【一三六】【対話】
【自分の理想を生みだすためには産婆を必要とする者がいる一方で、他人が思想を生みだすための助けをすることのできる者もいる。こうして良き対話が生まれる。】
「俺がこんな事を言うのもアレだけど、大抵の場合“口論に勝つ”って無意味だよな」
「理屈っぽい利人がそんな事を言うなんて意外だね。『はい、論破!』が口癖なのに」
「俺が今までに一度でもそんな台詞を言いましたか!? 名誉棄損だ!」
「ごめんごめん。冗談だよ。でも、口論に勝つのがどう無意味なの? しょっちゅう私は利人にやりこめられて悔しい思いをしているんだけど」
「まさにそこだ」
「どこ?」
「例えば、煙草を吸う人間に煙草を吸う事の有害さを説くのは簡単だろう?」
「百害有って一利なしだもんね。あるいは、百利あって万害有りって感じ?」
「理論武装して喫煙者に煙草を有害だと認めさせるのは容易い。だが、それでどうなる? まず間違いなく、そいつは煙草を止めやしない。『あ、そう』って言いながら煙草を咥えるだろうな」
「世の中から喫煙者がなくならないって事は、そう言う事なんだろうね」
「むしろ、非喫煙者に対して『うるせぇな』と思うかもしれない。これは別に煙草だけの話じゃあないと思う。理詰めで相手を論破した所で、相手は『ああ。そうか。ぼくが間違っていた。君は神様みたいな人だ』ってはならない。極端に言えば、むかつくだけの人間が殆どじゃないか?」
「ああ、わかるかも。ゲームとかでさ、効率とか言われると醒めるのもそれだよ。正論を言われた所で、感情からの行動は止められないんだよね」
「正しい意見を、正しい認識にして、自分達のプラスにするには当たり前だが相互の理解が大切になってくる。でも大抵の場合、例え劣っていても自分の意見に固執する事が殆どだ。だから、論破する事で生産的な展開になる事は稀だし、話し合いで違った意見が一つに統一されるなんて事はまずない」
「だから、多数決って言う強硬手段がまかり通っているわけだ」
「そ。だから、話し合いで素晴らしい意見を出す為に必要な物は二つだ」
「“女性と【産婆】”ってわけだね」
「もっと簡単に言えば“話し手”と“聞き手”ってだけで、何も特別な事は言っていない。【良き対話】とは自分の意見を持った人と、それをきちんと聴いて相手の【理想】を導いてやる人がいるだけで良い」
「当たり前だけど、案外“人の話を聴く”って難しいからね。ただ相槌を打つだけじゃあ駄目なんだよね」
「【産婆】って表現は秀逸だよな。話を聞くにしてもちゃんと知識と経験がいるって事だからな。相手の言いたい事を理解して、相手の性格も理解して、上手に相手が言葉に出来ていない【理想】を導き出すわけだから」
「話し手の方も、その助言に素直に従う心が必要だよね。下手な言い方すると余計に意固地になっちゃうし」
「やっぱり、建設的な会話を行うには、互いに大人にならないと駄目なんだろうな」
「それはそれで、遠慮して良い会話にはなりそうにないけどね」
「一理あるな。で、もう少しだけニーチェらしい解釈をして見ると、だ」
「あ、やっぱりこんな常識的な所で話しは終わらないんだ」
「この対話で【理想】を作り上げる手法は、“力への意思”のミニチュアみたいなものだと思わないか?」
「意見をぶつけることで、より良い意見を創り上げて行くから?」
「そう。対話はある意味で言葉での戦いだ。出産が生命との戦いであるようにな。お互いに更に良い物を創造しようと言う意思は素晴らしい物で、推奨すべきだろう。じゃあこの逆は? 何の生産性も産まない対話ってのはどんなのだ?」
「だから、互いに一方的に言い分を主張するだけの対話でしょ? 違うの?」
「確かにそれも悪い対話だが、最悪には少し遠い。互いの意見がぶつかっているし、もしかしたらその戦いから何かが産まれるかもしれない」
