【一一八】【無邪気な称賛】
【無邪気なまでの賛嘆というものがある。このような賛嘆を抱くのは、自分もいつか称賛されるかもしれないということなど、考えたこともない人である。】
「讃嘆も惨憺もあまり日常で使う単語ではないよね」
「讃嘆の方は物凄い感銘を受けた時に使うような言葉だな。日常生活ではまず使わないだろうな。惨憺の方は見るにも耐えない苦痛とか、これも普通に生活していたら見ないな。常識的な範囲で言えば、宮沢賢治の詩『眼にて云ふ』に出て来るくらいか?」
「そんな詩しらないよ…………。読書感想文の課題図書になってる奴しか知らない」
「お前はその感想文を書いてないんだがな。この詩も結構有名なはずだ。賢治の妹が死ぬシーンだしな。なんて言うか後ろ暗くなくて、妙に爽やかで俺は好きなんだよな。でも、そうだな。惨憺、惨憺。うーん。ま、後は福本作品で出て来るかも。僥倖とかも、あの人の作品以外で見た事無いぞ」
「なんで宮沢賢治の詩の直後に、ギャンブル漫画が出て来るの? 逆に凄いよ」
「もっと素直に褒めても良いんだぜ?」
「【無邪気な称賛】を私にしろって事? なんか、文面の限りではあんまり褒められている気がしないんだけど」
「どうだろうな。まず、【【無邪気なまでの賛嘆というものがある。】で始まるわけだが、ここはまあ、事実確認。アフォリズムの前提だな】
「子供みたいに純粋に驚いて褒める事がある、って事だよね。こないだの路上パフォーマーとか凄かったよね。歌詞もなく歌声だけであそこまで人を感動させられるだなんて、まったくしらなかったよ」
「ああ。アレか。まだ小学生か中学生って感じなのに、アレは確かに同じ人間の声とは思えなかったな……と、まあ【無邪気なまでの讃嘆】って言うのは確かに世の中に存在する。そして【このような讃嘆を抱くのは】とニーチェは続ける。讃嘆その物ではなく、讃嘆する人間に対して意見があるってわけでな」
「で、そいつは【自分もいつか称賛されるかもしれないということなど、考えたこともない人である】ってわけだね。えーっと【無邪気な称賛】を行った人がいて、その人は自分が称賛されるなんて思ってもいないから【無邪気な称賛】を行えるってことだよね」
「そうだな」
「『うわー。お前、よくもそんな風に手放しで褒められるね。信じられねー』って感じ?」
「お前のキャラクターが良くわからん事になっているが、そう言う一面もあるだろうな。このアフォリズムは明らかに【無邪気な称賛】を送った人物に対して忠告をしている様に取れる。そうなると、何故【無邪気な称賛】をしてはならないのか? と考えなくてはならないだろうな」
「それは【自分もいつか称賛されるかもしれない】からだよね? でも、褒められるかもしれないから、簡単に褒めない方が良いって、どう言うこと? 褒められた時の事を考えておく意味ってあるの?」
「例えば、俺達がひょっとすると泣くかもしれなかったあの女の子。彼女の歌声は本当に素晴らしい物だったが、音楽的センスのない俺にそんな事を言われて嬉しいと思うか?」
「根に持つね。でも、褒められれば嬉しいと思うよ。利人はそう思わないの?」
「んー。完全にどんな場合でもってわけじゃあないが、褒められても嬉しくない時はある」
「例えば?」
「まず。『凄い凄い』と褒めるのは簡単だが、それが本当に凄いと理解できているのか?」
「え?」
「例えば梶田隆章氏とアーサー・B・マクドナルド氏が共同でノーベル物理学賞を受賞したのは記憶に新しいが、お前は彼等をどう思う? ちなみに、素粒子“ニュートリノ”が質量を持つ証明である“ニュートリノ振動”を発見した人達だ」
「そりゃあ、凄いんじゃない? それが何かは知らないけど。あ、説明されてもわからないと思うし、解説はしなくて良いよ。本当に、お願い!」
「それだ」
「どれ?」
