニーチェにはとてもショックだった」
「好きな漫画がパチンコになっちゃって、作者すら嫌いになるオタクみたいだね。私もちょっと嫌かな」
「意外な例えで共感を生んだ!? でも、俺は仕方がないと思うけどな。『パチンコに魂を売った』とか言われるけど、それ以前に作品を売っているんだから、パチンコ化も仕方ないだろ。先生一人で作品を書いているわけじゃあないだろうし。パチンコその物に対しては――ノーコメントだ。俺はやらんだろうが」
「利人、ドラクエのスロットですら儲けが出ると教会に戻ってセーブするもんね。どんだけ貧乏性なのよ」
「ほっとけ。芸術家って言うのはさ、結局の所、判断が難しい。ハッキリ言って、俺はゴッホの絵は好きじゃあない。あの筆使いとか、色彩の感覚とか、まったく趣味じゃあないな。モチーフがヒマワリって言うのも、個人的に今一だ」
「私はそこまで真剣にゴッホを見た事はないけど、ピカソとかよりはわかりやすくない?」
「そうか? おれはピカソの方が好きだけどな」
「そっちの方が如何にも芸術家気取ってるって感じで嫌いかなぁ」
「と、まあ、付き合いの長い俺達でも意見が一致しないくらい、芸術って言うのは個人の感覚で評価が違うだろ? でも、世の中では優れた芸術家として二人の作品は高値で取引されている。それは何でだ?」
「何でだろ?」
「俺の友達が言うには、宣伝の結果だそうだ」
「宣伝の結果?(…………友達いるんだ!)」
「そ。二人とも“高額商品”として落札されるだろ? だから皆知っているし、その価値を認めている」
「まあ、そう言う一面もあるよね」
「で、ここで学者に話しを少し移そう。優れた学者って言うのはどんな人間だ?」
「そりゃ“大学教授”とか“博士”とかじゃないの?」
「ああ。そう言う見方もある。が、人間として優れた学者っていうのは、前提として地道な研究をコツコツと続ける事ができる人だと思わないか?」
「そう言う人じゃあないと、まあ、無理だろうね」
「だが、そう言う地道な研究って言うのは、結果が取り上げられてもその努力が日の目を浴びる事は少ない。逆に、テレビに出て来るような学者先生方は、その肩書きだけが取り上げられて、それだけでコメントもそれらしく聴こえる」
「あ、つまり“凡庸な学者”と“凡庸な芸術家”は、結果以外の付加価値で自己の評価を不正に上げているって事?」
「そう。勿論、そういう人が全員そうではないけどな。でも、世の中では大抵、そう言う虚像が罷り通っている事を覚えておいた方が良いぞ。物事は“演出”一つでその見た目を大きく変える。光の当て方で、黒を白にする事だって難しくはないんだからな」
「この間、深夜の通販番組をなんとなく見ていたらさ、超凄い防水テープが宣伝されていたんだよね」
「アバウトな商品説明だな。具体的にどんなんだ?」
「凄いんだよ! 真っ二つに割れたボートをくっつけても浸水しなかったり、プールの配管が破れてもそれを張り付けるだけで収まって、割れた巨大な水槽のガラスも塞いじゃうの。それが限定三〇品限り! 思わず買っちゃったね」
「千恵ってボート遊びするのか?」
「しないよ」
「千恵の家ってプールあったけ?」
「ないよ」
「フランシスカって水槽で飼ってたか?」
「プランター改造した奴だね。プラスチック」
「何で買ったの?」
「私はあれを、優れた商品だと思い込んでいたみたいだよ」
「俺はお前の事をもう少し賢い子だと思い込んでいたんだけどなぁ」