【一二六】【民族】
【民族とは、六人か七人の偉大な人物に到達するための自然の回りくどい手口である。――たしかにそうだが、しかしその偉大な人物を迂回するための手口でもある。】
「なんだか、ごちゃごちゃとした文章で直感的に解釈が難しいね。このアフォリズム自体が、回りくどいよ」
「そもそも、民族って言う概念自体に馴染みが薄いよな。俺達は一応、日本民族だとか大和民族だとか、そう言われる民族に所属しているんだろうけど」
「って言うかさ、【自然の回りくどい手口】って言っているけど、“民族”って自然に発生する物なの? 明らかに人間の文化の一つな気がするんだけど」
「いや、自然に発生しただろ。『じゃ、今日から俺達大和民族って事で』『賛成!』とか、そんな会話があって民族が出来たと思うか? ラインのグループじゃあないんだ。生活している間に自然と集団が産まれて、それが民族になったと考えるべきだろ」
「なるほど。じゃあさ、民族ってそもそも何? 何となく意味はわかるけど、ニュアンスだけで正確にどんな存在かと言われると困っちゃう」
「スターリンが言うにはだけど『言語、地域、経済生活、および文化の共通性のうちにあらわれる心理状態、の共通性を基礎として生じたところの、歴史的に構成された、人間の堅固な共同体である』だそうだ」
「えっと、『同じ文化を共有して、同じ感性で物事を考えて、歴史のある人間の集団』ってヨシフ君は言っているわけだね」
「スターリンをヨシフ君言うな! が、大体あっている。ただ民族って言うのは他にも定義が色々あって、コレだ! って言う決定的な物はない。千恵が言う様に、なんとなくニュアンス的にでも理解していれば専門的な話でもしない限りは問題ないと思う」
「適当だね」
「だから問題はニーチェが民族をどう思っているか、だな」
「で? どう考えていたわけ? やっぱり、否定的な事言ってる?」
「まず、この【善悪の彼岸】の第八章なんだが、【民族と祖国】ってタイトルだ」
「めっちゃストレートに関係のある章があるんだね。どんな事が書いてあるの?」
「基本的には文章と音楽の話しかしてない」
「え?」
「ドイツ語の文体は重々しくて今一だとか、最近のヨーロッパの文学的な風潮はだとか、やっぱりワーグナーについても言及している」
「完全に趣味のページじゃん! 仕事しろよ!」
「ニーチェの人生の大半は病気療養中だ。で、だ。この八章から、ニーチェにとって民族とは“文化”を基準にして考える物だと言う事が伝わって来る」
「ヨシフ君の定義にも入っていたね。確かに日本民族は全員日本語で話すし、漢字やひらがなで文章を作るから、文化を共通する集団だよね」
「そうだな。そして、共通する文化の中心には大抵の場合“神”がいる。あらゆる文化で神や造物主に似た存在が発生している。殆どの場合が自然現象を人格化した物が殆どで、宗教と言うよりはそのもの“神話”と呼んだ方がしっくりくるだろうな。文化には神話があるわけだ」
「神話? 神話と宗教の神って何が違うの?」
「まず、キリスト教徒に『聖書? ああ、あの神話ね』とか言ったらブチ切れると思うから気を付けろよ。アレは史実らしいから」
「そっちの方がファンタジーな気がするんだけど……」
「話を戻せば、神話の発展系が宗教だと俺は単純に考えている。前にも話したけど、沢山の民族の神が集まって多神教が発生したって話をしただろ? 元々は地元毎にいた神が人の合流と共に顔を合わせ、一つの物語になった。それでも地元の神を応援したいから、地元の神の決めた掟を守り、矛盾が産まれた場合は地元を優先する。その結果、多神教の中でそれぞれ違う神を信奉する集団ができた。それが宗教だ」
「アイドルグループの中でも特に一人を応援する人を○○信者って言うのと理屈は同じだね」
「その信者の語源が宗教だから! まあ、アイドルの語源は偶像だって事を加味すればまさに正解と言えるかもしれんが。そんな宗教未満の神話だが、役割的にもやっぱり宗教の縮小版だな。やって良い事、悪い事を寓話として教えてくれる」