「まず、そんな事はないと思うけどね。って言うかそれはもう結果的に【良い対話】になっちゃっているんじゃあない? ちょっと卑怯な気がするな、その反論は」
「確かにな。だが新しい【理想】を生み出すのが対話の究極である以上、その最悪は何も産み出さない一方的な対話になる。話している様で、その関係は一方通行って奴だ」
「授業とか?」
「全ての授業がそうとは思わないけど、でも退屈な授業って言うのは、教師が一方的に喋るだけの授業を指すのかもしれないな。それに、授業って言うのは中々良い着眼点だ。最悪の対話って言うのは、読書じゃあないかと俺は思うわけだからな」
「読書? それこそ意外だね。利人めっちゃ濫読家じゃん」
「勿論、すべての読書がそうとは思わないけどな。要するに、ただ知識を詰め込む為だけに読む読書って言うのは、蓄積する知識はあっても、何も産み出さないだろう? ただ本を読んでわかった様に思い込むって言うのは、読書に対する冒涜だ」
「んー。私はあんまり本を読まないからよくわからないけど、じゃあ、利人は読書しながら本と話しているわけ?」
「本って言うか、お前に喋ったり、友達と意見を交換したり、別の人間との対話に使っているかな。他の本と比べて内容に差がないかとか、そう言う確認もしたりする。俺はやらないが、漫画にしたり、小説にしたり、絵にして見たり創作として表現するのも対話みたいなもんだろ。本の知識をちゃんと精査して自分の中でわかるまで消化しなきゃ読書の意味がない」
「なるなる。インプットしたらアウトプットしないと駄目って事ね。それは確かに対話っぽいかも」
「だろ? だが、世の中にはそれを許さない書物もある」
「――――聖書?」
「そう。いや、まあ、聖書の解釈って言うのは無数にあるんだが、互いに譲り合うつもりがなく、それ以外の解釈を許さない事が多い。自分達の解釈をゴリ押し続けた結果、様々な宗教は細分化されて行く事になる」
「政治の政党とかもそうだよね。政策の違いから分裂したり離党したりして、結局は多数決で審議するとか、二十一世紀を生きる人間の行動じゃあないと思うんだよね」
「民主主義は民主主義以外の政治体制の中で最悪な物だってレーニンも言っているし、暫くは選挙で政治家を選ぶ時代が続くと思うぞ」
「ま、政治に関わる程、私は暇じゃあないからなんでも良いけど」
「お前は何者なんだ……」
「話を戻せば、対話に必要な【産婆】にみんななろうぜ! って感じ?」
「なんだか、簡略化し過ぎな気もするけど、大体そんな感じだ。部下の忠告を聴けなくなった将軍とかは大抵次の戦争に負けるしな」
「歳下の進言を蹴飛ばすって、割と死亡フラグだよね」
「まあ、その点、俺達にそんな心配はないよな。ちゃんと対話できてる」
「……………………」
「いや、そこは『うん』って即答するとこだろ?」
「ほら、良く言うじゃん? 『女の子の話は共感するだけで良い』って」
「お、おう。確かに、聴くな」
「利人ってさ、私の共感して欲しいだけの台詞に、偶に滅茶苦茶真剣になる時があるよね?」
「いや、そもそも俺にはお前の“共感して欲しいだけの台詞”が判断できないんだが……」
「例えばさ、勉強見て貰っている時に『勉強面倒臭いな~』って良く言うじゃん?」
「ああ。言うな。絶対言うな」
「で、利人はさ、少しでも面白く感じて貰おうと、その数式を発見した数学者のエピソードとか、同時代に世界で起きていた有名な出来事とか、漢字の成り立ちとか教えてくれるでしょ?」
「あ、ああ……」
「アレ、共感して欲しいだけだから、そんな熱心に色々言われても困惑するんだよね」
「……………………」
「わかりあうって、難しいよね」
「……………………うん」