【一二四】【比喩】
【焚刑の薪の山の上でなお嬉々としている者は、苦痛を克服して凱歌を上げているのではない。苦痛を予期していたのに、まだ感じない事を喜んでいるのだ。一つの比喩として。】
「この“焚”って、字だけで意味がなんとなくわかるのに、読み方がわからない漢字だよね」
「あんまり使わない漢字だからな。焚き木とかでも使うけど、その時は読み方が違うしな。あんまり変な読み方をして恥をかかないようにな」
「はーい。それで、焚刑って言うのは、要するに火炙りでしょ? 酷い死刑の方法だと思うけど、なんでわざわざこんな殺し方するんだろう」
「単純に見せしめだろうな。後“地獄の業火”とか言うだろ?」
「いや、言った事ないけど」
「まあ、そう言う言葉はあるだろ? キリスト教にとって地獄ってのは燃え盛って熱い物なんだよ。それに、最後の審判の時に肉体が残ってなければいけないらしいから、天国には行けないって意味もある」
「精神的にも攻めて行くのか。やっぱり宗教って考える事がえぐいなぁ~」
「だが、ニーチェは【焚刑の薪の山の上でなお嬉々としている者】がいる前提で話を始めている。何も考えずにこの一文を読んだら意味不明だぞ。燃え盛る薪の上で喜んでいるとか、ミノタウロスの皿の人間かよ」
「えっと、ミノタウロスの皿って言うのは、ドラえもんで有名な藤子・F・不二雄先生の短編SF漫画で、牛と人間の立場が逆転した惑星でのお話しだよね?」
「そ、そうだが。どうした? 急に」
「いや、念の為に確認を。私の知らないクラッシックな小説とかだと困るし」
「安心しろ、あの漫画だ。全然関係ないけど、先生の短編作品は高校生になって読んでも面白いよな。ドラえもんの作者って事で、子供騙しと思っていたけど、そもそもドラえもん自体が高校生の鑑賞に耐えうる作品だと蒙が開けた気分だったぜ」
「本当にまったく関係ない! まあ、アニメとか漫画ってだけで文化的に下に見られる傾向はあるよね」
「……その話しの流れは非常に危険だ。間違いなく、今回のアフォリズムより盛り上がりやすい。話しを戻そう」
「そうだね。えっと、火炙りにされて喜んでいる人の話しだったね」
「その通り。でも、この人は別に【苦痛を克服して凱歌を上げているのではない】らしい。つまり、炎が全く効かない特殊な体質な人だとか、熱エネルギーを直接自分のエネルギーに吸収出来るスキル持ちだとか、熱いのが嬉しい変態さんではない」
「いや、そんな事は説明されなくてもわかるよ。もう、哲学でも何でもないでしょ、そんな人が出て来る話し」
「じゃあ、何故喜んでいるのか?」
「【苦痛を予期していたのに、まだ感じない事を喜んでいるのだ。】って言っているけど? しかも【一つの比喩として。】とか言う、わけわからない追記もあるし」
「断章のタイトルをここで回収だな」
「【比喩】って今更だよね。ここまで比喩だらけじゃん。これだけわざわざ比喩って宣言する必要があるの?」
「まあ、順番に読んでいこう。【苦痛を予期していたのに、まだ感じない事を喜んでいるのだ。】とあるが、どうしてこいつは【苦痛を予期】していたんだ?」
「は? そりゃあ、目の前で人が燃えて叫んでいたら普通に苦しいと思うでしょ」
「それは、どうしてだ?」
「だから、罰として火炙りにされているんだから、それが苦痛じゃあなかったら意味がないじゃん」
「苦痛じゃなかったら意味がない。そこだ。罰であるから、苦しい筈だと思っていた。まず前提として、この人物は罪人であったわけだ」
「ん? そりゃあ、そうでしょ。だから焚刑に処されているわけで」
「そう、この男は何かしらの罪を犯し、焚刑が決まった。脳裏に思い浮かぶのは、苦しみに泣き叫ぶ過去の罪人達だ。男はその表情を思い出し、自分の罪の深さを更に実感する事になっただろう」
「ふんふん」