「『何かは知らない』『説明されてもわからない』のに、ただノーベル賞ってだけで凄いと褒める。これ程までに彼等の功績を馬鹿にした事があるか? 何が凄いかわかっていない人に凄いと言われても、虚しくないか?」
「どうだろ? 手放しで褒められる事なんて滅多にないし」
「俺は良く『良い性格してるな』って絶賛されるぞ。へへへ」
「何でちょっと照れ気味なの!? 皮肉だよ! それ! 鈍感主人公でも気が付くよ!」
「ま、冗談はさておき、子供からならまだしも、何も考えずにただ褒めるだけの称賛って言うのは割とある。ノーベル賞を取ったお二人が実際どう思ったかは流石にわからないけど、マスコミとかのアホな質問にはうんざりしてたんじゃあないか?」
「また勝手に決め付ける。ま、要するに褒めるならちゃんと褒めろって事?」
「で、二つ目のパターン。褒められた人間ってどうなると思う?」
「喜ぶ?」
「それもある。そして“もう一度”と期待されるわけだ」
「まあ、よっぽど特殊な事じゃあない限り、本人も続けようと思うよね。褒めた人も、褒められた人も喜んでいるわけだし、それは幸福だもん」
「だな。動物に芸を仕込んだり、子供に躾をする時、褒めたりご褒美を上げるのは珍しいことじゃあない」
「こいつ、さり気無く動物の芸と人間の躾を同列に語り始めやがったぞ……」
「ん? じゃあ犬やイルカは人間以下の下等生物だって言うのか? さては貴様、差別主義者だな?」
「極論過ぎる!」
「まあ、単純な躾ならば問題ないが、これが例えば習い事とかになると話が変わって来る」
「最近は習い事も多様化しているよね。一〇年前じゃあ、子供にフィギアスケートとかゴルフを習わせる親なんて殆どいなかったのに」
「ヴァイオリンとか茶道もレアな方だと思うがな」
「利人は何も習い事とかしてなかったよね。塾にすら通ってなかったし」
「俺は天才だからな。他の人間が才能の差に絶望しちまうさ。一緒に授業を受ける同級生が今でも可哀想でならない」
「可哀想って所だけには同意しておくよ」
「話を戻すと、そう言った習い事で好成績を取ったとする」
「おお! 凄い!」
「と、親に言われたそいつは『がんばらなくちゃ』と思うだろうな。きっと、殆どの親って言うのは、子供の事を無邪気に褒める。『天才だ』と、『俺の息子だ』と、な」
「それの何が悪いの?」
「人は人の無邪気な期待に応える為に何をしなくちゃならない?」
「そりゃあ、努力?」
「そう。簡単に褒めてくれるのは良いが、その称賛の期待に応え続ける為には努力が必要になる。期待されなくなるまでな」
「称賛と、次の期待」
「【無邪気な称賛】に相応しくある為に、努力を重ねる。そして、大抵の人間は最後まで期待に添うことができなくて、その道から脱落する」
「無責任な称賛が、人生を決めかねないって事?」
「まあ、簡単に言ってしまえばそうだな。次も次もと無意識に期待する【無邪気さ】の恐ろしさだ」
「でも、それが良い方向に働く事もあるんじゃない?」
「勿論。さっきのノーベル賞二人にせよ、一般人には理解できない分野で研究を続けたその情熱の何処かに、誰かの期待に応えたいと言う物があってもおかしくはないと思う。自分自身に期待していたのかもしれないが、それでも軽々しく『自分ならできるよ』と自画自賛はしていないと思うがな」
「そして、ノーベル賞を取った時には、周りの人が何も知らない人達に称賛されると」
「この時、【無邪気な称賛】を行う連中は、もう自分に期待していないんじゃないか? だからこそ、他人の功績を簡単に褒められる。持たざる者も苦しいが、持っている者はもっと苦しいもんさ」
「うーん。褒められた経験がないから、何とも言えない話だったな。ね、褒めて見てよ」
「無茶ぶりだなぁ。あ、でも、ずっと思ってたんだが、今日雰囲気違うな。いつもより大人っぽいって言うか。前髪少し切った?」
「やっと気が付いた? 先週切ったの」
「…………と、まあ、褒める時は良く考えて褒めないとな。ははは」




