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【六五A】【罪】

【罪を犯してはならないと言う時ほど、自分の神に不誠実であることはない。】


「ほい。今回は【六五A】【罪】だ」

「【六五】の【A】? これって【六五】【認識の魅力】の補足って事?」

「だな。【六六】でも全然良い様な気がするんだけど、ニーチェはそうしなかった」

「なんか中身も大分傾向が違う気がするし、【六五】が【六四A】になっているほうが自然な気がするんだけど」

「俺もそう思う」

「でも、わざわざ【A】とするくらいなんだから、関係があるのかな?」

「そう見るのが自然だが、取り敢えず、千恵はどう感じた?」

「うーん。そうだなぁ。まずさ、問題は誰が【罪を犯してはならない】って言っているかってのが謎だよね? 自分自身に言い聞かせているようにも取れるし、年長者が歳下に対して戒めているようにも聴こえるし」

「そして、そんな当たり前のことを言えば、何故か神に対して不誠実になると説いている」

「仮に、自分自身に言い聞かせているヴァージョンだったとしたら『そんな当たり前なことを言うな』って風に私は取るかな。社会で生きるなら、罪を犯さないって言うのは生活の前提であって、わざわざ言う程のことでもないよね?」

「そうか? 俺は逆に考えたな」

「逆?」

「そう『人間は罪を犯さない程に立派な生物なのか?』ってな。新聞を見て見ろよ」

「【新聞を読まなくなってから私は心がのびのびし、実に気持ちが良いです。人々は他人のすることばかり気にかけて、自分の手近の義務を忘れがちなのです】」

「ゲーテだっけか?」

「そ、私はだから新聞を読まないの」

「新聞を読まない言い訳が格好良過ぎるだろ……。まあ、良い。新聞やテレビのニュースを見て見ればわかる。詐欺。傷害。事故。殺人。賄賂。罪、罪、罪のオンパレードだ。人って言うのは間違いを犯すものなんだよ。そんな奴が【罪を犯してはならない】? 笑い話だろ。絶対に破られる誓いだとは思わないか?」

「確かにね。私も小学生の頃に、雨に濡れた選挙ポスターを傘で突いて破いちゃったことあるし。一個も小さな罪を犯していない人間なんていないのかもね」

「普通に犯罪じゃねーか。アナーキーな小学生だな。人の顔が写った紙を破くか? 因みに、中学生の頃の話しなんだが、合唱祭の時に全体集合写真を取ったんだが、俺の顔に画鋲が刺さっていて学年集会が開かれたことがあった」

「うわぁ」

「黙って写真変えれば良いじゃん! 晒し物だよ! 犯人見つからないし!」

「ま、まあ、先生は良かれと思ってやったんだよ」

「そうやって優しさが世界を住み難くしているのかもな」

「はい! 元気出して行こう! 【罪を犯してはならない】と言うのが自分自身だった場合、『罪は犯さないのは当然だから』そんな不誠実な言葉を言ってはならない! ってパターンと、『罪を犯さない人間なんていない』から守れない誓いは口にするべきではない! って解釈が考えられるわけだけど……逆に自分が誰かに【罪を犯してはならない】と言う時は、一体何が神に対して不誠実になるんだろう?」

「順当に考えるのであれば、『お前はそんなこと言える程に立派なのか?』ってことだろうな。多かれ少なかれ、罪をまったく犯したことのない人間なんて物がいるなんて、俺は思えない。罪を犯したことのある男がそんなことを言っても、『お前が言うなや』って気持ちになるだろ?」

「でもさ、だからこそ、言葉に重みが産まれることもあるんじゃあない? 【涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の本当の味はわからない】ってゲーテも言っているし」

「それも原文と英訳では微妙に意味が違うし、解釈が分かれそうな箴言だな。が、確かに千恵の言うことも尤もだ。でもよ、罪を犯した男がそう言うことを言う時点で、やっぱり罪を犯した事実は消えないわけだろ? やっぱり、それは自らの神に不誠実なんじゃないか?」