「だが、実際は大したことじゃあなかった」
「え?」
「燃え盛る薪の山の上で、男は苦痛を感じなかった。だから笑った。恐らく、過去の罪人達もそうだったんだろうな」
「いやいや。絶対に熱いでしょ。炙り焼きにされて生きていた人が今まで一人でもいたわけ?」
「勿論いない。良いか? 千恵。これは比喩だ。大袈裟な位にな」
「そりゃあ、そうだけど……」
「こう言う大袈裟な比喩を好きな奴がいるんだよ世の中には」
「ふーん。誰?」
「イエス・キリスト」
「…………」
「暇があれば聖書を読んでみれば良い。針の穴にラクダを通すだとか、比喩には事かかない。それに原文ではgleichnissとある。これはドイツ語で“比喩”と言う意味も確かにあるが、同時に“寓話”と言った意味も持つ。寓意を持った説教も聖書の得意とする所だ。実をつけていないイチジクの木を枯らす話しがあるんだが、前提とする知識を持たない人間にとってはイエスが理不尽に見えるが、しっかりと読み説けばちゃんとキリスト教の教えに繋がる意味がある。この断章も同じだ。だから、ニーチェ流の聖書に対する皮肉がこのタイトルには籠められているのかもな」
「そんなの、言われないとわからないよ。不親切だな」
「知らない事を偉そうに言われても、困る。無知は罪だぞ?」
「その言葉を堂々と使える人って減ったよね。今じゃあ、愚か者の方が得をしている気がする。愚者が過剰に守られて、賢者はその相手に苦労する。生き難い世の中だね」
「だからと言って、急に含蓄があるような事を言われても困るっつーの。で、この比喩が一体全体何を示しているのか? そこが問題だ。火炙りが別に大した事がないって言うのは、どんな寓意が籠っているのか? ここを考えなければ意味がない」
「うーん。でも、焚刑を持って来て“笑っちゃうぜ!”って相当凄い事だよね」
「頭でも言ったけど、処刑の中でも地獄の様な刑だからな」
「じゃあ、あれか。“地獄なんて大したことがない”ってこと?」
「大分近いな」
「大分近いな? 急に何を言っているの?」
「大分だよ! 口頭のやり取りでそんな勘違いありえなくね!?」
「確かに。私は一体何を言っているんだろう?」
「俺が聴きたい」
「えーっと? 私の回答がニアピンだって話しだよね」
「そうそう。普通、罪に応じて罰は大きくなる。だと言うのに、実際の罰は大した事がなかった」
「つまり“罪そのものも大した事がなかった”?」
「その通り。罰の弱さから、自分の罪の軽さを知ったわけだ。じゃあ、最後。この男は何をしでかした? どうして火にかけられた? その大罪はなんだったんだ?」
「うーん。焚刑と言えば…………魔女狩り?」
「だな。そして魔女とは簡単に言えば異教徒だ。都市部ではキリスト教全盛でも、地方では別の信仰があることも珍しくなかった。キリスト教の司祭の知識だけではカバーできない、現地の生活の知恵を継承していった結果だな。地方にしかない薬草とか、動物除けの方法とか、そう言ったキリスト教外の知識をキリスト教は許さなかった」
「……いっつも思うけど、どうしてキリスト教はそんなに自分以外を徹底的に排除するわけ?」
「全知全能の神だからだろうな。そして、聖書に記された事が全てだからだ。この世の知識は全て聖書に在るべきだと言う考えが前提にあるから、それ以外の知識が存在すると『あれ? 全知なのに知らないの?』って言う突っ込みが飛んで来る」
「まあ、そりゃあそうだ」
「だから、聖書外の知識は邪な物とするわけだ。聖書に邪悪な知識がのっているわけがないだろう?」
「なるへそ」
「そして、邪悪な存在は全て燃やされた。大罪だと言ってな」
「でも、実際はそうじゃあない。聖書外の知恵だって立派な知識で、それを知っている事は全然悪いことじゃあない」
「だから、焚刑にされても喜べるんだ【一つの比喩として】」