「その時に使われるのが、文字で、歌で、音楽で、民族毎にそれが違うから、ニーチェは文化の違いを民族の違いとして取り上げたんだね。別に趣味だからとかじゃあなくて」
「多分、半分くらい趣味な気もするけどな。ま、兎に角だ。民族は文化を産む。この時に避けて通れないのが話し合いだ。神話は人々の話し合いで作られていった」
「私達の神様は鳥でー口から火を吹いてー風を翼で起こしてーとか、そう言う設定を語りあったんだね」
「そう言う心躍る話もしただろうが、そんな事は後回しだ。優先すべきは“危機”に対する対処だ。想像して見ろ。文明も発達しきっていない時代、適当に食べたキノコ一つでお陀仏って展開は非常に身近な物だ。葉っぱの茂みから出て来た毒蛇だとか、腹を空かせた熊に襲われるとか、危険な事ばかりの世の中を生き抜く為には、それらの脅威に備えなくてはならなかった」
「それで、神話?」
「あのキノコに毒があるのは、葉の茂みに蛇が隠れるのは、何故冬が来るのか、そう言った疑問にそれらしい意味を与えてやるんだ。説得力があれば納得できるだろ。現代で言う科学的説明を、神話が担っていたわけだ」
「科学と神話を一緒に語るって言うのも奇妙な感じだね」
「だが、実際の所大差ない。と、ここまで話せばわかると思うが、【偉大な人物】って言うのは、特定の天才や英雄ではなく、民族として共有している文化その物を指しているんだろうなと思った」
「うんうん。そう言われると、文化毎に文字や歌、後は楽器とか衣装とか、その民族を象徴する物って絶対にあるもんね」
「ああ。独自に創り上げた文化の象徴ってのは、どれもとても興味深い。今でも伝統を受け継ぐ人達は世界中に存在し、尊敬を集めている。ニーチェはそう言った物を好んでいたし“高貴”だと感じていたようだ」
「ニーチェって哲学者の割には意外と芸術肌だよね」
「数式が美しい様に、思考ってのも極まれば芸術的になるのは当然だろ?」
「数式を美しいと思った事なんて今まで一度もないんだけど」
「ま、その辺の感性は人それぞれだろ。で、ここで終われば良い話し何だが、このアフォリズムには続きがある。【しかしその偉大な人物を迂回するための手口でもある。】とな」
「今までのやり取りなんだったんだよ! 民族は偉大な人物を産み出す手段じゃなかったの?」
「多分だが、この【民族】は前後で規模が違う」
「えぇ。勝手な解釈は何時ものことだけど、同じ言葉を違う物として見て良いの? 恣意的過ぎない?」
「どうにも、ニーチェは民族と国家を正反対の物として考えていた節があるんだ。前に『国家は嘘吐き』だとニーチェが主著していたと言っただろ? そう語る章では『民族は自分達の言葉で善悪を語る』とも言われているんだ」
「確かに、対比して語られている感じはするね。じゃあ、偉大な物を産むのは民族で、国家はそれを迂回する愚かな物だってニーチェは言いたいわけ?」
「そう考えると、しっくりくる。国家まで民族が大きくなってしまうと、相対的に脅威が小さくなるだろ?」
「一〇〇人中の五〇人が亡くなるのと、一〇〇〇人中の五〇人が亡くなるのじゃあ、被害の規模が違うって話?」
「そう言う話し。と、なれば脅威について語り合われる事は少なくなり、神話の力は弱まる。大して重要に伝える必要がないから、詩も唄も前より厳かな物でなくなる。今の社会を見ろ。人一人が殺された程度じゃあ下手すると全国ニュースにもならない。大抵の告知はネット上でテンプレートにそって紹介される。災害が起これば誰が真面目に見るかもわからない法律が変わるだけ。まったく味気ない。これじゃあ誰の気も惹けないさ」
「いや、歌いながらニュースにしたら顰蹙買うよね」
「昔は何でも唄で伝えていたって言うのに、な?」
「いや、そんな共感を誘う様に『な?』とか聞かれても私はそんな時代しらないし。それに――」
「それに? なんだ?」
「そんな時代だったら利人は何も伝えられないよ。すっごい音痴だから」