「そりゃあ、そうかもしれないけど。失敗してしまった人の意見だって参考にはなると思うな」

「ふむ。じゃあ、この【罪を犯してはならない】を言っているのがキリスト教の神父なり牧師だったらどう思う? 彼等は日常的にそう言った戒めを口にしているイメージがあるだろ? そんな彼等が注意を呼び掛ける時、それはどうして自分の神に不誠実と言うことになる?」

「ん? それは結局、今の話しと一緒じゃあないの? 例え聖職者だって過ちは犯すでしょうし、後ろ暗い事は絶対にあるでしょ。日本だって聖職者って言われる教師がみだらな行為で捕まっているわけだし」

「まあ、そうなんだけど。俺が言いたいのは、今までの話しを踏まえて考えた場合の話しだ。順番に話して行こうか。まず、『罪』とはなんだ?」

「『傲慢』『憤怒』『嫉妬』『怠惰』『強欲』『暴食』『色欲』とか?」

「七つの原罪だな。因みに二十一世紀になってからは新たに『遺伝子改造』『人体実験』『環境汚染』『社会的不公正』『貧困』『過度な裕福』『麻薬中毒』の七つを大罪にするとローマ教皇庁が発表していたりもするな。他にも『心に暴力があるのなら吐き出してしまえ 。非暴力という無気力よりは遥かにマシだ』の名言で有名なインド独立の父であるガンジーの提唱した『理念なき政治』『労働なき富』『良心なき快楽』『人格なき学識』『道徳なき商業』『人間性なき科学』『献身なき信仰』とかもある」

「あれ? ガンジーさんを象徴する台詞ってそんなロックな奴だったっけ?」

「ガンジーも別に聖人君子ではないからな。父って表現は適切かもな。と、少し話しが逸れたが、これららの罪に共通することは、『誰かが定めた』から『罪』となっていると言うことだ」

「まあ、そりゃあ世界創造の瞬間から罪なんて物があるとは思ってないけど、当たり前のことじゃあ……って、あれか。当たり前のことなんて物は有り得ないんだったんだね」

「そう。この『罪』って言うのも、結局は誰かの主観的な意見の一つでしかなく、真理ではない。もっと言えば、キリスト教が産み出した物だ」

「【奴隷の道徳】って奴だね。持たざる者の逆恨みだって言うニーチェの考え」

「ニーチェはそう言ったマイナスの強い感情を持った心を【ルサンチマン】と名付けた。別に造語と言うわけでもないけどな。日本語では【怨恨】と訳されることもあるが、【ルサンチマン】とそのまま記されている事の方が体感としては多いと思う。因みに、フランス語だ」

「それだけ、ニーチェを象徴する考えってこと? あと、怨恨だと最強のエンチャント・オーラだしね」

「俺は青黒スキーだからな、怨恨は嫌いだ」

「で? その【ルサンチマン】集団たるキリスト教が産み出した『罪』って言うのは?」

「『傲慢』も『憤怒』も『嫉妬』も『怠惰』も『強欲』も『暴食』も『色欲』も、どれも人間として当たり前のことだと思わないか?」

「良く言われるけど、この大罪だって、完全に無かったら社会はここまで発展しないよね。『傲慢』が一切なければその人は自分に一切の自信がないわけだし、何をしても怒らない人って言うのも怖いし、頼りにならない気がする」

「他人を妬む気持ちが努力にも繋がるだろうし、休息は人生に必要不可欠」

「あれも欲しい、これも欲しい、そう言った欲望が更なる向上を望むだろうし、偶には食べ過ぎたって仕方ないよね」

「性欲だって、人類の発展の為には当然の物だ。そもそも、大抵の生物発情期になれば場所も選ばずに繁殖行為に及ぶ。隠すのは人間くらいじゃあないのか?」

「『色欲』はノーコメントするにしても、結局は加減が大切なんだよね。誰だって持っている当然の感情なんだから、根絶するなんて無理だろうし」

「その通りなんだが、その加減って、どう決めるんだ?」

「数字に現れるわけでもないし、個人差もあるだろうし、確かに限界値を決めるのは難しそうかも」

「だからこそ、キリスト教はそれを罪にしたんだ」

「ん? どういうこと? 何がだからこそなの?」

「例えば、お前がピュアで敬虔なキリスト教徒な女の子だとしてだぞ?」

「ちょっと! 私はピュアな女の子だから! キリスト教徒ではないけど」

「偶々、家のリビングでテレビを付けたとする。で、写ったのが親父さんの借りて来たAVだった。しかも結構エグイの」

「あ、それ一度あった。女優さんが熟女系の人だったから、ママもギリギリセーフ判決を下したね」

「家庭環境に問題ありだな。で、まあ、あれだちょっとエッチな気分になっちまうわけだ。そして直ぐに、敬虔なキリスト教徒である千恵は自分のことを『いけない女の子』と思うわけだ」

「ふしだらだね。私は全然そんな気分にならなかったのに。むしろ、なんか笑っちゃったよ」

「それもどうかと思うが、確かに、別にどうでも良い出来事だ。が、敬虔な千恵はそのことを気に病んでしまう。自らの信仰を穢す行為だと思う。こうして心の中に負い目が産まれる」

「『悪いことをしてしまった! 天国に行けない!』って思っちゃうんだ」

「そして、自分を『悪い』と思った千恵は、その罪を償う為に教会で懺悔をするかもしれないし、何かボランティアに手を出すかもしれない。キリスト教が『色欲』を罪としていなければ、千恵は負い目なんて感じなかっただろう」

「つまり、『キリスト教が罪を定めたから、罪人が産まれた』って利人は言いたいわけだ」

「そう言うことになるな。そして、その罪を雪ぐ為の方法もキリスト教は用意している。懺悔だったり、寄付だったりだ。そうして心の重みを取り除くんだ」

「『病原菌をばら撒いておいて、治療薬も用意しておいた』と?」

「かなり悪意を持った言い方になってしまうが、自作自演さ。キリスト教は沢山の人間に負い目を押し付けるのに成功し、教会はそれらを許すことで力を得ていった。挙句の果てには、『救世主は私達の為に十字架で殺された』なんて言う始末だ。生まれながらにして人はそのことに感謝……いや、負い目を感じなくてはならないって寸法さ」

「つまり、【罪を犯してはならない】と牧師さんが言っていたとしても、そもそも『罪』なんて物を用意したのがキリスト教じゃあないか! って言いたいわけ」

「ああ。しかも、罪を犯させることによって、負い目を産み出し、それを解消することによって信仰を得たり、勢力を拡大したりしたわけだから、むしろ教会はどんどん罪を犯して欲しいと思っていただろうな」

「【自分の神に不誠実であることはない。】――神様が罪人の増加を望んでいるのであれば、確かに【罪を犯してはならない】なんて台詞は不誠実その物だね。神の意志を無視しているわけなんだから」

「と、ニーチェは考えていたんじゃあないかと、俺は考える」

「なんて言うか、縁もゆかりもないキリスト教だったけど、嫌いになりそうだよ」

「まあ、あくまでもニーチェの哲学的な認識における問題としてのキリスト教の話しだから、多少は許してくれ」

「明らかに『多少』の範疇を超えている気がするんだけど……」

「ニーチェはアサシン教団のハサンと言う人の言葉を自著【道徳の系譜学】で引用して、こう言っている――【真実などなく、全ては許されている】と」

「連続殺人犯が言ったと説明されても信じられるぶっとび具合の台詞だね! 私よりよっぽどアナーキーじゃん」

「ああ。だから、不快に思う方もいるかもしれないが、寛大な心で許してくれ」

「何がだからなのかわからないよ。でも、『「この世で一番贅沢な娯楽は誰かを許すことだ」』って言うしね」

「それこそ、アメリカで20人殺して死刑になった男の言葉じゃねーか」

「ってなわけで、今回はここまで!」


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